争う・・・私は解らない・・・争う理由は????
優劣を競うは解る、争う必要は無いと思うが、何故か、争うという捉え方をしている人が多い様に感じる。
共々に成長するための、競うに成るが、争いとは相手の事など全く考えていない、逆に、蹴落とす、足を引っ張ると言う姑息な手段でも争いで勝つ為にはどんな方法でも良いと言う考えに向かう。
社会は、競争社会と言われた板時代が有る。競う合う状態で終れば良いが、争いだすと、勝ち負け論に向かい、姑息な手段さえ使いだす事に成る。
私は、勝つ必要な無いと思って居る。しかし、絶対に負けたいとは思いたくない。
多々の、負や欠点が有るし、現実に言われてもしかたが無いし、それが負けだとは思って居ない。劣っているだけ・・・勿論、発展・成長性が残っている。
仮に何の為に、成長したいのか???発展したいのか???これも各自の価値観に成る。私の様に鬼畜の命が強いと、己の我欲を叶える為と言う、動物的な、レベルの低く浅い、目的に成るが、
一般の日本人なら民度も高く、レベルが高いので、当然、世間の為や地域の為等々、考えなくても、体が勝手に行って居ると思う。
最近、下の息子達の、言葉の意味等々も、聞きたく無いようだが、一人話の様に語り続けている。
競うと争いの違いも判らない、我が子が居る・・・・
要は、人の心、命の幅と、余裕に成る。同じ事だが、人で競う感覚と、争うと言う感覚が有る、ギリギリで必死になると如何しても人は、余裕が無くなり。競う戦いが、争う戦いに成ってしまう。
最終的に命・心の余裕と言う部分に成る。こ
の部分の幅を広げる、これも大事だし、哲学等が大事に成って行く。
広く言えば、唯心的部分に成る、現代は、唯物論的価値観が蔓延しているので、益々、争いが増えだすし、その結果、負けた立場、劣った立場は?????・・・責任を背負えるのか???・・・背負えないなら、誰が背負うのか????勝者が背負う????・・関係ない第三者が背負う????・・・・縁が深い立場が背負う????・・・
共々に生きる、成長する。相互扶助・共存共栄・・・・私は大事だと勧化ている。
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