愛車のモンキー・・・・
私のレベルには丁度良い・・・・バイクに成る。
普段の足として使っている。勿論、歳と共に移動範囲も狭まり・・・バイクで丁度良いし・・・特に、車の運転、特に、バック等々の、予想や想像した運転が、不得意と言うより、出来なくなっている。
バイクの場合、バックも基本、押すと言う方法・・・・若し、運転不能に成れば、その場で倒れたり、して走行できない方法に向かう・・・しかし、車は、運転者が意識を失くしても走り続ける危険性が有る。
又、物が大きいので、問題を起こした時の、影響も大きいと成る。
今後は、五体の機能も、不全方向に向かうのが当然と言う、年齢に向かう・・・今日出来た事も明日は出来ないと言う事も当然あると言う事・・・・しかし、人間とは傲慢である。出来た事が出来なくなる・・・之を許せない‥結果出来ると思い込んでいる場合が有る。
本来、若者が側に居て、監視してくれていれば、その助言に従うと言う事も出来るが・・・現代は、己で己の状態をよく認識している必要が出て来る。
勿論、三流の私、出来ない可能性が高いので、初めから、バイク等が移動の手段として良いと考えている。運転できなければ、直ぐに転倒、己が怪我するだけで済む・・・・
本来、私は三流だし、人間と言う事を認識していた。その為に、五体が不満足に成る時が来ると解っていたので、子供も儲けた・・・理由は、後々、私の手足・目に成って貰いたいと言う思いが有ったから・・・・
しかし、現代は、この老いと言う現象も、有ってはダメだと言う世界に向かっているし、その為に、子供達も親の手足に成ると言う事さえ、意識に無い。
結果、三流の人間の私さえ、人様に迷惑をかけない生き方を、死ぬまで続ける事が命じられていると言う事に成る。
難しい、老いる事も許されない、死ぬ瞬間まで、ピンピンと活動的で有るべきと言う流れに従うのは、三流の私には不可能に近い・・・・
しかし、不可能でも、それを命じられている流れが有るので・・・それに出来るだけ近づく努力は必要だと考えているので、今はバイクが私の足に成っている。
老い方も各自で違う・・・・勿論、寿命と言うものも各自で違う・・・
若し、長生きをすれば、当然、老い続けると言う事にも成る。
老いると言う事は、こんな事も出来る様に成ったと言う現象の逆に向かう事に成る。
この退化に対して、認めて貰えないのが現代の高齢者と言う事にも成る。
息子達は、今、幼子を育てている、子供に振り回され、子供が命ずるままに、動き回っている。理由は、幼子の為に、何も出来ないから、代わりに行っていると言う事にも成る。
理由は、血が繋がった子供だからと、息子達は言うと思う・・・
それなら、血の繋がっている親が、機能不全に向っているなら、当然、手足として動けると思うが、人間の悪い部分、出来た事が出来ない場合、許せないと言う思いが強くある、その為に、手が差し伸べられないと成る。
出来ないと解っているから、手を貸すのも当然と思える。しかし、出来ると思っているなら、手を貸す必要な無いと思っている事に成る。
この部分も、老いる時の楽しみだと私は考えている。どの様に育てたか???・・・この答えを得る時だと考えている。
人の姿、振舞いを見ているだけで、面白いと思える・・・このレベルに成りたいと思っているが、中々難しい・・・・
最後に、今年のモンキーの最終系・・・点火系の新調で今年は終わった。
感謝に成る。