我家には、巣立った子供達が、必ずと言って良いほど、来ると言うより、会社への出社・退社の際に・・・気晴らしと集まって来る。
彼達には憩いの場が、我家と成っている様だ・・・之も、嫁のお陰だと思うし・・・嫁が居るから、痒い処に手が届く、母親として、重宝がられている様だ・・・・
今日は、長男が、当然、小遣いも貰えない立場だが・・・それを知っている先輩が、パチンコに誘ったとの事・・・当然、無料と言う事・・・・喜んできて、着替えを母親に要求している。
簡単に書けば、甘えられる場所・・・この様な場所も、必要だと私は思うので、見て見ぬ振りをしている。
四男も仕事から疲れて帰って、一息ついて・・・心を落ち着かせて、嫁里に向かっている。
可哀そうでも有るが、彼が選んだ道・・・・死んでも結婚すると言っていたので、有言実行を見せて欲しいと願っている。
肩に力が入っているので、肩の力を抜け・・・深呼吸せろと言うくらいしか私には出来ない・・・・
タバコのお金も持たされていないので、一箱くれる事に成るが・・・嫁が私の為と1カートン買ってくれるが、直ぐに無くなる。
要は、皆が持って行く為だと思う。
之も、現代の夫の姿かもしれないし、私も思い出すと、同じだった気がする。
この様な、環境が結果的に、己を鍛えてくれたと考えているし、今は感謝している。
長男が言っていたが、パチンコの台打ちをして・・・頂いたお金17000円を大事に持っていたら、それが見つかり・・・大変な事に成ったと・・・・嫁は洋服・娘は玩具と変わったとの事・・・・この件が有ってから、帰ると娘が、洋服等々の検査をする様になったとの事・・・微笑ましいと思う。又、幸せだと私の目には見える。
嫁は、息子達が可哀そうと思っている様だが・・・・嫁が私にする、振舞いも若嫁達と殆ど変わらない様に、私には感じる。
逆に、私の嫁の方が、叩く量は若嫁に比べ、多いと思うし、叩かれても何も出ない状態でも、叩き続ける嫁の方が、凄いと私は考えている。
男は背負うものが大きいほど・・・又、分を超える重さを背負っている人が凄いと考えている。各々、分が違うし、力も違う・・・無い力で支えようと言う思いが出る事態、凄いと私は考えている。
何度が書いているが、森進一の「母」の歌詞に、人の傘に成れと育ててくれた母と有る。
本来、母とはこの様な言動が出来る人だと思う。
しかし、この様な母が居なければ、当然、父が見せる事に成る。
後一人、五男だけが、妻子を貰っていない・・・・他人様と共に生きる・・子の難しさは、折れる事・背負う事・この部分が無ければ、当然、維持が出来ない。
姿は負けている様に見えるが、心・命は勝っていると言う事に成る。
私には、分を越えた息子達だと考えている。
よく育ってくれたと感謝もしている。
勿論、未来は解らない・・・しかし、今に感謝できるだけでも私は幸せだと考えている。