2019年2月11日月曜日

子沢山の宿命・・・・之も楽しい・・・

昨日から・・・・孫守を行っている。
昨日は一人・・・・今日は二人に成る。

子供が成長し・・・世帯を持ち・・・・子どもを儲ける・・・・之が私は普通だと考えている。

その基数が、子沢山の私の場合、多い・・・・結果、孫が多くなるのも必然と成る。

この必然・当然・・・宿命だし、宿業だと、私は考えている。

しかし、宿命・宿業と耳に入ると、何か悪い・良くない事の様に感じる・・・人も居ると思うが・・・何事にも、表・裏が有る。


私達、夫婦も、爺・婆のポジションが強く成っている。立場で、変わる部分が有るのも当然だし、之も宿命や宿業と私は考えている。

この様に、人で変わる部分・・・千差万別になる。

しかし、最近は、何か基準が有り・・・其れに即した方向が良いと言う流れが存在する。

又、その流れに即しえない人も居ると言う部分が、薄い・・・・

本来、爺・婆の年齢に成れば、孫守等々も仕事に成る。之を無視して、棺桶に入るまで、社会の一線で、働けと現代な成っているし、その生き方に即しなければ、成らない風潮まで存在する。

勿論、爺・婆にも余力が無ければ、孫守等々出来ない・・・この余力を別に使える、之が現代に成っている感じさえする。

当然、人は慾の塊・・・この余力を自分の為に使う事を願い、其れが出来ない事を不幸と捉える、価値観まで蔓延している。

私は、当然の事、当たり前の事と捉えて、孫守をしている。当然、悪さをするし、騒いで、耳が痛いが・・・之も、楽しみに変える事が出来る、年代と私は考えている。
この様な事を、煩い、嫌だ・・・面倒だ・・・最後はしたくないと成る、価値観が蔓延すれば、当然、若者は子育ての大変さに潰される可能性が有る。

この部分も、お互いさまだし、少しは長く生きていれば、経験値も有るし、耐用力も有る筈。

何度か、書いているが、宿命や宿業を楽しむ、之が人生だと考えている。

この部分が多い事は、する事が増えるし、この事は退屈さが減る方向に成る。
生きる事に退屈を感じれば、刺激・危険を求めて、さ迷う人生に成る。
この生き方が、格好良い、幸せだと思わせる、価値観が蔓延している事が私には不思議である。

狭い、範囲だが、家族・親族等々と、少し広げて行けば、必ず、背負うべき人が居る・・・其れを一族内で、処理・カバーして行けば、社会は円滑に動き出す。

その部分を探そうと居ない・・・結果、退屈で、刺激・危険を別に求めている。

本当に力が有り、包容力が有るなら、先ずは、子供・親だし・それと同じくらい連れ添いの人、妻や夫を、どう守り抜くかにも成って行く・・・・

しかし、世間的に、力が有りそうな人が、この様な部分を直ぐに捨てる方向性が有る様に現代は思う。

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