2019年2月11日月曜日

文明人・・・自立・・・・

文明人と言う言葉が有る・・・反対、非文明人と言う言葉も有る。

私は????と考えると・・・解らなくなるが・・・大きな括りで、国単位で考えれば、文明国家と日本国は言われているので、その国の国民である私は、文明人なのかも知れない・・・

文明人???・・・私の勝手な考えだと、多々の文明・文化をして知っている人だと私は考えている。

之が、意味する事は、多々の価値観等々も、許容できる器が有ると言う事にも繋がる。

之が本来の姿なら、非文明人さえも許容できる器が有る、国が日本国と言う事に成る。

逆に、非文明人とは、一つの価値観に縛られ、それ以外を求めきれない、受け入れられない、人達を言うと思う・・・


この二つの世界で・・・・・仮にその世界で自立出来ない人の、許容力は、当然、文明社会だと言う事に成る。

何度も書いているが、人は、失敗もするし、間違いも起こす・・・又大事な部分だが、其れを糧に出来る人も居れば、問題意識も無く、変化出来ない人も居る。

同じ失敗を繰り返す人・同じ間違いを繰り返す人が、居ると言う事・・・・勿論、其れを気付かせ、反省させようとする働きを周りがしても、本人は問題意識も無いと言う人も居る。

この様に、色んな人が集まっている、之が社会と成る。

非文明な社会なら、この様な人は、自立出来ないと排除に向かう、可能性が高い・・・其れでも足を引っ張るので、消す方向さえ出て来る。

しかし、文明的、社会なら・・・・この様な人を含みで、どう将来に繋げていくか???之が問われている。

仮に、家族で考えれば・・・・・非文明的、家族だと、育てきれないと親が思えば、捨て去る、之も有る・・・・しかし、文明的、社会での家族だと、共々に如何生きて行くかを考えるし、其れが出来る社会構造が有って、文明的と私は考えている。


しかし、昨今の、日本国の状況を、マスコミ等々の優秀な人が作っていると思える、情報で感じる部分は、非文明国家に進んでいるとしか思えない・・・一つの価値観で、正邪を決め・・・邪は排除・・・この様な、方向性へ強く成っている。

勿論、努力したが、当事者が反省しない、改善しないと・・・行って、排除方向に向かう・・・この努力も、一極の価値観から発した策に成っている。

表面は、文明国家だが、内情は、非文明国家へと向かっていると思う時が有る。

若し、この方向性が正しいと思って居れば、その逆の方向の人さえ、抱きかかえて進む、之が本来の姿だと思う・・・

若し、その様な人を排除しても、結果的に今度は、足を引っ張る人に成って行く・・・

目的に対して、逆方向の力に成る。

勿論、目的が何かで、その力加減も変わる・・・・・生きる・生き残る、共々に、之が究極に成る。

生き残る為に、多くの敵を作る、之が将来にとって良い事か????

この様な事さえ、解らない人も居るし、其れを如何、抱えて行くかに成る。

私は、何時も事件的問題が、発生する・・・・当然、誰かの失敗や・間違いから始まる。
今月末から、三男の問題が表面化すると思う・・・

その様な雰囲気が有るし、電話等で、他から入って来ている、当然、その処理は、本来、三男夫婦で処理する事だが・・・・出来ない、夫婦間で責任の擦り付け合いが始まる、之も現代の風潮・・・・
この処理も、結果的に、自立していない、子供を社会に出した、親としての私の責任に成る。

社会も、国も、世界も、家族と言う、小さな集団と同じ・・・・誰かが背負う、之が必要になるし、之が無ければ、家族さえ維持できないし、崩壊に向かう・・・

家庭崩壊は、地域社会の崩壊に繋がるし、国の崩壊にもつながる・・・最後は世界の崩壊に向かう・・・

利を貪り、負から逃げる、之が、現代の世界的風潮の価値観に成っている。

この意識が正しいと、成っていれば、国のリーダーも、之に従う方向に向かう・・・

私は、三流で、大きな世界は、想像でしか解らない・・・・しかし、小さな集団・家族この部分は、我家でも解るし、近場の周りの家族を見れば、解る。
この小さな、単位での様相が、国や世界に広がっていると思うと、昔から書くように、私には不安・危惧しかない・・・・

最後に、文明人とは、色んな価値観や文化を、知り・・・容認したうえで、どう方向性を示していけるかの振舞いだと考えている。




祭日

今日は、祭日・・・

この事さえ忘れていた。

五男が休んでいたので、何故と尋ねて解った。

社会人として、失格だと思う・・・・

最近は、お金を稼ぐ、仕事より・・・・もっと大事な部分、仕事が有るのでないかと考えている。

自己の為に生きる・・・・この価値観が蔓延しているので、他を探すのが難しい時代でもある。

有限的な自己・・この部分に、投資しても、最後は無に成るのは、誰でもわかる筈・・・何を得たかより、何をしたか、又は何を残したかが、最近 気に成る。

勿論、余裕が有り、自分の慾は全て、叶えれる力が有れば、尚更だと思うが、力が無い私でも考えている部分に成る。

今日も、孫守の最中に・・・・・掲示板のポスターの依頼に来られた・・・・手書きで粗方のイメージは作られていたが、其れをネットから、図や絵等々を利用して、作り上げて、プリントアウト・・・無事、終わったが・・・・之も、地域への貢献と考えて、喜んで行っている。

