私の息子五人の内・・・四人が妻帯者と成り・・・父親と成っている。
四つの家庭を身近に見ている状態に成った。見ている・観ている・診ている・看ている等々、状況も時と場合で色々有るが・・・・四社四用 色々あり・・私は楽しんでいる。
手が出せる事が、何より私は楽しいし、生きていると言う実感も得れる。当然、何も無ければ、この様な事も出来ず・・・面白みも無い・・・
私は、個性が有り、特徴が有り・・・特に人間として当然に起きる、失敗・間違い等々が有る事が、何より、楽しいと考えている。要は、己の意味が出て来るからに成る。
生きていて、己に意味を持つことが出来ない事ほど不幸な事は無いと私は思っている。
三流の私でも、我が息子位はと言う思いも有るし、その息子達に手を尽くせる、之が出来る間は、生きている意味が有ると考えている。
勿論、二流や一流の人は、狭い甲斐性で無いと思うので・・・国や世界に対してと言う、大きな単位に成ると思うが・・・
私は、所詮・嫌われ者の三流の、無知な人間と言う立場・レベルだし、何度も書くが、差別主義者で、優先順位が有るし、当然、己の力加減を考えれば、広げても何度も書くように、親族・地域程度で、限界が来る。
触れる事も無い、接することも無い、人達の事など、当然、私の頭には優先順位にも入っていない。この為に己を鬼畜とも思っている。
鬼でも我が子は守る・・・この程度のレベルと言う事に成る。
しかし、現代、私の幼い頃から思えば、天国・夢の様な生活が普通と成っている。要は、衣食住が、昔のレベルから見れば、天国・夢の世界と言う事に成る。
それを普通と何故いうのかも私は解らないが・・・普通で有るべきと言う考えも私は解らない・・・・息子達からも、普通の親なら、父ならとよく言われていた。しかし、俺は俺と何時も言っていた。嫌でも死ねと思っても、父親は父親と言うのが私の考えに成る。
仮に、大病を患い、手術をする、当然、医師と言う人間が行う・・人間は心配も間違いも起こす生き物・・当然、時・場所等々、己の縁も含めて、手術が成功するか、失敗するかは解らないし、それを望み依頼した、己の運だと私は考えている。
要は、親も運次第で、変わると思っているし、それを選んだ子の責任とも思っている。
よく、子は親を選べないと言う・・・何を選ぶのかは子の勝手の筈・・・しかし、之を選ぶであろうと言う形が有る様に思う。それが有るから、普通の親はと言う、形やレベルが出来て行く・・・
昔、ブログに書いていたが、我家は塾かと思われるほどの、子供達が集まって居た。嫁が変わりがるからに成る・・・お腹減っていない???等々・・・来る子の様子・体調を気にしていたし・・精神的部分も気を使っていた。
その一人が、三男と同級生の女の子・・・精神的に弱く、病も有った、その為に、我家に逃げるように来ていたし、親もそれを認めていてくれた。
しかし、一週間くらい、我家に留まり続けたので、母親に電話して、そろそろ、家の方の受け入れは???と確認、OKと言う事で、家に送り届けた、その夜。薬を大量に飲んで死んだ・・・・我家として一番の、失敗だし、未だに後悔しているし、嫁はそれがトラウマに成っている。その為に、その後、人様の子を受け入れなくなった。
子供達も、声に出せない助けてを言っている、それに耳を傾ける事が大事と嫁は言っていたが・・・嫁も歳を取ったと言う事にも成る。
勿論、余裕が有った時代と言う事にも成る。
色んな、子が居る、勿論、親も居る・・・・その現実に対して、どう対応できるかに成る。変える事は、出来ないと私は考えている。要は気付き対応する、この連続作業と考えている。
勿論、今は、余裕が無いので、我が息子位の範囲に成るが・・・・気付く為には、診る必要が出て来る。見る程度では当然、解らないし、観る程度でも判断し難い・・・・診てその後、どう看て行くかに成る。
要は、生きる面白み、醍醐味は、診る楽しみだと私は考えている。看る為には背負う必要が有るなら、背負う・・・肩を貸す程度なら肩を貸す・・・背を押す程度なら背を押す・・・この様な振舞が看ると言う事に成る。
要は、診ようとすれば、問題が見え出す、見え出せば、対処が解るなら、看る事が出来る、勿論、それが可能か・不可能化が、己の幸せ具合だと思う。
幸せを望むなら、看る事を目指すしかないし、之が出来たら幸福と言う事に成る。
現代は、見ると言う部分で、止まっている。結果・・幸せと思えないし、幸福感も、感動や勝ち誇ると言う感覚だと思い込んでいる人まで出て来ている。
結果、益々、勝・負論が発達する、要は差別方向に向かうと言う事にも成る。
今、又、長男が、パチンコの台打ちの依頼が来たと、仕事帰りに我家に来て、勢いよく出て行った。仕事に向かう姿と全然違う・・・疲れている筈の仕事後に何故、この様な元気が有るのか????彼には、パチンコをする事が、幸だと思っていると思うし、若し勝てば、尚更、幸福だと思っていると考えられるが・・・現実には勝てば、負けた人を創る・勝っても、台打ちの手伝い・・意味が有るのか???と思うが・・・彼は、依頼した人の為だと思って居るなら、少しは成長したと思うが・・・未だに子供である。
四十に成っても、二十程度のレベル・・・情けないと思う。
私が古いのかも知れない・・・中学校卒位の年齢の子が、国の為と命を懸けた時代と、大きく違う気がする。
天国に居る為に、人はボケだしているのか????とも思う事に成る。
しかし、現実は、天国の人も居るが、それが普通で無い・・・・当然、地獄の様な人も居る・・・それも悪いとは一概に言えない・・・己の分相応に成る。
私は鬼畜と己の命を思っているので、当然、地獄の様な環境が合うと思っているし、それで十分・それ以上なら天国と言う事に成る。