四男も大変だ・・・毎日、嫁里に帰っている、妻の為に、伺い、同然だが子供の世話・・・疲れて寝て、翌日は、我家に帰って来て、一休憩後に仕事・・・仕事から我家に帰って来て、同じ様に一休憩後に又、嫁の里・・・・
若嫁の母親からも呼び出しを受けて、毎日続けている。
又、新な子を授かったとの事で、つわりが酷く・・・自動車学校に通う為に、実家に帰っているが、自動車学校を休んで居るとの事・・・・
私もこの歳に成るので・・・・他の家庭で娘を持っている、人達も多々知っているが・・・・
娘には何も言えないと言う、親が多い・・・・その親の元に帰っている、当然、子持ちに成っているので、遅すぎるが、世間の道理・常識等々を改めて強く教えようと考えても、効く耳を持たないのが現実と思う。
その様な年齢に、私達年代の、子が親に成っている。
四十代の母親・・・・今時の人と言う事に成る、その子が、子を持った・・・・どう対処するか、習っていると思うが・・・現実は、教わっていないと言うより、効く耳を持たずにその年齢に成っているのが、現実だと思う。
要は、社会と言う集団の世界・・・ルールが有る・・・又地域性と言うルールもある。
この部分を、因習等々と言って、否定し続けたのが、私達も含め上の世代に成る。
要つは、過去からの伝承等を、全て否定した事で、子供達に伝えるべき、ものが亡くなった状態で・・・子を産み、育てた・・・その子が親に成り・・・・私の長男に成るが、子が子を産む年齢に成っている。
私は古臭いや、今時と言われても、過去の事を伝える事を重視している。
それをどう捉えるから、各自の問題・・・・要は、知恵や知識は後世の為に、伝えなければ成らないと思うし、それが、先に生まれた責任だと考えている。
効く耳を持つ、持たないに関係なく、伝え続ける・・勿論、知る限りに成るが・・・大事な事だと私は考えている。
その為に、良いか悪いかは、各自で考える事で、私は、その部分は、私個人の趣向・好き・嫌いと説明して言葉にしている。
仮に、過去の歴史等を、因習と考え、又、悪い事と教えない、これが本当に良いのか????
今回の五男の問題も、私は教えていたが、要は信じなかった、理由は、周りを見て判断しているからに成る・・・要は、悪い事と言うことも教えなければ、何故と成る・・・私は、皆がしている事をしただけなのに、何故、私だけと成る。
又、私だけなら良いが・・・同じ事をしている周りからは当然、バカと笑われる事に成る。
要は、知っている情報を、教えない・・・教えなければ、己は問題から回避できる・・この様な考えが出て来る。
逆に教えれば、その事で、問題視され、責任等々を言われる危険性が出て来るのが現代に成っている。
その為に、我子さえ、教えたくても教える事が出来難いと成るし、当然、教わる立場も、耳の痛い話など聞きたくないと成る。
この様な世の中に、成ってしまっていると私は考えている。
その為に、側に居る立場が身を持って、見せる事に成る・・・簡単に書けば、苦労・苦悩を見せる事に成る・・・当然、子から馬鹿にされる・・・有りえない親と思われる、それでも見せていれば、其れより軽い、苦労も・苦悩も、普通と思える様になる。
子供も、何時かは、社会人として独り立ちする・・・当然、苦労も苦悩も出て来るし、その都度、不幸・有りえないと思うなら、当然、己は不幸と成るし、その環境から出たいと成る・・・環境から逃げない為にも、見本を誰かが見せる事に成る。
昔から、親の背中を見て育つと、言われる・・・誰が子供に成る。
父親として何を見せるのか???当然、背負う姿で有ると思う。
己が弱いから、背負える重さも限界が低い・・・しかし、低くとも背負わなければ成らない時が有る。
考え様では、己の命を落としても背負い続けると言う思いを誰かが伝えなければ成らないと私は考えている。
勿論、思いが有っても簡単でない・・・しかし、出来ないからと伝えない・・之は嘘だと私は考えている。
考え様では、今の私の命、先の大戦で、命お落として守り抜こうとした人々が居たからと言う部分も有る。
有る人が命のバトンを繋げると言われたが・・・先の大戦も捉え方では、命のバトンを繋げようとした人達が多く居た事にも成る。
私は、平時の時も同じだと考えている。
命のバトンを渡す、当然、未来を託す人に成る。
誰なのか????・・・本来は、我子と成るが・・・現代、バトンを受け取ろうとしない・・・
結果・・何も教えなくなる。
私も、五人の息子に恵まれた・・・当然、五人、個性が違う・・・・
上二人は、他人様、特に嫁里等を守り抜く人に成って欲しいと願っている。
三男が、不安・・・その為に、側に置いとく、子として私は考えている。
四男も、よく、我慢が出来ていると思う・・・私は直ぐに彼の限界に達すると思っていたし、限界前に投げ出すと思っていた。彼の今までの限界は数倍超えているが、まだ堪えられている。凄い事だと、心では褒めている。
己の分の無さに気付く・・・見栄等々、かなぐり捨てて守るべき人が二人・又一人増える・・・当然、限界を超えているし、他人から見れば、無謀・不可能と思われていると思うが・・要は、勝つ必要は無い、絶対に負けない・・・屈しないと頑張るしかないと思える様に成る様に、私は祈っている。
今、速めに、事務所の二階の自室に来た。私の嫁は、カラオケ教室の依頼で向かった。
四男家族が、母屋に居るだけ・・・気兼ねなく、母屋が使えると思う。
タカが私の命・・・日本国の一番の罪の報いは、死刑と成っている。
私の命、アリや犬等々と同じ、命・・・考え様では、小さな命とお言える・・一つの命で、何人の命の糧に成れるか???・・・・この様に考えると、醍醐味と思う。
負己主義・・・この方向も一つの道と考えだしている。
命と共に、負が消えれば、多くの負を背負えば、後世の人間に負を残す事は無い・・・
還暦に成る・・・私が考える、人生は、60歳の還暦で終わっている。ここ迄が片道切符の目的の年齢・・・・命が続けば、之からの時間は・・・己以外に使いたいと考えている。
奉仕も、最終的に己に報いが有ると考えていたが・・・奉仕は奉仕、報いは無く、負を背負うだけと考え方を変えようと思っている。
慾の深い、私には難しい事と思うが・・・還暦を過ぎた人間、何時もでも俺・俺と生きても、成長が無いと考えている。