技術者・職人としてのレベルでいえば、利腕を事故の怪我で、思う様に使えないので、素人レベルに成る。

お金を頂ける、レベルで無いが、私で出来る部分は、出来るだけ協力を惜しまないで行っている。

孫の、玩具の修理も、当然、私が行っている。特に最近は、中華製なのか、直ぐに壊れるものが多い、その都度に、修理を行っている。

一人の孫は、ドライバー等々の名前まで覚えているし、修理屋さんと言いながら、遊んでも居る。

之も、私が後世に、残せるものだと考えている。

好きなら、その全を知りたくなる・・・・知れば、好きのレベルも変わる。
信頼も同じで、信頼したなら、全てを知る之が必要だと思う・・・・知った上で、どう振舞うか???之が、人の価値観等に成る。

よく、知らないで、信頼すれば、当然、裏切られた、又は騙されたと成る。

この、言葉に対しての、処置・・・この部分を確りしていれば済む問題が多々多いのも現代に成る。

言葉では、信頼・信用していると言うが・・・その当事者自身をよく、知らない場合が多い、簡単に書けば、肩書等々で、勝手に思い込んで、信頼・信用していると言う事に成る。

人の本体より・・・名札に当たる部分で、判断し、最終的に、人本体で、裏切られた・騙されたと成る。

本当に、信頼・信用を人、本体で判断しているかに成る????・・・・

私は、信頼や・信用に寄与する、肩書も無い・・・三流だと、言っている、・・・・この三流だから、三流以上を相手は、求めていないと思う・・・・・期待外れも少なく済むと考えている。

人を裏切らない、一番良い方法は、自分の評価を下げる事・・・・


子沢山の宿命・・・・之も楽しい・・・

昨日から・・・・孫守を行っている。
昨日は一人・・・・今日は二人に成る。

子供が成長し・・・世帯を持ち・・・・子どもを儲ける・・・・之が私は普通だと考えている。

その基数が、子沢山の私の場合、多い・・・・結果、孫が多くなるのも必然と成る。

この必然・当然・・・宿命だし、宿業だと、私は考えている。

しかし、宿命・宿業と耳に入ると、何か悪い・良くない事の様に感じる・・・人も居ると思うが・・・何事にも、表・裏が有る。


私達、夫婦も、爺・婆のポジションが強く成っている。立場で、変わる部分が有るのも当然だし、之も宿命や宿業と私は考えている。

この様に、人で変わる部分・・・千差万別になる。

しかし、最近は、何か基準が有り・・・其れに即した方向が良いと言う流れが存在する。

又、その流れに即しえない人も居ると言う部分が、薄い・・・・

本来、爺・婆の年齢に成れば、孫守等々も仕事に成る。之を無視して、棺桶に入るまで、社会の一線で、働けと現代な成っているし、その生き方に即しなければ、成らない風潮まで存在する。

勿論、爺・婆にも余力が無ければ、孫守等々出来ない・・・この余力を別に使える、之が現代に成っている感じさえする。

当然、人は慾の塊・・・この余力を自分の為に使う事を願い、其れが出来ない事を不幸と捉える、価値観まで蔓延している。

私は、当然の事、当たり前の事と捉えて、孫守をしている。当然、悪さをするし、騒いで、耳が痛いが・・・之も、楽しみに変える事が出来る、年代と私は考えている。
この様な事を、煩い、嫌だ・・・面倒だ・・・最後はしたくないと成る、価値観が蔓延すれば、当然、若者は子育ての大変さに潰される可能性が有る。

この部分も、お互いさまだし、少しは長く生きていれば、経験値も有るし、耐用力も有る筈。

何度か、書いているが、宿命や宿業を楽しむ、之が人生だと考えている。

この部分が多い事は、する事が増えるし、この事は退屈さが減る方向に成る。
生きる事に退屈を感じれば、刺激・危険を求めて、さ迷う人生に成る。
この生き方が、格好良い、幸せだと思わせる、価値観が蔓延している事が私には不思議である。

狭い、範囲だが、家族・親族等々と、少し広げて行けば、必ず、背負うべき人が居る・・・其れを一族内で、処理・カバーして行けば、社会は円滑に動き出す。

その部分を探そうと居ない・・・結果、退屈で、刺激・危険を別に求めている。

本当に力が有り、包容力が有るなら、先ずは、子供・親だし・それと同じくらい連れ添いの人、妻や夫を、どう守り抜くかにも成って行く・・・・

しかし、世間的に、力が有りそうな人が、この様な部分を直ぐに捨てる方向性が有る様に現代は思う。