還暦を超え・・・・・「立つ鳥跡を濁さず」の諺が頭を過る回数が増えている。
若い時は、子育て、等々も有り・・・又、古い家督制度が私の場合、考えの基本に有ったので・・・全てに末広がりの思想が有ったと言う事・・・
しかし、子育てがほぼ済み・・・子供たちは、親元を離れる。鳥に例えると、巣立ちとなる。
家督制度の発想だと、巣を大きくしていく之が目的に成るが・・・・・・子育てで広げた巣も、子が巣立つと・・・意味を成さなくなる。
勿論、親の私も、数十年後にはこの世に居ない・・・要は、意味を成さないと言う事に成る。
要は、浮き草稼業が良いと言う方向に向かっている・・・・その現実が有るが、浮き草稼業だと、人が消耗品と言う事に向かう・・・・生きた証も無い・・・当然、証等も求めない、要は、我欲を享受できる之を望みだせば、単なる優秀な消費者・・・・良いお客様と言う事に成る。
お客????・・・・現代は買う人と成っている。要はお金を使うお客が良いお客と言う事に成る。これを目指す・・・当然、お客はお金が必要に成り、我欲が大きければ、それだけ多くのお金を求めだすことに成る。
要は、お金の奴隷と言う事に進んでいる。
私は、家の奴隷で良いと考えて生きて来た。己以外の、家族の為と言う思いが、我欲の為に生きるより、良いと言う思いが有ったからに成る。
しかし、その生き方をしていても、消費者であり、家族を守る思いで、買い続けた物が・・・・今では、負の資産と成ってしまった。
家族の為と言う、思いで、家を守る・・・しかし、子が巣立てば・・・守って居た筈の家が、負に成ると言う事・・・・
家でけでない・・・全てのものが・・・・意味をなさなく成って行っている。
大きな冷蔵庫・・・保冷庫・・等々も、家族が多く、数台あったが・・・今は、物入れに成っている。
有る芸人が「シャッターガラガラ」と店仕舞を言っているが・・・・シャッターを閉める程度では、事が済まないと言う事・・・・
広げた屏風は、たたんでしまう。広げた分、多くの作業が、しまう場合出て来る。
家も同じ・・・・たたむ準備に入る、時が来たと考えている。
商売も同じで・・・家督制度が無くなっているので、後継者不足が、有る。
理由は、己の為と言う、価値観の人が増え続けている事にも繋がる。
要は、極一部の独裁者に成るか???後は、多くの奴隷を輩出する、価値観と向かっている。
この価値観に陥ると、勝者は当然、独裁者に成り、敗者は奴隷と言う事に成る。
この理屈が強く成れば、勝者は独裁者で加害者・・・廃車は奴隷で、当然、被害者と言う理屈に成って行く。
この理屈が、現代の、平等等の論争にも入って来ている。悲しい事である。
私は、還暦を超えた・・・・終焉に向けて・・どう振舞うかが問われていると考えている。
多くの事を悩める・・感謝に成る・・・生かされている証拠とも言える。
先に逝った同窓の友は、それを悩める時間が、無かったに等しい、短い時間・・・勿論、短時間だったので、凄く苦しんだと思うが・・・それが感謝に成っていたら・・・幸せな人生だったと思える。
時間が与えられたと言う事は、多くを悩み・・・それを感謝に変える、時間も与えられたと言う事・・・・この環境に感謝と言う事にもなる。
人生を、登山に例える人が多いが・・・上る時間と、下る時間の、捉え方も大事だと思う。
勿論、己の人生の中で、何時からが、下山か???等々も、考える必要が有る。
後継者が居れば・・・作り上げた道を歩く継承も出来、もっと高い峰を目指す事も出来るが・・・現代は、居ない、高い峰・峰と進むわけにはいかない。
要は、上った山を下る、時が私は、還暦だと決めていたし、それまで寿命が有った事にも感謝に成る。
裸で生まれ、上り続けた・・・今度は、裸に向かって、下り続ける事に成る。
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