現代は、人との関わりを減らす・・・この方向が楽だし、楽だから幸せと言う、流れに向かっている。
しかし、人と関わりが薄いと言う事は、寂しいい事にもなるので、人恋しさで、人が集まるところに無意識に言ってしまうと言う事にもなる。
私は、全てが、健常者で余力が有るから・・・この様な方向性に向かっていると思う。五体不満足に成れば、自由に行ける場所も減る。又、人との縁を切っている事が、結果的に、人様の手が必要となった時に、困ると言う事にもなる。
何故、人は、己の人生の終盤は解っていると思うが、犬・猫の様にその場暮らしをしてしまうのか????
母が言っていた事だが・・・貧乏人、三流の家族は、回転率を上げる。一人一人の能力が低いので、出来るだけ、多くの人数で、稼いでくる。
一人の稼ぎは少なくても、仮に5人いれば、月10万の稼ぎでも、一家には50万の糧が入ると言う事に成る。
又、不思議な事だが、稼げない立場の人は、人の変化で費用が大きく変わると言う事は無い・・・
簡単に書けば、保育園児の子供に対して、この位のお金が必要と言う部分の人で大きく変わる事は無い・・・
しかし、稼ぐ方は・・・人で対価も違うし・・・その人の体調等々でも変わる。私の様に、対価0と言う場合も出て来る。
要は、収入は不確実と言う事・・・支出は有る程度、固定されていると言う事・・・
後は、人間とは???と考えると、明日の命が有ると保証されている存在なのか???・・・その様な人は居ないと私は思っている。
要は、明日、この世に居るかは解らない立場・・・・若し、己が一流でも優秀でも、力が有っても、お金が有っても、明日の己の命が有る、無いかも確定していないことに成るし、当然、歳を重ねるに従い、明日の命の可能性は薄くなって行く・・・
要は、人は変化すると、最終的に居なくなる・・・だから、頭数を増やして回転率を上げる事に成る。
一人の人間ほど、頼りない存在はない・・・・仮に、目標を決め、この山を制覇する事を目指す。
当然、途中で怪我もするし、事故にも合う、これが人生である。その都度、挫折、最終的には動けなくなり、目的を達成できないで終る人が多いと私は思っている。
要は、人間が人間だから、達成できない、結果、神の存在に近づこうとしてしまう事に成るし、失敗・間違いを容認できない立場に成ってしまう。要は、人では無くなり、神に近いのか????鬼畜に近いのか???と私は考えている。
要は、頭数が有り、若し、後継者として育てることが出来たなら・・目標は己は達成できなくても、そのバトンを引き継ぐ、人が多ければ、能力は低く・三流でも、山の制覇は出来ると私は思っている。
若しかすると、傷ついた私を背負い、山を制覇し、新たな目標が見えだす可能性も出て来る。
要は、三流の己だが、この立場を脱却するためには、新たな景色を先ずは見ることが大事になる。見れば現実味が出るし、新たな目標と、己の次元を上げ続けることが可能だと私は考えている。
若し、己一人と言う、個に執着すると、今のレベルからの脱却が出来なくなり、出来ないから、その範囲で私は凄いと言う、自己主張しやすい、有遺物的事に拘り出す。
当然、己の身が滅びれば、意味が無いとは解ってても、それしか、己の存在をアピールできるものが無いと言う、寂しい人生だと私は思う。
生まれて培った、価値観の範囲内で、一生を終える。
本来、生きた証は、価値観の変革に有ると私は考えている。
私は、感謝と何時も思っている。正直、今月は、私のお客さんも私の体調・体の今後も、理解されたと思う。結果、仕事の依頼・電話が無い・・要は、収入が0と言う事・・・・しかし、何故か、生きられている。
勿論、日本国民として、人権の保障がされているので、衣食住に対しては最低限の事は、国が面倒を看てくれる。しかし、出来るだけ、己が生きた証でカバーが出来ないかと思っているし、何のための生き方???が問われていると思う。
人は支えあうと言った人が居るが・・多くの支えてくれる人を創る、これが大事だと思うし、最低でも一人は居ると言う事にもなる。一人の支え人も人間、明日の命の保障は無い・・・