2023年5月18日木曜日

愚弄した罰・・・・反省!!!

 最近・・・自業自得・・・先祖・先人から頂いた私の体・・・・何故か、俺・己と、個に執着しすぎ・・・結果、己の好き勝手と立ち振舞った結果の一つが、今 患っている病に成る。

要は、先祖や先人を愚弄した罰だと、最近思うように成ってきた。

自業自得と言っても、己で何をしたか、特に悪いことをしたか????・・・・覚えていないし、それ程、普通に行なっていたこと、当然、誰も止めない・・中には羨ましがる人も居る。当然、有頂天となって、振舞う・・・単純な、「豚も煽てら木に登る」になる。

人として生まれた、これを強く、意識し、何故なのか????・・・と、疑問を持ち・・・最近、我家の過去帳を真剣に眺めている。

今日は、昭和19年8月に、伯父がニューギニアで戦士の日になっている。28歳の歳で亡くなっている。

私は、最近、この伯父が、父の父、私の祖父に当たると考えるようになってきた。

戸籍上では・・・父は、伯父に父の子に成っている。しかし、過去帳を見ると、昭和43年、74歳で亡くなっている。

父は、昭和14年生まれ・・・・29歳くらいで父を亡くしたことになる。計算すると、祖父が45歳位の時の子に成る。祖母も同じ位に年齢・・・僅か人生五十年と言われていた時代に・・・特に祖母は体が弱かったとの事・・・・

調べていると、宮崎は飫肥の店をたたみ・・・芦北の祖母の里に身を寄せたのが、伯父の戦死の知らせを受けた直後の様だ・・・終戦前に芦北に引き上げられ、結果、この地域の小学校に父は入学している。

又、父は、伯父の嫁、姉を、母の様に慕っていたと言われている。何時も姉と共に過していたいと・・・・

死を覚悟した、伯父が、私の祖父母に父を託した可能性が有る。

特に、祖父・・・「善行さん」と周りから言われていた人・・・終戦後は、この地で、姪の子を引き取り、暫くは面倒を見られていたし・・・・戦前も、一族の、子を引き取り、我子として育てられているし・・・商売人として、又、奉仕活動も当時、軍馬の育成を山を買って、行なっていた人、戦況も見えていたと思うし、当然、行商等で、鹿児島等に行かれていたので、現実の戦況も解って居られたと思う。

その人が、父が、4~5歳の頃に、一気に、生活の環境を変える、店をたたむ決断、又、仏壇等も大き過ぎて処分が出来難く、結果的に、お寺が買い取ったと言われているので、終戦後の大変な時期では無かった様なきがうする。

又、一番は、私も、爺という立場、孫を持ったから、思える事だが・・・・・父は、親族、特に母親からチャン付けで呼ばれていた。実の息子、孫なら解るが・・・・・

又、伯父の嫁・・・・父の義理の姉に成るが、20年ほど前から、何回か、宮崎のホテルで、一緒に過しておられる。

それ程に、父が慕っていた人・・・・又、義理に姉に成る人も父の事を気を掛けられていたことだと思うし、その人が亡くなったときに、知らせで、戸籍謄本をとの事・・・取り寄せたが、父は、祖父の四男坊として記載されていた。

当時は、この様な事が多々有ったとのこと・・・・家督を繋げる為に~~~の策で有る。

当然、その様な人々は、家を守る、家族を守る、一族を守る為に、我が命まで犠牲にされている。

この恩に、答えなければとも私は思っている。

父の精神疾患も、要は、母親と引き離された結果、多々に甘えかされた結果だと私は思っている。

全ての思うように成る・・・この様な思いと、時代背景で、個人主義の台頭が、父を創り上げたと私は考えている。

当然、善も負も、後継者と思う人が背負う事に成る。