2019年11月8日金曜日

先見の目・・・

今日、仕入れ会社の営業と電話で話していた。

最近、何の業種でも同じと思うが・・・・先見性・・先見の目が長けいる、経営者の登用が多いが・・・この部分を強く、強調する方向にも成っている。

何時も疑問に持つのが、何の為の先見の目なのかが、疑問に成る。

本来、消費者に対して先見の目が有るなら・・・この消費者を守る方向の先進性を私は期待するが・・・・私が感じる、方向性は、我社が生き残る為の先見の目と言う意味合いに聞こえる点に成る。

要は、ユーザーや消費者以上に、我社が大事だと言う、発想に成る。

コダックと言うメーカーが有ったが・・・アナログカメラのフイルム会社である。
今は存在しない・・・時の流れで、フイルムと言う商材の必要性が薄れたからに成る。

会社を生き残す為と言う・・・究極の環境に現代は成っている。

社員や消費者等々を考える余裕が無いと、自己主張している事にも、先見の目と言う言葉には、含まれている感じさえする。

先見性が有る会社が生き残る・・・その為に先見性が有る、経営陣に成って行く・・・・
之が意味する事は・・・今扱っている商材と全く違う商材を扱う可能性が高いし・・・
今扱っている商材も、生き残る為に捨てることも有ると言う事に成る。

消費者として・・・商品を買う・・・私は、当然、長く使いたいと考えている。
しかし、その商品が市場に有る状態で・・・・メーカー自身がそのジャンルから身を引く等々が、現代では普通に成ってきている。

之が意味する事は・・・大メーカーと言えでも、信用できない・・・一貫性が無いと言う事に成る。

業者・商売人が、結果として・・・ネットの問屋等との取引を増やす方向に向かう事に成る・・・・

人と人との繋がりが無い商売に・・・私は面白さを感じないし・・・やりがい等々も薄れる状況に成っている。

勿論、感情や情と言う部分が無い世界が良いと言う人も居ると思うが・・・私は、その部分が大事だと考えているので・・・先見性が無いと言う事にも成る。

バイク屋のオヤジとこの部分を話していたが・・・最終的に消費者自身が、ネット等の問屋的、お店から買う方向に向かうのは止められない・・・しかし、何か困った時は・・この部分が、今後の商売になる可能性が有ると、話で成った。

当然、販売店と言う形態は・・他から購入された機械等々は知らないと言うスタンスを取り出すが・・・之も限界が出て来る。

私も昔は、ワープロと言う商材から、パソコンと言う商材も扱っていたが・・・価格競争の激化で、売らないと決めた・・・理由は、数千円の利益で・・・納品・設定・説明・・・当然、説明もその機会が存在する間に成るし・・・ユーザーも当然タダだと思っている。

ユーザーが使用上・困ったと感じた事を、現代ではクレームと捉えている・・・商品に原因が有ると言う意味合いに成る。
しかし、殆どがユーザー側の人的問題が多い・・・・

之を説明すると、怒り出すユーザーも多い・・・結果、同じクレームが続く事に成るし、業者側は、負債側に動く客と言う事に成る。

最終的に、人間が介在しないと、処理できない部分が本来多い・・・しかしその部分まで、無くす方向が先見性と言う意味合いにも成っている。

怖い世の中だと言う事だし、知識も多く必要に成る方向に向かっている事に成る。
知らないと言う事が言い難い世界・・・結果、解らないから使えない・・使えないから捨てて・・・・新たな物を購入する・・・この流れに向かっている。

現代、サービスと言う部門・・・会社としては無駄だと考えている。この部分を増やす方向より、減らす方向が利益に繋がると考えている。
之が。消費者側に即した対応か?????・・・私は疑問が有るし、先見性が有ると言う事態、間違いではないかとも思っている。

結論を書けば・・・私は時代遅れの人間と言う事にも成る。
一度、購入した商品は、最後まで勿体無いと、長く使いたいと考えているタイプに成る。

最後に、何の為の先見の目か????・・・立場や大きさで変わると私は考えているが・・・個の人間としての・・自己保身だけの先見の目が本当に将来の社会を良い方向にするかには疑問が有る。


