2019年2月10日日曜日

尖った、一極が正しい????

私は、何度も書いている様に、人は多様性が有るし、色んな個性が有るし、色んな価値観が有る。

又、人間としての基本は、間違いも起こすし、失敗もする。

之を前提で考えているし、この様な人達が、活躍出来る、包容力が有る、社会を望んでいる。

しかし、最近は、全てが究極に向かう、狭い方向、尖った方向の、一極に向かって居る事が正しい・・・・・この方向性に進んでいる感じがする。

考えようでは、人が神に成ろうとしているが、その神が一極・・・・結果、多々の神が要るし、その神同士が、いがみ合い・・・・俺が強いと・・・之が正しいと、振舞う、之が当然と成って来ている。

強くて、神で有っても、何が良いのか???・・・・・自己中の神が多く、利己主義の神が多くて、何を産むか、私は争い、簡単に書けば、人の殺し合いしを推奨しているとしか思えない。

本来、神なら、利他主義者で有ると、私は、イメージしている。
人間でも、「敵に塩を送る」之が、日本人の心だと、信じている。

現代の価値観は、優秀な人は、尖った一極に長ける人を言う事が多い・・・私は単に凄い人、限られた範囲で凄い人と考えている。
間違っても優秀とは思わないし・・・・

之も、一つの個性だと考える・・・・

色んな個性が有る、出来る個性・・・出来ない個性・・・之が人で有るし、人間だと私は考えている。

仮に、尖った一極の、神が多々居る世界が、住み易くて、争いが無い世界か????イメージできない私が居る。

厳然と、出来ない個性も存在しているし、この個性を認めないと成れば、出来る個性も認められない世界に向かい・・・結果的に、人の繋がりが、無くなる・・・

要は、利が有れば、負も有る・・・・之を認めきれる、又は、許容できる、人間を作る事しかないと私は考えている。

有る人が言っていたが、勝者は、多々の敗者を作る・・・之を称賛する事が本当に正しいのか???と言われた事が有る。

少し、イメージを広げれば、地獄絵図に近いと思えて来る。

要は、敗者にも称賛する、感謝できる、人を作る事に成る。

仏教思想には、蓮華思想が有る、蓮の花は・・・濁った、泥の中で、根を張り、ドブを浄化し、其れを糧に、茎を伸ばし、水面で葉を広げ、花を咲かせる・・・

澄んで綺麗な、水、又は、砂地ではハスは育たない・・・・

起点が、ドブ・・・之が大事だと私は考えている。間違っても、澄んだ上水では育たない為に、種は、当然、ドブの底の泥を目指し、落とす・・・・・

不思議だが、浄化を続けているが、ドブが存在し続けるから、ハスの生きる場所が有る。

之が人が生きる世界だと私は考えている。

濁す、この様な作用を起こす、之が有るから、生きれると言う部分が有る事に成る。

仮に、自分をハスと考えれば、先ずは根を張る場所を探す事に成る・・・・当然、澄んだ上水の部分には無い、目指す場所は?????・・・・

この思想が、私に無かったなら、何度も死んでいて当然、価値観が現代の価値観に成っている。

色んな、問題に気付き、其れを誰が処理するか????当然、自分と成る。

その為には、ドブに向かうしか無い・・・・

綺麗事では事は、成就出来ない・・・・理屈や策では、不可能だと私は考えている。

西欧では、よく悪魔に心、命を売るか・・・この方向が、現実社会で良い思いが出来る・・・お金本位主義の世界なら、その方が良いと成る。

意味する事は、人類が滅びる方向に成るし、生物界の頂点なら、全てを滅ばせる可能性も出て来る。



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