五男の受験・・・志望校も滑り止め校も大牟田市に成る。
今日、嫁から聞いた話だと・・・・・私の初孫も、先願で大牟田の高校に入学する事が決まっているとの事・・・その孫が、五男と同じ市で又、会えると喜んでいるのと事・・・
孫は、長男の子に成るが・・・離婚した為に、妻と別れた時に、孫とも別れた形になっている。
しかし、女一人で二人の子を育てる、大変だと思うし、何か機会が有れば、孫達を私たち夫婦が看ていた。
孫が小学五年生に成るまで、我家で、金曜日の夜から日曜日の夜まで、看るのが当たり前に成っていた。
当然、私の子供、四男・五男と共に、過ごしていた・・・兄弟の様に感じていたと思う。
しかし、血縁で言えば、叔父と姪の関係に成る。
又、孫が、高校になったら、我家に遊びに来ると言っているとの事・・・爺婆には嬉しい話になる。
私から見れば、子供の勝ったな都合で、別れる・・・当然夫婦間は、血縁で言えば、義理が付くが、赤の他人・・・・しかし、その子の孫は、確りと血縁関係が有る。
若い時は意識しないと思うが・・・血は大事さが解って来る。
特に、歳を取ると、血の影響が大きく出てくる。
親族間の縁は無いのかも知れないが・・・血の繋がりが有る。
私は、異端児だから思うのかも知れないが・・・自分外の人との縁、これが欲しいと思っている。繋がりが有る事が、結果的に私には良い方向に、向かわせていると考えている。
結局は、悪いのは私と考えれば、人を恨むこともない。
自分は劣っている。だから、精一杯に頑張り続ける。
この姿を見ているためなのか・・・次男夫婦も、長男と別れた二人の子を、陰ながら見守っているし、当然、三男・四男・五男と、この思いが有る。
長男は当然、親として、思いも有るが、別れた責任、また再婚した、今の家族の事もあるので、表に出せないでいるが・・・何か有れば、関わり続けているようだ。
長男は19歳で親になった、その子が高校生に成る。若しかすると、ひ孫を見るのも、先の話でない可能性が有る。
嫁の里の、お袋も・・・初のひ孫の、成長した姿を見たいと言っている。
色々、私も宿題が増えるが、その答えを出すために、頑張るしかない。
2019年3月8日金曜日
力の意味・・・色々有る・・・
力と言うと・・弱い・強いという判断が有る。
勿論、人の数だけ有ると思うし、何を力と考えているかでこの部分の変わる。
昔、実子から・・・「なんで、親父は、色んな所で頭をペコペコ下げる」と聞いたから、何か悪い部分があるのか???と尋ねたら「恰好が悪い、弱いイメージに見える」等々、言う・・・・弱い事が悪いか???良いかは???各自で違うと思うが・・・仮に弱い事が悪いなら・・・頭を下げる行為になぜ、弱いと成るのか???と聞くと答える事が出来なかった。
今回、五男も受験の為に昨日は面接に行っていたが・・・・仮に受験に受かる事を勝つ考えれば、落ちた人は負けとなる。
若し、勝つためにと言う目的で、自分自身を鍛錬する、これが不通と私は、考えるが、この部分を行わず、勝つ為の策を試みる・・・この部分が、私は解らないが、人の本能として現前に有る部分になる。欲に対してと言う事になる。
若し受かりたい欲で、勉強のしなければ、不戦勝を願う方向に向かう・・・・共に生きる、これが人間だが・・・己だけと成る価値観が強ければ、当然、不戦勝が楽だし、簡単に勝つ方法となる。
この策に長けているのが、一流となれば・・・本末転倒の世になると言う事になる。
少し脱線したが・・・共い生きるから、謙虚さが必要と言うのが私の考えになる。
この人としての基盤を確り身に着ければ、恰好を気にすることもないし、有りの儘で生きれる、結果、敵が減るし、益々、虚栄を張すことも要らなくなる。
逆に、基盤が弱く・・見栄を張って生きれば、当然、無意識に怖いという部分が有るし、対外的に対応の部分も力と言う方向に向かう。
簡単に書けば、この場合の力は、直接的・間接的…武力に対しての力になる。
私は、今世紀は、アメと鞭の時代は終わったと考えている。
人心統制術とあるが、世の中のシステムはこの方向に成っている。
同じことだが、大きい理想を言うなら、それに伴う力が必要と言う、考えも有る。
この流れで、結果、世界を見れば、混沌としている。
結果、力が全て、武力が全てと成る。
唯、この世に生まれ、淡々と営み・・・死んで行く、この普通の事が現代は出来ない価値観が蔓延している。
少しでも勝、この意識が、損得勘定の一方向への流れ等々を生んでいると私は考えている。
勿論、人の数だけ有ると思うし、何を力と考えているかでこの部分の変わる。
昔、実子から・・・「なんで、親父は、色んな所で頭をペコペコ下げる」と聞いたから、何か悪い部分があるのか???と尋ねたら「恰好が悪い、弱いイメージに見える」等々、言う・・・・弱い事が悪いか???良いかは???各自で違うと思うが・・・仮に弱い事が悪いなら・・・頭を下げる行為になぜ、弱いと成るのか???と聞くと答える事が出来なかった。
今回、五男も受験の為に昨日は面接に行っていたが・・・・仮に受験に受かる事を勝つ考えれば、落ちた人は負けとなる。
若し、勝つためにと言う目的で、自分自身を鍛錬する、これが不通と私は、考えるが、この部分を行わず、勝つ為の策を試みる・・・この部分が、私は解らないが、人の本能として現前に有る部分になる。欲に対してと言う事になる。
若し受かりたい欲で、勉強のしなければ、不戦勝を願う方向に向かう・・・・共に生きる、これが人間だが・・・己だけと成る価値観が強ければ、当然、不戦勝が楽だし、簡単に勝つ方法となる。
この策に長けているのが、一流となれば・・・本末転倒の世になると言う事になる。
少し脱線したが・・・共い生きるから、謙虚さが必要と言うのが私の考えになる。
この人としての基盤を確り身に着ければ、恰好を気にすることもないし、有りの儘で生きれる、結果、敵が減るし、益々、虚栄を張すことも要らなくなる。
逆に、基盤が弱く・・見栄を張って生きれば、当然、無意識に怖いという部分が有るし、対外的に対応の部分も力と言う方向に向かう。
簡単に書けば、この場合の力は、直接的・間接的…武力に対しての力になる。
私は、今世紀は、アメと鞭の時代は終わったと考えている。
人心統制術とあるが、世の中のシステムはこの方向に成っている。
同じことだが、大きい理想を言うなら、それに伴う力が必要と言う、考えも有る。
この流れで、結果、世界を見れば、混沌としている。
結果、力が全て、武力が全てと成る。
唯、この世に生まれ、淡々と営み・・・死んで行く、この普通の事が現代は出来ない価値観が蔓延している。
少しでも勝、この意識が、損得勘定の一方向への流れ等々を生んでいると私は考えている。
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