好み・・趣向・・・

今回は、息子達に確り根の部分に残したい部分が有る。

私は、個人的、好みや趣向が有る事は悪い事で無いし、人として当然と思っている。

好きな人も居るし、嫌いな人も居る。

特に民主主義国家で、自由主義国家の我が国は・・・色んな趣向が有っても良いし、好き嫌いも各々違ってもよいと言う、国だと考えている。

何度も書くが、色んな価値観が認められる国だと考えているし、社会だと考えている。
勿論、法律等々を無視した、方向は当然罰せられる・・・・・

自由・民主主義国家だが・・・法治国家と言う、押さえの部分も有る事に成る。

一個の人間として考えれば、之も納得できると思うが・・・集団の中で生きる之を基本に考えると、又、考えが変わり出す。

最近、寄生虫と言う言葉を使うが・・・己は寄生虫と思っていなくても、命の部分が寄生虫の場合は多い・・・・

寄生虫でも好みが有る・・・好きなものに寄生したいと思っている。

しかし、現実には無い・・・その為、好きでもないものに寄生してやっていると言う、思いが有る。
この部分の不満等々・・・好み趣向が同じ、寄生虫で絡む方向に成る・・・
之を、私は烏合の衆と言う・・・

同じ不満を持っている、又同じ好みと、思って、集団化する。
此処の自由と言う部分は無い・・・・理由は、それ以外、趣向が違う人をどう考えているかに成る。

私は何度か書いているが・・・人で変わると思うが、私が思っている、困ったチャンも多々居る・・・基本好みで言えば、嫌いなタイプだし・・・関わりたくないタイプに成る。

しかし、この様な人も含みで世の中であるし、社会である・・・当然、国でもある。

この様なタイプも、含みでどうするか????・・・・之を、寄生虫の命だと考えると言う事さえ気付かない事に成る。

勿論、一つの答えは持っている、排除・除外・死ねば良い・・・等々の方向性は有るが・・・

若し、好みが同じ人の集団が、好みの違いで、二つ有ると仮定すれば、お互いに相手は先に書いた、死ねば良いと・・と・・お互いが思っている事に成る。
何が今後起きるか????当然、抗争に繋がる。

仮に、好みが同じ、集団の中で、お互い、仲間だ、親友だと一時は言っていても、現実には末永く続くか????

例として挙げるが、好み・趣向が同じで、お互い惚れて、結婚し、夫婦に成った。
この部分が基本で大事なら、当然、永遠にラブラブで過ごせると思うが・・・現実は????

仮に、子供が宿る。生まれる前は、男が良い・女が良いと、自分の好みを多く、思うし、考えるし、語るが・・・生まれる瞬間は・・・生きて生まれと願う筈である。
しかし、生まれて時間が経つほど、自分の好みを子供に求めている事に気付く・・・

自分の好みの様に育つ、子供は良い子だと考えるし・・・自分の好みと違う方向に向えば、悪い子と思う様にも成る。しかし、我が子、見捨てる事は、しないと思う・・・・之が親の思い・命に成る。

家庭と言う、小さな集団でも、親の思い・一の人が居るから・・・一家として纏まっていると思う。

しかし、子の思い、寄生虫の命だけなら・・・家庭の維持も難しくなる。勿論、全員が親の命に成る必要も無いが・・・

集団を円滑に維持する為には、当然、その集団の中に、親的、命の人が必要と言う事に成る

私は、家族から差別主義者と言われる・・・自分の考えを確り言うが、私が正しいとは言わない・・・色んな考えが有るし、逆の考えも有る・・・この色んな違いを言う事が、差別主知者と成る・・・

昔も書ていたが、本当に、金太郎飴状態の、同じ、人達が違いも無い為に、幸せな世界なのか????と私は考えている。
差が無い世界が、差別なき世界だと思っている人も多い・・・

私は、嫌いな人も確りと人間として認め、その様に振舞う事が、大事だと考えている。
三流の私だと受け入れる事は難しいが・・・人格・命の容認は当然する事に成る。


好き嫌いで、事を決められる間は、楽だし・・幼いと思う。

音なら、一番嫌いな人に対して、どう考えているかが大事だと考えている。
私は、嫌いだと感じたと言う事は、それだけ縁が有ったと言う事に成るし、その影響力を感じた事に成る・・・それが結果として、今の幸せにつながっていれば、恩有る人になる。当然、恩は二倍返しだと私は考えている。

要は、今が幸せと感じれるかが問題に成る。幸せと感じれれば、当然、過去に対して、感謝に成る。

不幸と感じ・不満だらけなら・・・当然、恨みだけの過去に成る。
客観的に、よい人でも、悪い人として思う方向に成る。

私は自分で決断したことは基本的に無いし、不安しか出ないので、出来ないタイプに成る。
全て、成り行きで今に成っている、自分の意志でこの方向に成った訳でもない。
与えられた、道を進んでいると言ってもよい・・・・私は楽が好きだし、きつい事は嫌・・・しかし、仕方が無いと背負い、進むことに成る。

若し、この仕方が無い、之が私に無く・・・先に書いた、楽を求め、きついから逃げ続けたなら・・・大昔に死んでいたと思う。

体調は悪いが、今、生きている、この幸せに感謝に成る。