2019年9月12日木曜日

目には目を・・・

物事に対して、勝敗論を用いてしまう事が有るが・・・何がと言う目的を忘れがちになる。

若い頃・・・営業を行っていた・・・同業他社も、同じお客さんにアプローチを掛けている。
零細企業だった為に、正直勝負に成らないと思う事も多々あった。
又、我社の社長とも何時も喧嘩をしていた為・・・営業成績を見せつけたいという欲も強い・・・
気持ちは強くあるが・・・現実の力は・・・同業他社に比べ全て劣っていると思うと、気持ちも弱まる方向に成る。

しかし、売れる時が有る。当然、勝ち誇った振舞いで自社に帰る・・・社長から営業に何を使ったと聞かれ、カタログ・名刺を使ったと、言うと・・・お前の成果で無いと言われ、又喧嘩・・・・この繰り返しで・・・何も持たないスタイルが私の営業に成る。

要は、営業として武器と思える物を全て捨てる。この事で、他社の肩書やスケール等々も気に成らなくなった。

この時、気付いたことが・・・勝負・相撲は誰と取るのか????、以前は同業他社との勝負と言う部分が強く、自分は幕下、相手は横綱・・・勝訳が無いと思っていた。

本来は、お客さんと取る、相撲に成る・・・又、その土俵は、お客さんが好む土俵でに成る。

同業他社の、横綱が好む、土俵で相撲を取ろうと考えていた・・・私の無知にその時気付いた。

しかし、このお客さんに土俵を作らせる・・・方向は、会社が求めている、利益・儲けに繋がらない場合が多い・・・売る側が決めた物を売る、これが営業とも言われていた。
しかし、零細な会社、売りたいものも手に入らない・・・有るものを売る事に成るし、儲けが少ないなら、少ない儲けでも運営できる会社組織なら・・・良いと考える様になる。


営業初心者の時は、目には目をが、社会の構造と思っていたし、これが出来るのも、力の後ろ盾が必要と考えていた。

力が有るという、思い込みが・・・目には目を・・が肯定できる人に成る。

力が無い立場は・・・この法則では、直ぐに滅びると私は考えている。

この部分が解ると、目には目をが正しいと思って居る人達に対しての、方策も解るようになる。

一度、全て見える範囲では負けの、営業活動が有った。
何年も地道に伺い、世間話等で、繋いでいたお客さん・・・見積値段・会社の規模、全てが負けていた。
買主の、社長が、競争している業者を全て、集められ・・・・正直に見積内容等々を、口頭で言われ・・・条件等々全て、勝っていた、業者が「買った!!」と席を立つ・・・
私は、悔しいが仕方が無い・・・社長にお礼と、又、伺う事の許しを得て・・・・玄関を出ようとしたら・・・・最後に決断するのは、私自身・・・お前に決めた???私は理解できなかったが・・・私と成った、強く記憶に残っている。

営業は、人を売る仕事だと私は考えている。人が扱う物を結果、買って頂いている。

しかし、この様な経営者も今は少なくなって、若い世代が社長と成っている。
当然、先代の社長とは価値観も大きく違っている。

数字以上のものを、見ておられた人達から・・・数字が全ての人に成って行っている。

若し、目には目を、恩には恩で返すに置き換えれば、意味が解ると思う。
目には目は、唯物的部分に成る・・・恩には恩は、唯心的部分が多い・・・・

数字を追うという事は、現状の数字以上を良しと考える価値観に成る。

本来、物も、各自の感覚で大事さが違う・・・之を理解していない事にも成る。
全て数字で括ってしまうし、正しいと思っている。
しかし、数字ほど、改ざんが出来るものは無い。
当てに成らないという事だし、数字が高いから幸せとも言えない事は誰しも解るはず。




修理完了・・・

水没した機械の修理・テスト・・・完了・・・

後は、電気ケーブル等が・・・粗雑に成っているので、納品時に、確り、整理してに成る。

リース会社の、動産保険等の窓口に、無知の為に、色々と問い合わせしているが・・・
数万の部品代・・・・殆どが、掃除等々とテスト作業で時間を費やしているし・・・お客様に迷惑を掛ける訳にもいかず。代替え機や、数度の来訪代も有るが・・・
この様な部分は請求がし難い、状態になっている様だ・・・
結果、全損扱いの方が、確り利益も取れるし、利益が有れば、お客さんへのサービスも可能に成る。

本来、水没・・・海水と違い、真水・・・泥等の汚れも、水洗いで取れる。
後は、確り、水分を取って、注油で、殆どが直る。

私も昔4×4のクローラー的、車に乗っていたが・・・・冠水している所を好んで、走っていた。足元に水が入って来ても、面白いと走っていたが・・・その後、それが原因で問題に成った事は無い。

