日本国も、私だけ・俺だけ・・・・個人主義に進んでいる。
何度も書くが、お互いさま・・・日本には昔から有る、価値観に成る。
人は、己の見える範囲・・・己のレベルで関係性の有る人も決まって来る。
要は、近いレベル・立場の人が、身の回りに多いと言う事・・・当然、若干の格差は有るが・・・お互いさまと、手を必要な人に手を貸せる価値観が有った。
若し、貸せなければ、周りを探して、貸せそうな人を見つけ出す等々も有った。
しかし、現代は、俺だけ・私だけ・・他人の事など関係ないと言う事は、己以外は極端に書けば、敵と言う事に成る。
当然、保証が無いし、個としては弱いので、集団を作るが、同じレベル価値観の人々で、創る方向に成る。
之が西欧的価値観、一神教的価値観に成る。大陸的価値観とも言える。
理想とも思えるが、戦前の日本国は、共存共栄を目指した・・結果、西欧諸国の力に負けた・・・西欧や先に書いた様に、得る人と損する人の二極が、当然だし、勝つ側・力が有る側が、当然、得る立場と言う価値観・・・要は、弱いから損する・・この事は当然だし、何の問題も無いと言う発想が有る。
又、宗教観で、働く、汗を流す、この行為を良しとは考えていない、弱いから・身分が低いから苦労をしているし、汗を流していると言う、考えが有る。
之に異議を国として行ってしまったのか、戦前の日本である。
戦後、日本国も、西欧の個人主義が入って、蔓延して来た。
結果、小さな集団と言われる、家庭・家まで崩壊に向っている。
戸籍と言う、書類では家族だが、それ以外で家族と言う、繋がり、先に書いた、共存共栄も現在では無くなってきている。
お互いさま精神が、共存共栄に繋がる。
生き残る、大事な部分だが、共存共栄で、出来るだけ多くの人間が生き残る価値観か・・・又、俺だけ・私だけ、生き残る為には、他人が居なくなる、死ねば良いと言う価値観だと、生き残っても、一人だけに成る・・・この矛盾を無くす為に、損する立場・苦労する立場を残してやっている・・生きているからそれだけでも感謝せよ・・・と言う価値観も有る。
本来、国とは、構成している、国民の価値観で、国の価値観が決まる。
又、之も何度も書くが・・・同じ競技・ジャンルの戦いなら、それに長けている国が勝。
簡単に書けば、相手が得意・歴史が有る、ジャンルの土俵に乗る、当然、負ける・・・
確りした価値観の個性が必要で、土俵を変える、価値観の大事だと言う事だし、その様に持って行ける拳論力も必要に成る。
今は、西欧が作った、土俵に日本国は乗る形に成っている。当然、強い横綱が居るし、スキを狙っている、小結も居る。沢山の国が、勝ちを狙って、スキも狙っている。
この様な土俵で本当に良いのか?????私は疑問が有る。
日本国の文化・価値観は、残そうと努力しないと、西欧から来ている価値観に染まって行く・・・
之も、過去書いているが・・・昔、キリスト教の宣教師が、一人の農民に布教をした・・・キリストを信じれば助かります・・・・誰が???・・・貴方が・・・之を聴いた、農民は、信じなければ地獄に行くなら、私の祖先・家族・村人は地獄に居る事に成る・・私は、地獄で良いと答えたらしい・・・この言葉を、宣教師は母国に教会に伝えたとの事、日本国での布教は、難しいと・・・・
共に生きると言う、価値観が有ったことに成る・・・俺だけ・・私だけはと言う、価値観が無いと言う事・・・・有るとするなら、私だけが苦労し、血を流しても構わないから、共に生きる人は生き抜いてくれと言う意味での、俺だけ・私だけという価値観に成る。
要は、本当の意味の宿主・親的、価値観に成る。