2017年3月21日火曜日

挙動を感じる・・・

操作が難しく、七転八倒、状態だが・・・・少し何かが解ろうとしている感じが有る・・・・

操作以前の問題の様だ、考えれば車から情報を得て、その情報を元に操作すれば、何でも走らせる事が出来る・・・・

特に凄いという、マシーンでもないし・・・大衆車方向に進めている車・・・・・特別な操作が必要だとも思えない・・・・

しかし、操作が難しく感じるのは、車の挙動を、正確に認知出来ないからだと、最近考える様になった・・・・

予想やイメージでの操作でなく、車が求めている操作、入力を与えれば、誰でも走る・・・操作側が勝ってに思った操作をしても、車は走らない・・・・

癖が無く、大衆車方向の車が、逆に難しく感じる、この部分が、私の下手の証拠だとも考えている・・・・

簡単に書けば、リッターバイクは乗れても、原付では倒れる・・・こんな有り得ない、状態にRCドリフトは、成ってしまった事に成るし、私の無知がこの様な状態を造ったと考えています。

車の小さな挙動変化を、感じ取れるように、練習を重ねる事に成ると思う・・・

RCドリフターが言われたり表現されている事は、私には非常に難しい、以前も書いているが外部操作のRCでは不可能に近い部分・・・しかし、その様な言葉が当然の様に蔓延している事は、誰しも出来る事に成る・・・

私は、出来ないから練習に成る・・・・出きた上での好みの迫力や飛ばし等々の流れに成る・・・・

先ずは確りと基礎の部分を身に付ける・・・・・・・

少なくとも三流以下からの、脱却・・・・之が当面の目標・・・・






デカールを確りに

大事な 頂いたボディ・・・

今日は、デカールの浮きが気に成るので・・・

ホット・ガンで攻撃を加えて、浮きを押さえた・・・

完成ボディ・・塗装が薄い、この技量の凄さに何時も感心している・・・

私が作れば、塗装の重さでボディが可也、重くなる・・・・

今は軽い、特にシャーシの上の部分は軽い方向が車の動きが良いと私は感じる・・・

この部分にボディが乗る為に、ボディの重さは、気に成るポイントに成っている・・・・

特に路面を掴む、この操作を意識し、タイヤと路面の関係性を考えた場合、タイヤの能力が非常に低い・・・・・

能力に合う、重さや慣性力が有ると私は考えている・・・・タイヤの能力を超えれば、誰でも解る事、タイヤの能力が発揮出来ない、スッポ抜けとなる・・・・
この状態に成れば、唯路面の上を滑っている状態・・・車は死に体に成っているし、流れと見えてしまう・・・・

この感覚も変わり者の異端な私の感覚、一般と違うと思う・・・・

車とは面白い・・・・可愛がれば愛着も出て来る・・・・

RCの世界では、ボディはバンパー的物と言われているが・・・ボディにも愛着が沸く・・・・

特に私の場合、殆ど同じボディの人と、縁する事が無い・・・之も愛着に繋がっている・・・

今後は、完成ボディを物色したいと考えている・・・・こんな便利な物は無いし、個性が無さそうだが、逆に誰も使わないから、個性に成る場合も有る・・・・

不思議な世界と思う、目立たない方向を目指しているが、何故か浮く位に目立つ・・・・


リアの出難さの、解消????