車の座面シートより、水嵩が増せば、問題とも思うが・・・それ以下なら、大丈夫だと私は考えている。
勿論、水の状態にもよる・・・・

しかし、この程度が、全損と成るなら・・・・車両保険等を加入している人は良いが・・・そうでない人はどうなるかになる。

一般的・普通は廃車・全損と言う車・・・新たに買い直す余裕が有れば良いが・・・私の場合、無理なので、普通を曲げて修理して下さいと成る。

しかし、火災等の危険度が増す・・・之を受け入れてくれる業者は????・・支払い能力が無いと言うのが解っている状態で・・・断る業者が普通に成る。

しかし、現実は、全損した、機械等々は・・・色んな保険屋に知り合いが居るが、買取センター等に持って行き、お金に換えているとの事・・・
買い取る業者は・・・当然、修理してお金が稼げると成る。

結局は、末端の立場はお金が必要と言う事に成るし、それで儲かっている人が多々居ると言う事にも成る。

しかし、この行為はメーカー等から良いとは言われない、修理に成る。
物が無くなれば、必然的に物が売れる。

よく、災害等で被害額が出るが・・・その金額が結果として儲かる人に行く事も有ると言う事・・・・

今回の修理、若しかすると、保険等で私が流した対価を頂けない場合が有るが・・・結果的に、お客さんの役に立ったと考えている。
全損で新たな機械を、入れた場合・・・要は今から、サイド、リース期間の間支払いを続ける義務が出る。
現状の機械を使えば・・・数年で支払い義務は終わる。

特に私の場合、零細企業のお客さんが多い・・・当然、金銭的に余裕は無い・・又、景気の低迷で年々、売り上げた減っている・・・この様な会社が新たにリース契約が出来るかも判らない・・・リース審査で落ちれば・・・現金で買う事に成る。
保険は???と成るが・・・全損で今まで使用の機械のリース残金を補填すると言う流れ
・・・・
全損で、リース支払いが終った・・・今後は新たな契約に成る。

仮に、勿体無いと・・・再リースしていても・・・修理代が、再リース代より高いなら、当然、全損と成り支払いが終るだけ・・・・

リースは、保証が有ると思われている。しかし、リースの残金以上の修理代は当然、全損が安いと成る。
新たな機械が来るとは無い・・・新たな契約をして購入・その支払いがリースと言うだけ・・・

例として、リースの残金が10万・・・半年後には支払い義務が無くなる・・・当然、修理代は、10万以下で無ければ成らないが・・・殆どの場合、全損と成る。
結果、半年10万円の10倍のお金を払い続ける、リース契約をして新たな機械を購入する事に成る。
当然、審査が通った場合に成る。
審査がNGになれば、当然、現金で買う事に成る。

当然、保険が無ければ、それ以上の被害額に成る。

私が、発電機等を持っている理由が・・・色んな保険等に入っていても、痒い時に手を差し伸べてくれない。

天災は何処で起きるかもわからない・・・保険は最後の砦で有って・・そのとき何が必要かを考えているからに成る。

我家で確保できるもの????何もない・・・無ければ、その対処を考える事に成る。
当然、三流でお金も無い・・・無い状態で何が出来るか・・・
レンタル会社の払い下げの安い発電機を、20年持っている。
当然、利用した災害は2度ほど・・・
電気が無ければ・・・何も出来ないのが現代の生活に成っている。

何かが有った場合、頼れるのは自分しかない・・・当然、安全もお金が有れば、買える部分が多いと思うが・・・無くても、出来る部分は平時の時に買いそろえている事だと思う。


優越感・・・

優越感と言う言葉が有る・・・逆に劣等感と言う言葉も有る。
意味は当然、誰しも解ると思うが・・その意味に対して・・どう感じて振舞うかが人に問われていると言う事にも成る。

優越感を感じたら、当然、感謝の念がでる????・・・感謝の念が有れば、当然、劣等感を感じる人達に施しをする????
等々の、思いも出て来ると思う。

しかし、努力や行動の結果の優越感なら、この流れは解りやすいが・・・当然有るべき優越感・・之を権利と捉えている人も、居る。

人種差別が当り前だった時代・・・白人本位主義の世界で・・・白人の人は個の立場、優越部分は与えられた、権利と思っていた。
当然、有色人種は力も無く、知識も低く・・・家畜と同じと思われていた時代に成る。
動物だから・・自己保身の為、利己の為には、努力もする。この程度の哲学しか持たない・・・動物に近い下等な人間と言う、考えに成る。

