お昼過ぎ・・・次男が二人の孫を伴い・・来訪・・・
ばーちゃんの家に行くと・・・言って・・・出かけて行った。
私の嫁の里に成る・・・彼もばーちゃんの事を心配しているし、勿論、じーちゃんの事は当然と成る。
一時間ほどで帰って来た。
ばーちゃんが少しボケていると言っていた・・・・私の嫁の母、当然、口が悪い・・・「誰か!!」と聞かれ、名前を名乗っても、誰か!!・・・・理解していない様子だと言う・・・
しかし、私も孫の数が増えて、直ぐに名前が出なくなっている。又、血の繋がりが有る為に、似ている、特徴の違いが解り難い・・・
義母は10人の孫が居る・・・私より、2人多い・・・歳を考えると当然と思う。
又、最初の方の孫に当たる、次男、子供の頃は、ばーちゃんも若いし、孫の数が少なく、直ぐに解っていたと思うが・・・孫も成長すれば、様相も変わり、解らなくなる事は不思議でないと私は考えている。
しかし、次男、偉いと思う・・・・時間が出来たから、母親の里に向かったと思う。
当然、強く教えている、先ずは祖先に挨拶・・・・仏壇に手を合わせる事も、我子に教えている様だ・・・
何事も基本が有る・・・己の立場も変わる、又、伺う理由も色々・・・当然、挨拶の仕方も変わるが、基本を忘れては駄目だと私は考えている。
家のお世話になったと、恩を感じているなら・・・その家に伺う場合、最低でも何が必要か???・・私は大事に考えている部分に成る。
その思いが有るから・・個人として恩を頂いた人も、健在の時はその人に恩の感謝を示す。逝かれた後は、その人の位牌が有る、仏壇か墓に恩に対して感謝の思いを示す・・これが人間として最低の振舞いだと私は考えている。
何をすべきかを教えて頂く場だとも考えている。
先人の人達の思いに答えるのも後世の人間の務めだと私は考えている。
私は、己の思いを、直ぐに口にするし、行動に出してしまう。
之も、私が縁した先人達から、教わった部分だと思う、私は何故か、耳障りの良い事より、人様に知られたくないと言う、人間だから当然有ってもおかしくないと言う事も色々、教わっている。
人の振舞いをどう捉えるか、千差万別だし・・・利と思う人も居るし、負と思う人も居る。
それなら、己の思うままの表現を大事にしたいと思っている、勿論、ルールや配慮は基本に要る。
感謝に成る・・・五男がアルバイトに向かった。
五人も息子を育て・・・人様の役に立てている事に、感謝と私は考えている。
勿論、三流の親の子・・己の家庭を守るにも、必死に取り組まないと、一瞬に崩壊する。
気が休む事は、無いと思うので、我家ではゆっくりさせている。