力と言うと・・弱い・強いという判断が有る。
勿論、人の数だけ有ると思うし、何を力と考えているかでこの部分の変わる。
昔、実子から・・・「なんで、親父は、色んな所で頭をペコペコ下げる」と聞いたから、何か悪い部分があるのか???と尋ねたら「恰好が悪い、弱いイメージに見える」等々、言う・・・・弱い事が悪いか???良いかは???各自で違うと思うが・・・仮に弱い事が悪いなら・・・頭を下げる行為になぜ、弱いと成るのか???と聞くと答える事が出来なかった。
今回、五男も受験の為に昨日は面接に行っていたが・・・・仮に受験に受かる事を勝つ考えれば、落ちた人は負けとなる。
若し、勝つためにと言う目的で、自分自身を鍛錬する、これが不通と私は、考えるが、この部分を行わず、勝つ為の策を試みる・・・この部分が、私は解らないが、人の本能として現前に有る部分になる。欲に対してと言う事になる。
若し受かりたい欲で、勉強のしなければ、不戦勝を願う方向に向かう・・・・共に生きる、これが人間だが・・・己だけと成る価値観が強ければ、当然、不戦勝が楽だし、簡単に勝つ方法となる。
この策に長けているのが、一流となれば・・・本末転倒の世になると言う事になる。
少し脱線したが・・・共い生きるから、謙虚さが必要と言うのが私の考えになる。
この人としての基盤を確り身に着ければ、恰好を気にすることもないし、有りの儘で生きれる、結果、敵が減るし、益々、虚栄を張すことも要らなくなる。
逆に、基盤が弱く・・見栄を張って生きれば、当然、無意識に怖いという部分が有るし、対外的に対応の部分も力と言う方向に向かう。
簡単に書けば、この場合の力は、直接的・間接的…武力に対しての力になる。
私は、今世紀は、アメと鞭の時代は終わったと考えている。
人心統制術とあるが、世の中のシステムはこの方向に成っている。
同じことだが、大きい理想を言うなら、それに伴う力が必要と言う、考えも有る。
この流れで、結果、世界を見れば、混沌としている。
結果、力が全て、武力が全てと成る。
唯、この世に生まれ、淡々と営み・・・死んで行く、この普通の事が現代は出来ない価値観が蔓延している。
少しでも勝、この意識が、損得勘定の一方向への流れ等々を生んでいると私は考えている。
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