嫁が目覚めた、夜勤明けで、昼から寝入っていたが・・・・目覚めた後、夕食を取ったら、彼女の本来の姿、ボランティアと称して・・・カラオケ屋さんへ・・・・彼女が来るのをお客さんたちが待っておられるとの事、彼女も幸せだ・・・・歓迎を受ける場所が有るだけでも、凄いと思う。
私は、基本、嫌われ者の為に、人が集まる場所等には行けない、行き難いという感覚が有る。
各自、個性が有り、私は、一人で留守番が、一番似合っているとも思う。
何故、ボランティアかは、無料奉仕の為と嫁は言っている。本来ならお金が頂けると言っているが、要はお金を稼げる芸が有るだけでも凄い事だと思う。
最近、真剣に、今の私で、稼げるか????・・・これを考えている。
仙人でもない為に、生きる為にはお金も要る・・・・年金を頂く歳までは後3年後に成る。
三年間の、糧をどう稼ぐか???・・・これを考えている。
一つの方法は、障害年金と言う方向・・・当然、障害の等級で金額も変わる、私は、三級の二種に成っている。
厚生年金加入者は、三級から、障害年金の受給を頂けるが、私の場合、どうなるか????・・・・又、症状が出た時から、1年半の期間が必要の事・・・難病と解ったのが、一年前・・・後半年は、対象者に成らない・・・・国民年金だけだと、二級以上で無ければ、障害年金の対象者に成らない。
これも不思議だ、医者が薦める様に、透析に成れば、障害一級の立場に成る。又、透析に必要な費用も全て、国が面倒を看てくれる。その金額が600万円や700万円と言われている。それにプラスして、私の場合は、病の指定難病病の治療費も、国からの援助・・・これも続いた上に、障害年金も最高額が頂けると成る。
この方向が良い・得と言う、価値観が有る為なのか、私が、私生活を見直して、出来るだけ国のご厄介に成らないようにしたいと言った事が、不思議と思われた。
考え様では、現状でも仕事は出来ない、透析の啓蒙のビデオ等と見ると、日頃の生活が出来る様に成り、仕事も確りできると思えるビデオだった。障害年金も頂き、仕事の対価も頂き・・・・当然、税金等の免除も頂き・・・・これが得、儲けと思う人が多いのも解る気がするが、
私は、この処置を断ったために、キツクて仕事は出来ても、直ぐに限界が来るし、その後は寝込む形に成る。
当然、稼ぎも減るが、その補助が無いのが不思議・・・
現実に言えば、毎年、国からの600万円強のお金を節約している事に有んる。しかし、その努力と言うか・・・対価は0と言うのが現実に有る。
考え様では、力が有る、権力側に属する処に600万円が舞い込む、そのお礼が、障害一級の障害年金が対価と言う事なのかもしれないが、全てが、国と言う事は、人様に迷惑を掛けている事にもなると私は思うし、この思いが有るから、出来るだけ、国のご厄介に成りたくないと考えているが、この考えが結果的に、己を窮地に追い込んでいる事にもなる。
お金本位主義の、世界は、当然、力が有る資本家にお金が集まるようなシステムに成っている。
その出汁が、一般の国民、弱い立場と言う事にもなる。
私が感じる、矛盾が多々ある。瀬一杯、国の為、迷惑を掛けたくない、当然、人様、国と思ってる事が、損に成る世界、
この部分を疑問に持たないのか????最近の人々は、主体者で無く受動的な人が増えているのか????この様に成れば、完全に、支配された家畜・奴隷と言う事に民衆はなる事に成る。民主主義も、奴隷主義と言う事に成るし、家畜主義と成るが、当然、独裁者や宿主が別に居ると言う事に成る。
少し、体調が戻れば、保健所や役所等に、確認為に質問をしたいと考えている。
一生懸命に、頑張って居る人には、勝手にと言う方向性が何故か、役所には有る。どうにも成らない人は、保護政策で対処できる・・・
今まで、色んな事、特に、地域事で困ったチャン等の処理を行ってきたが、役所は、先に書いている特徴がある。
個々に対処できる間は、知らんぷり・・・出来ませんと、居座れば、対処すると言う流れ、これが国なら、当然、国民も努力等、しない方向に向かいだす。
この流れが、私は良いとは思わない・・・責務まで投げ捨てて、何も出来ませんで、初めて、国が動き出す。
要は、責務の放棄は、力、権利の放棄でもある。当然、誰かが処理しなければ成らないが、この部分が国に成れば、国に力、権利が集中しだすと言う事、国が独裁者と向かう事に成り、国に寄生する、寄生虫が庶民と言う形に成る。
国の有り方が、逆転する事に成る。人の集合体が国から、国が人を集めている、食わしていると成る。
当然、行政側は、この方向を望んでいると思うので、行政等に行って話しても意味が無いかもしれない。
上手に、国に寄生し・補助や援助を得た人間が、得していく世界・・・これで本当に良いのか????・・・真面目に努力で切り開いていく人たちと大きく違う事に成る。当然、この生き方を最近は馬鹿・損と言う。
悲しい、時代に向かいつつある。