リアが出難い・・・何故感じるか・・・・

感じだから、操作者が変われば、この感覚も違う場合が出て来る・・・・

RCドリフターに試乗してもらうと、殆どの人が、フラフラする、動き過ぎると言われる・・・・私は動き難い、アンダー方向の車と考えているし、この部分がRCカーの特徴で、之を消す方向性を模索している・・・・

現実に、ドリフト中にフロントが戻って来ない等々が頻繁に起きる・・・・振り返しが出来ず、壁へと激突・・・この様な状態も有る・・・・

ダンパーOILの見直しで、改善したが、未だにこの特性は残っている・・・・

若しかすると操作で、フロントに加重を意識していても、若干の無駄カキが、結果として回転下がりで、車を押し過ぎて、リア加重に成っている可能性も有る、この現象が多いポイントはスピードが乗る区間、怖いという気持ちが無駄にアクセルを入れている可能性は、除外できない・・・

基本、操作方法の問題が、走行の問題に繋がっていると私は考えている・・・・・自分のレベルを考えれば、当然疑う部分は自分の技量が先ず最初に成る・・・

若しかするとスピードが速い、この事は、回転慣性も高まっている、この慣性力の影響かもと疑いを増やしていく事が、上達の大事な部分だと考えている・・・

今の懸案事項は、高速部分・・・・私の車では10km/h以上に成る部分と思う・・・・妄想・思案が始まることに成る・・・・

又、回りに付いて行く為には・・・無駄が有れば、一瞬に離れる・・・・この無駄を省く之も課題に成っている・・・・


機敏過ぎるといわれる車を、何故か、重い、アンダーと私は感じている・・・・之も変わり者の感覚なのか知れない・・・・

鈍重と感じるから、動き易い方向に車を進めている・・・・


眺めている・・・

机の上で、又テック・コンバを眺めている・・・・・

懲りない性格・・・・・如何すれば、之が頭を過ぎる・・・・

私の感覚では、リアが未だ真っ直ぐに押す力が大き過ぎる感じがする・・・・

コースで、定常円等々の走行で、リアが出難いから、攻める走りが出来難い・・・・・この部分の自由度が高まれば、もう少し・・・攻める走りが出来ると考えている・・・・

又、最近、一緒に定常円を行ってくれる人も出て来ている・・・・車の個性や、挙動の仕方、等々が、定常円だとよく解る・・・・

この部分で、追走と成れば、相手の内側方向にフロントをこじ入れて、何時でも押せる雰囲気をかもし出しながら、相手に接触せずに相手を押し出す、感じでのドリフトが私の好み・・・

結果、ドリフトアングルは浅い方向に成るが、旋回半径は小さい動き・挙動、之はリアが出続けている事で可能に成る・・・・

リアを自由にコントロール・・・之がドリフトの一つの面白みと私は考えている・・・・之を増す方法は結果的に真っ直ぐの強さを削る方向に成る・・・・

真っ直ぐの走りが、ドリフトに大きく必要かどうかも、各自の考えに成るが、私は余り、この部分は求めていない・・・・

真っ直ぐの部分を捨てたと考えられる車に成るし、牽引力に繋がる、車の重さや、タイヤも弱い方高位なる為に、求めていると言える車では無い・・・

この様な、感覚の私の場合、現状のテック・コンバでもリアが重い、出難い、食い過ぎている感じがする・・・・

この部分は、タイヤ等の好みの変化でも変わる部分に成る・・・以前は樹脂、今はポリカと言う流れの人も居る・・・その様な人が、昔、使っていた樹脂系タイヤを履いたら、食い過ぎて、速過ぎて操作が出来ない感覚に成る人も居ると思う・・・・

何が変わったかは、操作の回転ポイントが変わった事に成る・・・・之で解る事は、以前は、失速気味に走っていたと言うことに成る・・・

仮に、グリップ走行を意識して、旋回していても、旋回スピードが高くなり、タイヤの能力を超えたら、無駄カキはしていなくても、リアが出て行く挙動を示す・・・・
タイヤに対して慣性力が勝った、ドリフトと言う事に成る・・・・ドリフトの切っ掛け作りで慣性力を利用する方法の操作にも繋がる・・・・・・車が重く、タイヤが破綻気味に回っている状態は、流れている挙動で、慣性力を利用したドリフト走行で、慣性ドリフトと意味が少し違うと私は考えている・・・・

