月曜日の12日・・・祭日・・・・父の三回忌を行いたいと考えてる。
その為に、費用も必要になるし、私の今の身で捻出する・・・簡単で無いが・・行うことにしている。
その為に、集金を焦っていた・・・・・此も私の悪い癖・・・今まで縦の物も横にする勢いが、私のバイタリティーの有る形だと言われていたし、それを良いと思っていた。よく言われる、己の思う通りにする・・・この力が強かったと言う事・・・・・結果、己には良かったと思っているが、その分、他には多くの迷惑を掛けていたと言う事にもなる。この部分を病に成ってから見える様になってきた。
今では、一度、受入れる・・・受入れて味見をする・・・このユックリさ加減で事を考えている。
結果、嫌いな、病院も、今は毎月、行けているし、待てるようになってきた。待ち時間も楽しめるようになってきた。
俺が~~俺が~~でが張ってきたし・・この生き方が当然と思っていた。何の後ろ盾も無い身・・・全てを背負わなければと言う思いだで進んでいた。
最近、私の後ろ盾になる、人・後継者が育ちつつ有ると感じている。この部分が有るから、ユックリも出来ている可能性が高い・・・・
無ければ、死ぬ瞬間まで、戦い・・・この文字、戦い続ける一生で終っていたと思う。私は守るべきものが有ったから、闘い続けていた・・・たたかいも感じで、意味の捉え方も変わる感じがする。
我慢しないための戦い・・・・絶え忍ぶ闘い・・・・意味が違う・・・・
勿論、一人一人の後継者の力も不足気味、己の家族・妻子も守らなければならない身・・・その身で親までとなれば大変だし、最近は少子化のために、嫁里の親の面倒も看る方向に成っている。
大変になる事は、想定できていたので、人の数を増やさなければ、一人一人の責務が膨大に増え出す。此を減らすためにも、人の数が必要となる。
私の場合、息子、五人の片手でも支えてくれた、凄い後ろ盾になる。
要は信用にも繋がる・・・優秀や一流というカタログスペックでの信用より、確実性が有ると私は考えている。
数値、データーは一瞬で、大きく変動する・・今は良い評価でも何年続くかは解らない・・・勿論、人に尽くしても、人も寿命が有るので、永遠性は無いが、その流れが続けば、永遠となる。
此が名字の家という部分の信用に繋がっている。
勿論、この様な事が駄目だと成っているから、目先のカタログスペックを追う人達が増える・・・その結果、幸福に成れるのか????それが持続できるのか????当然、最低でも三代まで・・・・此が無い世界、己の代で終焉・終ると言う価値観なら、無謀で暴挙な事を行っても、勝組に成れば良しという価値観が蔓延し出すことになる。
怖い・怖い、世の中に成るという事に成る。
私は、人は長い目で見て、判断しなければと思っている。個人と言うより、一族という単位で私は見ている。要は、集団が発展する、一族が発展するこの事を願うのが人間だと思う。己だけなら、野生の動物でさえその価値観で生きている。人なら少しレベルが変わると思うが、現実には畜生以下と言われる価値観を持った人が、一場の幸福を手に入れたように見えているだけで有る。幻なのに!!!・・・何故、気付かないのか???不思議である。