2023年6月18日日曜日

限界を超えた!!!・・・・

 少し体調が良いので・・・仕事車のハイゼットの掃除と思い、車に乗り込むと凄い状態、以前に増して、ゴミ箱状態・・・・弁当のタッパ・食べかけ等が運転席足元まで散乱している。

又、ペンキ等を、リアの椅子を収納せずそのまま載せているので、ペンキでシートがベトベト・・・・

私の今の体で掃除できるレベルに出ない・・・・何度も四男も言っているし、一緒に働いている友達にも同じことを言っている。

片付けろ!!!ゴミ等は、コンビニ袋が有ると言う事はコンビニに寄っているのでその都度、捨てろ!!と・・・・返事は何時も、「ハイ」「解ってす」「以後、気負付けます」だが、結果は、ゴミの散乱状態が酷い方向に向かっている。

今は、仕事仲間に車を貸しているようだし、四男が散らかしたとは思わないが、それでも、借りたら、借りる前より綺麗に返すのが私の考え・・・当然、レンタカーも同じ・・・・・・私の車は、無料で貸している。

保険代・車代も私が支払っている。又、月に何度もガソリンを満タンにしている。勿論、私が乗る事は無い・・・・

この様に、配慮をして貰っているなら、恩を感じて、それ以上な恩の返しが必要だが・・・最近は、この傾向でない・・・・

その都度、片付けろと叱ると、俺がしたわけでないと言い出す。要は、今すぐ結果を求めると、責任転換・・・・時間を与えると「ハイ」「解りました」と成る。

本来、申し訳ない、御免なさいと言う、言葉が直ぐに口から出るのが人間だと私は思うのだが・・・最近は、己が悪くても無理やり他に責任転換して「御免」と言う単語を死んでは発しないと言う、人も増えている。

人として最低だと私は思う、当然、差別主義者の私だから、言える言葉と思うが。

要は、人の姿をしているが、人以下のレベルの人が居る。機能や知能と言う部分でなく、性格的に、人間と言えない、個に執着し、最終的にお金の奴隷として生き続ける人たちに成る。

これに何故、気付かないのか????不思議でならない・・・

今日は、嫁が夜勤の為に、私が全ての責任者に成る。

当然、私は体調も悪いので、早寝だから、珍しく、9時には戸締りしたいと考えている。それ以降に帰ってきても、要は家に入れないと成る。

勝手気ままに生きる、その面倒を看るのも大変である。

勿論、出来る能力が有る間は、可哀そうにと出来るが、今の私のはその能力が無い・・・・・それは、家族が、解っているはず。

打ち出の小槌が、急に叩いても音がしない、状態に成ったと言事に成る。

人間だから、毎日、瞬間的に変化する。当然と申し、又、それが人様も同じと思う。

四男にも五男も、電話で理由は説明ている。己に非が有ると思うなら、直ぐに対処するのが、人間・・・放置して、知らん振りして、最終的に、親から虐められた、家に入れてくれない、車を貸してくれない等々、強いだす事も解っている。要は、幼子と同じ、幼稚だが、体は大人と言う事・・・・


胸の痛み・腰の痛みが軽減・・・

 コルセット???サポーターの効能なのか????・・・・腰から胸にかけての痛みが軽減している。

サポーターを外しても、何故か、痛みが無い・・・不思議だ、姿勢が強制的に矯正された為に、痛みが減った可能性が有る。

今までは、前かがみに自然に成っていた。体が巻くと言う症状・・・・背筋がピンとした感じがする。プレゼントしてくれた嫁に感謝に成る。

16日は父の命日・・今日は、ニューギニアで戦死した伯父の命日・・・

この間に、私には、良い兆しが~~~~と思える。

現代、己の親の命日も忘れたと言う人も多い・・・・本来、私もその傾向の人間である。

だから、毎日、過去帳に目を通す事を行っている。この中に、我家の先祖の人々が記載されている。当然、見た事も縁したことも無い人たちが多いが、私の祖先に成る。

この過去帳も、以前は、他人事の様に思っていた時期もある。しかし、最近は、此処に順序だと私が記載されるのが次に成るし、この流れが正常と思えるし、当然の事だから、この過去帳も子孫に継承しなければと思って居るが、時すでに遅しである。その様な、教育を幼い頃からしていない。

後悔後に絶たずである。

何ごとも捉え方、継承・・・バトンの継承と似ているが・・・このバトンの捉え方が、大事だと私は考えている。

最近、私はバトンは生きる意味だし、生きた証だと、感謝している。

しかし、昔は、爆弾の様に感じていた。要は、先人からの義務や責任の重さに、爆弾の様に感じていたし、逃げたい・・・要は、バトンを受け取らないと言う意識が強かったし、それが、自由に生きる意味だとも思って居た。

勿論、バトンを利と考え、お金と考える人んの居るし、バトンを受け取ってからお金として、使う人も居る。

要は、バトンの継承がこの時点で終わりを告げている事に成る。

先に書いた、バトンを受け取らないも同じで、継承の断絶の意味に成る。

要は、文化や歴史を、継承しない・・・・・が・・・・得・利に繋がる部分は利用する。この様な生き方が、一般化すれば、全ての負が蓄積しだす事に成る。要は、利と負の二極化に成る。

全てが大きく離れた二極化を、何故か、一流で優秀で平等や人権と口から吐く人達が創り上げている様に私には感じられる。

勝ち負けも、優劣も、相手が居て、思える部分・・・人様が居なければ、この感覚も意味を成さない・・・要は、人様が居る、大事だと言う事だと思うが・・・何故、ドングリの背比べを無意識にしてしまうのか???

ドングリ同士は少々の違いが問題に成るが・・私の目からだと同じドングリにしか見えないし、少々の違いも気に成らないと思う。

私は自称、差別主義者と己を言っている。区別も優先順位も厳然と己の中に有るし、持っている。これを、私は当然の事だし、動物だから道理だと思ってる。

しかし、それさえ許されない、平等と言う意味に現代は向かっている。

この様な世の中に成るなら・・・子供は当然、社会の宝として、全ての人が子育てに参加、協力する方向に成る時と思うし、実子だから等々も差別用語に成ると思う。全ての人が子育てを行う時代に向かっている事に成る。

我が子・他人の子と、区別も優先順位も言えない世界・・・怖いと私は思う、理由は、機械的だし、コンピューターが支配した世界に思えて、人間味が無い、世界に感じてしまうが、それを人々は求めているので、自称平等主義者の振りをして、出来ない事さえ、頷いている。

これが、社会の形成しているので、何が真実かが見え難くなっているし、益々、言えない世界に向かっている。平等で自由に向かってる思えていても逆方向に向かってることに成る。

怖い・怖い・怖い・・・これが、私が身で感じる、思いである。