しかし、白人世界から見れば、極東、未開の中の未開と思われた、地域が一気に世界に認識される、国と成る。
第一次世界大戦後・・・日本人は、名誉白人格の資格を得る事に成る。

当然、肌の色が違う・・・白人世界では異質な存在、振舞い・努力の結果の名誉格・・・・色眼鏡で見られる状態が、普通だったと私は考えている。

先に書いた、自分の努力や振舞いで、得た地位・優越感が有ったと思うが、それ以上に責任感・義務感も増す事に成ると思う。

当然と思っている権利の白人と、額に汗して得た、立場とは、意味が大きく変わる。

本質は、人の底辺に有る、宗教観もこの部分で影響しだす。

有色人種でも、白人と同等の立場に成れる・・・勿論、苦労も、苦悩も多々有ったと思うし、それが・・責任と義務を気付かせることに成る。


仮に、白人社会の人達は、現状の立場は権利だと思っているとする。そこへ、努力・振舞いの結果、有色人種が入って来る。

苦々しい、気持ちが有ると思う・・・しかし、その分の振舞いが有るから、仕方なく認めてやる・・・この方向に向かうのは当然・・・
要は、我々白人側に、従順に振舞えと言う前提が必要に成る。

しかし、その様な振舞いをしなければ、理由はともかく、敵対行動を取ったと捉えられる事に成る。

之が、第二次世界大戦への切っ掛けと言っても良いと私は考えている。

要は、力とは、理屈等々を必要としない、自分の思う通りに成る之が力と言う、考えも厳然と有るし、今の日本人の中にもこの考えの人が居る。

人種差別の時代に、白人に何故、そんな振舞いが出来るのか???と質問して、答える人も少ないと思うが、当然と言う部分、理由等要らない、あえて答えるなら白人だからと成る。
又は優秀な種族だから・・・神から選ばれた種族だから・・・この様な理屈に成る。

何度も書くが、優秀で、神から選ばれた種族なら・・・神の意志は何か・・・人を救えと成るが、人の括りが、白人だけとなる・・・・・

この傾向に向かい易いのが、一神教の世界に多い・・・
勿論、哲学無き、生き方を知れいれば、これ以上に加速すると思う。

謙虚と言う言葉が有る。
私の名に、この謙を授かっている。
心の起点も持ち方に成ると思う。
私は無知だ・・だから教えて下さいと学ぶ振舞いだと私は考えている。
世間では、頭が低いや、立場が高いのに、耳を傾ける等々有るが・・・
レベルの高い人が取れる行動だけを言っている訳では無いと私は考えている。
市民以下の三流の私でも、知って居ると思ってても、知らない事が多々ある。この部分に気付き・振舞う事が出来るかが大事だと考えている。

知らない事さえ気付かず・・振舞う、これを傲慢と言う・・・
何故、出来るか、先に書いた、己は優秀でエリートだから、権利が有ると言う振舞いに成る。

この様な人には、間違っている事でも、その人が喜ぶ事をしてやらないと、一気に下等動物的な扱いを受ける事に成る。

要は、独裁者的、価値観が、強くあると言う事に成る。
当然、人間、私にも有る。それを抑制する為にも、色々学ぶ事が大事に成る。

若し、現代の日本国の優秀で一流と言う人は、この独裁的、命が強いから得た、レベルとすると、怖い事に成る。

独立して、一個の人間として、確り自立して立つ事だと考えている。
又、他人と比べる必要も無いと思うし、要は何が、出来るか、奉仕できるかが大事だと考えている。

勿論、私の三流の分でに成るし、影響力は少ないと思う・・・


人のモラルまで・一極へ???

最近の情報の進む方向は???・・・何度も書くが一極に向かっている感じがする。
私の感覚に成る為に・・・三流の感じ方なのかもしれない。

モラルと言う部分も・・・この傾向がある。

時と場合・・又相手で・・・対応が変わる・・之が私は普通と考えている。
しかし、モラルと言う括りで対応まで、これが正しいと言う方向性が有る感じがする。

何故か????法的優位を維持する為だと思う。
本来、法律等々考える必要は無いと私は考えている。
社会で確りしたバランス感覚を持っていれば、問題も起き難い・・・と思う。
しかし、何事も勝つ・負けない・得する・・この様な感覚の人に多いのが、法律に乗っ取っていれば・・良いと言う感覚・・・