慣性ドリフトは、基本、路面速度と同じ位の駆動輪の回転でも、慣性力が強く働き、車がドリフト方向に向う・・・・後は、トルクを与え方で、軽い内切り方向から、0カウンターで旋回を続ける走法若干だがパワードリフト方向に向う動きに成ると考えている・・・

私のイメージでは、進入時で、良い感じでの慣性ドリフト方向に向っていて、リアが出た瞬間、凄い回転でリアがフレーク、コースの外方向に流れて行く、走りが、格好よいとは思えない・・・

この挙動を止める為に、今度はアクセルを緩めて、無音、回転下がりで車を真っ直ぐに押し出す・・・完全なド素人が山道で失敗し、IN側の壁にフロントから刺さる動きに成るが、其れを避ける深い舵角が横へと動かす、この様に見えてならない・・・・

この様な挙動なら、少しの練習で誰しも出来る動きに成る・・・

何故、この様な挙動を示すか、私は、基本と言われる定常円や、八の字走行の無視だと考えている・・・・

この部分で、自分なりに格好よいと思える挙動を示すように車を作ることを、何故かしていない車が非常に多い・・・・


2駆が流行り出す、当初にこの部分を書いているが・・・・直ぐにコースでの走りを云々、言うより、この様な基本部分を競う大会が必要だと・・・・・

この部分を無視し進める結果、有る形が出来上がる、出来上がってからは変化が出来難い・・・その時点で、この様な小さな動き・挙動等を求めだせば、今度は異端児扱い、変わり者扱いを受ける可能性が有るとも書いている・・・・

この様な不思議な部分が、RCドリフトの世界には多々ある・・・・一流のエキスパートが私にこの様な部分を重視しても大会等では意味が無いし、逆に不利に成ると言っていた人も居られる・・・

口では基本・基礎が大事と言っていても、大会だと不利????この環境が私は解らない・・・・

この様な環境なら、誰もが基本を馬鹿にするし、誰も練習したいと思わない世界に成る・・・・

色々伺うが、コースでこの形で走る、之が正しいという意見が余りにも多すぎる・・・・形を誰が決めたのか????その様な部分は誰も言わない・・・・それならその形に長ける車で、空きスペースでの定常円等々を見せてと言うと、殆どが拒否される・・・・・強く依頼すると、その様な単純な事が出来る車で無いとまで言われる人が居られる・・・・

この様な流れが、RCドリフトの世界なら、各単位の囲みこみ重視の世界だという事に成る・・・・

基本部分は、スタイル等々と全く関係ない部分・・・・・定常円や八の字走行・・・此処のスタイルが入りえる余地は少ない・・・・・イコール・イーブンという状態に成る・・・・

しかし、其れを認められない・・・・・結局、この考えなら、形が全てに成るし、同じ形しか認めないという流れに成って行く・・・・・

不思議な世界だと思うときが有る・・・・何故、此処の垣根を作るのか・・・・理由は特殊車両に成り過ぎている為と私は考えている、・・・・ブルドーザーとパワーショベルの勝負のように成る為・・・・

