人を育てる・・・・之を考えた場合・・・目標を定める事が要ると思う・・・
どの様な人・・・この様に考えた場合・・・私は、祖父・母から教わった・・・担い手を と考えている。
何の担い手かは????・・・育てる側の人や環境・社会で変わると思うが・・・私個人の思いとしては・・・・人様の役に立つ人・・・特に弱い人側に、立てる人をと考えている。
先のブログにも書いている「おもてなし」が出来る人にも繋がる。
誰に「おもてなし」が出来るか????・・・・この部分が弱い人と言う事に成るし、この方向性が有るから「配慮」に繋がる・・・・
息子達には、損する立場には成りたく無いと思うが、その様な立場が存在しているから、世の中は維持されている。話しているが、当然、損する立場より、得する立場を目指そうと、三流の親の子なので、目指してしまう傾向が有る。
今、私の息子も、四人は、小さい規模だが一家の家長と言う立場に成っている。
その経験で、長と言う事を、肌で感じていると思う。
会社に例えると、社長と言う立場・・・対外的には長としての姿を見せる必要も有るが、現実には、色んな事柄を背負い、奮闘することに成る。
奮闘を続けている時が大事だし、それが有るから維持が出来ている。
会社も50年続けば、老舗と言われる・・・しかし、人の寿命から見れば、短い・・・
人が寄り添う、家と言う組織・・・現状の価値観なら、50年続けば、凄いと言う事に成るが、人の一生の中で、一家の崩壊が有る可能性が高まると言う事にもなる。
要は、人が戻れる場が無い方向に成る。浮き草家業の生き方と何度も書いてきたが、この価値観が最近は略と言うほど、蔓延している。
帰れる場を持たない、人達が多く輩出されている事にもなる。
要は、己の我欲を抑制できる、部分を崩壊させている。結果、我欲を貪っている姿が、魅力と感じる様に成っている。この部分も何度も書く、優秀な消費者・・・悪く書けば、物の奴隷と人が向かっていることに成る。
現実に、金の為には命を捨てる人も増えている。これが意味する事は、お金の奴隷と言う事にも繋がる。
私は、人の奴隷の方が、マシだと考える価値観を持っている。
我家に居る、座敷犬のリン・・・飼い主の前では、従順さを見せる・・・この部分が有るから、野良犬とは違う・・・・
要は、飼い犬の方が、私は抑制が効くから良いと考える価値観を持っている。
その抑制に、昔は家と言う部分が有ったが、今は無い・・・今のその部分を担っているのが、会社等に成る。しかし、その組織に属できる期間が有るので・・・人の一生と言う時間軸から、考えると、不十分である。
しかし、この様な価値観は、衰退し、飼い犬と言うイメージは悪くなっている。それが意味する事は、野良犬の方が良いと言うイメージにも成る。
統制が出来ていない、野良犬が集まる、場なら、当然、争い等々が頻繁に起きることに成る。
無法地帯で戦って、勝つ・・・之が正義となる傾向が出て来る。
要は、ルール無用の勝つためにはと向かう・・・
私は、人の奴隷なら・・・・家の奴隷の方が良いと思う、大夫と言う事・・・
理由は、家が集まり、村を形成する・・村が集まり、街を形成し・・最後は、国に成っている。国が集まり、世界と成る。
その最小の家を私は大事にしている。
しかし、現代は、極端に書けば、社会・国の奴隷へと人が向かっている。
要は、国が抑制しなければ、統制が出来ない、野良犬ばかりに向かっていると言う事・・・
私の場合、家の奴隷として、家のルールが有るが・・・そのルールより、社会の方が楽だと思う・・・家のルールの厳しさが有った。
現代は、憩いの場を家に求めすぎている。若し、最初に書いている家を会社と見た場合・・・・憩いの場、我儘を言える場が、会社だったら・・・会社は一瞬に破綻する。
要は、人を担うと言う価値観の人が、会社では少ない・・・要は社会も少ないと言う事・・・
要は、担い手の数より、担われ様と思っている人の数が多いと言う事・・・
家は、当然、担い手の数が多い方が良い、しかし、現実に幼い・高齢な人も居るので・・・・自ずと限界が出て来る。
この限界も現代では核家族・少子化等の問題で、家の存続が難しくなっている。
要は、人が、動物化している。家が、現代では、巣と言う、動物的、一時の場と成っている・・・要は、それを国が監視する、統制する方向に成れば、国の家畜と言う方向の人に向かっていると言う事にもなる。
家畜なら、国が思う、方向性に、そろえる・・当然、違いが無い方向に成るので、平等方向に向かっているともなる。
同じ品種の牛が大量に居る世界・・・・之が平等な世界と言う事に成る。
私は、差別主義者と自称しているので、この様な世界は怖いと思う。
若し、変わった牛が生まれたら・・・当然、殺処分されることに成る。平等を破壊数る存在となるからに成る。
ファシズムは、悪いと教わっていても、何故か人はこの方向に向かい続けている感じがする。
私は、色んな人が居るから、面白いし・・・生きているという実感が有ると思うが・・・
家畜なら、変化も無い、周りを見ても、同じ・・・・生きている価値を見出せないと思う・・・・
どの方向に、人を育てるか????・・・・之が将来を創っていることに成る。
嫁は、高いびきで、熟睡中・・・・・お腹が減ったが・・・・起きるのを待つことに成る。
勿論、起きたからと食べられる保証は無い・・・この不安も面白いと私は考えている。
現代の日本人、数日、飯を食べなくても、死ぬ事は無い・・・恵まれた環境に居ると思う。
地域保全活動の、今日の予定も、コロナの緊急事態が我県も発動されたので、中止に成った。朝から、少し動き回ったが・・・・
全てが停止状態になる、この不安の方が私は、強い・・・・納骨堂の清掃活動も中止・・・・
日曜日、色々、奉仕活動が有る、しかし、若い世代は?????・・・・私の年齢で若者と言われる、中で、活動することに成る。
要は、私達、年代の者の振舞いが、結果として、後継者の排出に繋がる・・・之も人を育てると言う事に成る。
我村も、多くの人は、流入されてきた・・・規模としては行政区二つ分の人が居る。
しかし、その人が、実感として感じない・・・理由は、この様な活動に参加する人が、現象方向に成っているからに成る。この原因は、先に書いている、私達の育て方の問題と言う事にもなる。