世の中で生きて行く上で・・・何故、勝・負けない・得する・・損しないが最優先なのか???この部分が私は解らない。

私は三流だが・・・子守・親守・家族守・親族守・地域守・・・・最後に墓守・・完璧でないが、分に応じた振舞いをしている・・当然の事だと思っているし、力が無い分、周りの手助け等々に感謝している。
之を続けて、生きている世の中・・・何処に、勝や負けない・得する、損しないが入り込む必要も無いと思うが・・・

勿論、生存競争が激しい・・悲惨と言われる環境なら、自己保身の為に、この方向に成ったと言うなら少しは理解できる。

しかし、日本国は、世界でも恵まれていると思うし、その環境も恵まれていると思う。

何時も、情報等観ていると・・・裕福そうに見える人が自分の周りの環境が悪いと思っているのか、自己保身が強いし、利己主義が強く見える。
裕福な振舞いが出来ると言う事は、本来、社会に対して感謝する立場だと私は考えている。
三流の私でも、社会に感謝している。

この感謝が有るから・・・社会を構成している人達に対して・・何が出来るかが、大事だと考えている。

当然、色んな人が居る。その人各々に対して、接し方も変わると思う。
又・・私自身のレベル・・低いので対応できる、相手も変わって行く・・・
結果は、対応できる人だけが、私の周りに集まると言う事にも成る。

私が何時も大事に考えている部分に成る・・・持ち場持ち場が有ると言う事・・・
自分の持ち場は徹して遂行する。
理由は、立場が違う人は解らないし見え難い部分に成る。
見える立場だから、行動も出来る。
見えない人は仮に力が有っても、動かない。

若し、この持ち場・持ち場での処理を放棄すれば、当然、それを見え難い人達に押し付ける方向に成る。若し、この立場が、上の立場と成れば・・・見えない部分の処理と言う一番難しい処理を任されたことに成る。
当然、出来る訳が無い・・・しかし、立場が上、力が有るのにと、不満が増えだす。

ブログで私の日常を書いているが・・・之に対して、誰かが手を貸す等々・・・有る訳が無い・・・私の家族は、当然、誰が守るかは決まっているし、他所の人がする訳が無い・・・・この基本を確り、解っているなら・・・社会も同じである。

社会の中で・・色んな縁で自分の周りの人達も含みで、家族と思えば、それを誰かが維持管理する事に成る。その誰かは当然、自分と成る。
私は、三流と何度も書くように、力が無いと自覚しているので・・・縁の太さをセイブしている。分に合わせると言う事にも成る。
理由は、背負える力が無いと自覚が有るから・・・しかし、自分の事は自己責任と言う部分は確りある。
各階層で、徹して守り続ければ、縦社会と言われる、全ての階層で、この流れに成れば、バランスよくシステムが動くと考えているが・・・

現代は、この下の階層の問題を、何故か上の階層が処理する之を普通と考えている。
之が意味する事は、我家の問題も、他の家が解決する之を普通と考えている事に成る。

怖いのが、各階層で利を貪る、事が上の階層に行ける、この流れが有れば、各階層で負の部分が、鬱積しだす・・・制限なく、利を貪り、上へ上へと何処を目指しているのかに成る。之の生き方が正しい、神に近付く・仏に近付く、振舞いを勘違いしている人も居ると言う事・・・

何に近付いているか・・・私は鬼畜だと考えている。

誰しも、持ち場が有る・・・その持ち場を徹して守ろうとすれば、色んな問題が出て来る。それを解消しようとする、振舞いは、何に近いか、間違っても鬼畜に近いとは私は思わない。
問題が大きければ大きいほど・・・悩み・苦しみも多いと思うが・・その振舞いは、何に近いか・・之を問われている、時代だと私は考えている。

要は、仮にモラルと言う基準が有るなら、それに備ぐわない人も多々いる。
その人達を、最終的に、如何背負うかが、人に問われている。
之が、出来る社会なら・・・・・・

人の多様性を知る事だと思う・・・誰かを守ると成れば、当然、相手を知る事が大事に成る。知る事で、出来ないと、去る事も有ると思うが・・・之が出来るのは他人まで・・・
家族や親族と言う部分は、逃げる事が出来ない・・多々の欠点・負が見てもそれを守り抜く人が、私は一流と考えている。
超一流は他人まで出来る人だと考えている。

私は、出来ないし、その勇気も無いので、三流と思っている。

何度も、書いている様に、自称かも知れないが一流の人が多い国が日本国に成る。恵まれた国に生まれた事に感謝している。

何故、自称も含めるか?????・・・思いだけは有る可能性が有るし、勇気を持って、努力されている過程かも知れない為に成る。

自称でなく、嘘と成れば、話は変わるが、それが通用する国では日本国は無いと思う。