之が一緒に走れない等々の理由にも繋がっている・・・・

何故、大衆車の普通を目指さないのか、之も不思議・・・・・


五感を越えた部分・・・・

難しいが・・・・五感を越えた部分・・・・この部分を色んな事で、私は求めている様だ・・・・

現実は、五感で感じて判断している・・・

結局、機械もこの五感を持たせて、制御する方向に向っている・・・人だからという特権が無くなって行く流れで・・・現代人は生きている事に成る・・・・・

又、機械・コンピューターでこの五感で得た情報を元に、膨大なる経験やディーターで正しい判断をするという、人の知識に当たる部分まで研究されている・・・

簡単に書けば、六感まで、機械で出来る方向性を目指している・・・・

この時点に成れば、生命・・・人に近いと成る・・・・

しかし、人には七感・八感等々が有る・・・

各センサーからの情報を獲る部分、之を識と言う・・・・・五感、得ても判断する部分が無ければ意味が無い・・・・・この判断する部分に入れば、五識が解ると成る・・・・

解った後に、どう結論を出すかが・・・経験やその人の価値感等々の部分に成る

表現が難しいので、何かを感じる、この人として感じる部分を私は大事にしている・・・・

何気ない事でも、心が熱くなったり、寒くなったりする・・・・・

この部分が五感を越えると私は表現している・・・・


その為に、人により感じ方も違うし、捉え方も変わる、基準化が難しい部分に成る・・・

之は、20世紀の時代は、基準化を求める世紀だったと私は考えている・・・

基準を作り、この基準との差が、問題と考える世紀だったと考えている・・・・・

しかし、現実には基準に当てはまる人の方が私は少ないと考えている・・・・・この基準との差が有れば、不幸せか????・・・そうで無いと誰しも解り出している・・・・

五感を越える部分なので、表現が難しいが、何かが有るとは感覚的に解る部分・・・この部分をどう表現するかが、最近の目標に成っている・・・

正式、会計報告書作り・・・・

お彼岸が終わり・・・・・

納骨堂責任者として・・・・・最後のお仕事・・・・・

次年度の役員さんに渡す・・・・正式な、会計報告書の作成・・・・

ご仏前等々の、頂き物が有る・・・・・

其れを、書き足す作業を、会計責任者と共に、行った・・・・・


唯・・・・・役員さん達から、責任者と会計担当者が選出されないなら、渡す場所が無い・・・・

誰もしたいとは思わないし・・・出来れば避けたいと考えている・・・

不思議でもある・・・・・赤絨毯の上や、座布団の上に座りたい人は多い・・・この様な立場は、世間的に言えば、上の立場の人・・・・・

しかし、責任者等には成りたくない・・・・名称が責任者だからなのか????・・・・・・・納骨堂館長と言う名なら、受ける人が居るのか????

本来、人のリーダーと言う立場は、責任感と使命感が大事な部分・・・・リーダーを目指す事は、この部分が含みのはず・・・・

納骨堂の場合は・・責任者・・・・会員さん達の下僕的存在と言う事は言葉でも解る・・・・その為に、直ぐに大変さや、苦労を認識できるから、成りたくないと言う、率直な感情が出るのは当然・・・・・

しかし、この苦労が自分自身を育て、生きている意味さえ教えてもらう事も出来る・・・・・

下働きや、雑巾がけの大事さも解って来る・・・・・


しかし、人の上に立つ之をリーダーと思っている人も居るし、その様な人は、赤絨毯の上や座布団の上に座る権利を求めての行動に成る・・・・

この様な価値観なら、下働きや雑巾がけ等々の行いを、馬鹿がすることやレベルが低いから等々思う人も出て来るし、その様な振る舞いをすれば、上の立場と思っている人、下々がその様なタイプの人に成って行く・・・・

リーダーと言う単語で何をイメージするか・・・・本当は汗を流し、無い知恵を振り絞って、人々の下僕として、働く姿が、尊いので、リーダーとして尊敬の意思を示している事に成る・・・・

結局、見ている部分が違うことに成るし、見る眼が大事だということに成る・・・・この眼を鍛える為にも、色んな先輩達の助言や叱咤が、私には役に立っている・・・



簡単な筈の、基礎・・・基本・・・之から始まる・・・

私は、恵まれていたのか???・・・・・ホームコースでは、普通にしていた事が・・・・・その外のコースでは、殆ど行われていない・・・・・

ホームでは、定常円での追走・・等々を当たり前のように行っていた・・・・

自然に、各自の好みの定常円の動きや、挙動が出て来るし・・・・自分の車では出来ないのに他の車は出来ている・・・この様な部分で、車作りの方向性を模索したりしていた・・・

又八の字、走行では、振り返し部分での違い等々が、直ぐに解るし、空きスペースで目の前でする為に、違いが好くに解る・・・・こんな、環境だった・・・・

ホームでは、追いかけっこも楽しんでいた・・・・前走が全てを握っている、この事は、大きくOUTに膨らんだら、若しかするとUターンして逆行する、之も有り得る走行・・・・・

コースの中をどの方向に走る、又壁の隙間が有れば、そこを通して、別の道に出る等々、この様な走りで、瞬時に車を止める、又車の挙動を真剣に観察して、何処を目指しているか、等々を読む・・・・勿論、前走は、読みの裏をかく・・・等々を楽しんでいた・・・・

何時ものメーンバーだから出来る事・・・・お互いが癖を知っているので、その癖を潰す、走り等々を知らず・知らずに身に付けたし、逆に配慮の走りも解るように成って来た・・・・

色んなコースに伺うが、1パターンの走りを永遠に続ける、こんな環境のコースが多い・・・・

そのパターン以外は無い世界で・・・・・そのパターンの中での、各自の拘りでスピードや角度等々を求めている感じがする・・・・・

私の目から見える、状況は、綺麗な走行・・・それ以外、何も感じない走りに見える・・・・

其れより、初心者さんが、何時、飛ぶ解らない、ギリギリの操作の方が、面白みを感じるし観ていて飽きない・・・・

何故か、綺麗さを求め過ぎると、結果、自分の綺麗さの走りで、楽さを求め出す、この部分が車から出るので、ギリギリを通していても、感動を対外的に与え難くなる・・・その為に、二周位見学すれば飽きると成る・・・


面白いもので、飽きて見ないと、見たくないから見ないとでは、人の行動が違う・・・・・


前回、コースでよい絡みを続けていた二人に、綺麗な絡み、しかし、面白みが無く、観ていて飽きる・・・・勿論、ツイン的追走も有るが・・・・バトル追走も有ると言って、少し後追いが攻めている、角度、相手に対しての、突く場所・・等々を、色々言っていたら・・・
その様な走りが出来る様になられた・・・・
勿論、車が勝手に走る部分が少ない車だから出来るが、それでも当てない為に、止め等を非常に気にする走りで疲れたと言われていた・・・・

操作側は、汗を流し、必死に操作している・・・之が、結果、見せる走りだと私は考えている・・・

操作側が楽で、全てが、絵に書いた状態の走りなら、見る側は楽しめない・・・・

この部分が、昔、凄腕から言われた、ドリフトは見せる競技、だから何を見せるかが大事だと教えて頂いたが、私は、この部分だと考えている・・・・

安全パイを一杯持って走っている、之を観て感動するか????・・・・私は フ~~~ンで済む感覚・・・・

ドリフトの取り組みの時の、縁した人達が私には、良い人、感謝に成っている・・・

この様な考えだから、異端児に成るのかも知れない・・・・

操作の難しさが、結果としてアピールに繋がる・・・・一般的には考えない方向・・・だから、先輩がドリフトは奥が深いと言われていた部分だと私は考えている・・・

そうでなければ、経験や年期、等々が無意味に成るし、練習を続ける意味も無くなる・・・・
数週間、練習すれば、凄腕と言われる世界なら、誰も、鍛錬等、考えもしない世界に成る・・・

何かが足らない・・・・之を、何時も探し続けてきた

探し出せば、又足らない部分に気付く

この繰り返しで、何年も続けてきている・・・・

形を表現するのか・・・気持ちを表現するのか・・・・この考え方の違いで大きく方向性が変わる・・・・

見せるも 形を見せるのか・・・・気持ちを見せるのか之で大きく違うし、最終的に、感謝と言う部分が変わって来る・・・・・・

この感謝と言う心の動きが有るか・無いかで・・・・回りに対しての考え方も変わりだす・・・・

同じ趣味の仲間か???・・・・逆にライバル・敵か????・・・・・このバランスが変わって行く・・・