2023年4月25日火曜日

私の病の投薬の意味・・・・

 私の認識の勘違い・・・間違いが今回の教育入院で解った。劣っていて無知の為に、人様の大きな迷惑を与えたことになる。

私はネフローゼ症候群という病で、その他に急速進行性糸球体腎炎と言う難病も併発している。それに持病の糖尿病が有る。

私は投薬は治すためと思っていた。簡単に書けば、機械を修理するようなことを薬が行なっていると思っていた。

しかし、腎臓病の場合だが、一度壊れた組織、なかなか回復しない・・・

又、何が腎臓に負担を与えるのか????・・・・高血圧と体を酷使する事、それに糖尿病が加われば、腎臓を総攻撃している状態・・・・この状況下に、口より、腎臓に取って毒になる、ミサイルを摂取している。

腎臓が壊れても、当然と成る。

今、頂いている、薬も粗全てが、副作用で腎臓に悪い影響を与える。腎臓は体に入ってきた異物、老廃物を取り除くフィルターの役目をしている。このフィルター部分が、車で言えばラジエターの様な物、血液が大量に流れ、それを浄化している、血管の集合体になるが、先に書いた、急速進行性糸球体腎炎という指定難病病が、血管を破壊している。

勿論、全て出ないが、半分以上が壊れているようだ。

結果、投薬を減らさなければ、その為には、高血圧も糖尿も、己の自浄努力で治す必要性が有る。

口から入る、毒のミサイルは、美味しそうに見えるが、毒だという任死にに変わる必要性も有る。

勿論、各自で違う、各々の能力の差が有る、私は自称差別主義者なので、人には違いが有ると当然の様に言っている。

同じだから平等等という考えは私には無い・・・・己の足で立てる人は、己で歩いて頂きたいし、己の足で立てない人には手を貸せたら貸したいと思う差別主義者になる。

要は、人各々、取り扱いが違うと言う事・・・・だから、周りから差別と言われるが、私の価値観では、当然と思っている。

今回、自浄努力・・・・薬に頼らない、生活にスタイルを変えないと、私らしい生き方が出来ない。勿論、夢物語で、描く思いも有るが、それは現実では無い・・・現実社会の中で、どう生きるか?????・・各々違うし、どれが正しいとも言えないし、間違いとも言えない・・・しかし、悔い無き人生にしたいと私は願っている。

面白い、挑戦したいことが又増えた、短隠語は、又、家族からキチガイ・病人が~~~少しは大人しく病人らし振舞と言われても、今回は、己の思いを、家族に出来るだけ迷惑を与えない状態で、行ないたいと考えています。前回は挫折したが・・・・再挑戦になる。



お昼・・・・

 ベット一つが空いていたが・・・・お昼に入院された。血液透析を決断され、その前の手術・シャントを作る為に、入院とのこと・・・

今後、又、体験等を聞きたいと考えています。

何度も書くが、無知な私は普通で常識的事さえ知らない、無知になる。結果、教えて貰い、習うしか無い・・・その為には誰しも知っている事なので、私は無知です、知らないから申し訳ないが教えて下さいと言う方向方向性でその人の考え、捉え方、体験等々を聞くことが私には良い学びになる。

勿論、誰しも違いが有るし、どれが己に合うのかも各自で違う部分、しかし、違いを知った上で選ばなければ、後で後悔となるし、後悔になれば直ぐに誰かのせいと、責任転換の思いが、三流だからこそ強く出てくる。

要は、三流で劣っているから、当たり前の事さえ、尋ね、勿論、人各々の違いが有るので、多くの例を学び、それから己で選ぶことになる。

当然、自業自得と言うことになる。

人生は片道切符とも言われる。だからこそ、自分に どの道・方向性が合い・良いかを選ぶ事が出来るのが、現代の自由で民主主義の日本国になる。その為にも、多くの事を学ぶ必要が有る。

当然、楽で楽しい方向は、三流なので意識しなくても、耳が聞き入ってしまう。しかし、逆方向、苦や損や負の方向性に対してには耳が塞いでしまう傾向が、私の場合有る。

だから、苦や損や負に対しての情報が無く、この立場に成ると、不幸で誰も助けない等々、卑屈に物事を捉えてしまうし、何度も書くように己以外に責任転換をしてしまう。勿論、私の場合になる。

だから、耳が嫌がる言葉らも、聞入れなければと強く、意識することになる。これも三流が由縁になる。

一流とは、この様な事柄も素直に、耳に入り、己ならどう対処する等々が直ぐに答えられると思うが・・・・私はそのレベルで無い。

考えようでは、人間臭さが強い、人間という事にも成る。

今日から・・・新たに・・・

退院日も決まり・・・・今日から、新たな投薬の開始になる。

一週間で色々変わる・・・体が変化しているという事に成る。

良い方か・悪い方かは解らないが・・・・私としては良い方にと勝手に思っている。

今日の朝食後から新たな投薬の開始になる。量的には、15種類を朝食後に飲む事に成る。

間違えないように、朝・昼・夜・・・又、週に二回や一回と言う薬も有るので、私の場合、大変に感じる。

浮腫も、だいぶん減ってきた。体重の減少も殆どが水だと思うが・・・・水が抜けて軽くなっている。体中に数キロの水が無駄に入っていると未だに思っている。

若いときの人相と顔も大きく変わっている。浮腫からだと思う。

太った・と・浮腫を同列に捉えていたと言う事、太ったと言うより、浮腫んだと言った方がよかったのかも知れない。

これも、精密に検査を受ければ、解るレベルだと思う。

つい最近、手の平を握り潰す方向に、反対の手で行なうと、細く小さく、表現が大袈裟に成るが、折りたためるように小さく細くなる。これが出来なかった。強く圧力を加えても、手の平の形を維持していた。己の筋力等後からで無く、単純に浮腫んでいたと言う事に成る。

体の保守点検も自己責任で有る。私は古い考え方をするので、基本、気合いだ~~~~で事を進める癖が有る。

研修医が、今、私の急速進行性糸球体腎炎で起きる、浮腫からくる紫斑を見たいと、足等を看られるが・・・・今は無いので、探していたら、浮腫変な#の後が皮膚の表面に有るので、写真に取っていた。それを、パワコンに移行して、見せた。

この状態でも、仕事をして、気合いだ~~~と前向きに進んでいたら、数日後には息も出来ず、歩く・這う事で出来機内状態に成った。本来はこの時に死んでいても不思議で適ったと言うこと・・・勿論、病気もだが疲労・心労。等々の部分で起きるらしい・・・・要は、己の限界を突破したが、本来死ぬところだったが、奇跡的に生き残ったと言う事になる。

色んな、偶然が重なり・縁し合い、その結果が生き残れた、感謝となる。

今回、去年の二月頃の写真を掲載します。

おはようございます。

 今日は、早朝より雨・・・・シトシトと降り続いている。

何時もの様に起床し・・・体重測定67.4kgになった。想定通りに体重が落ちだしている。しかし問題なのが、脂肪で腰を持っていた・・腰に問題を持っている私・・痛みが激しく、その為には、腹筋が必要と思うが、私は安易な脂肪で防御していた。それが無くなる方向、今まで感じにくかった、腰痛を激しく感じるように成った。

しかし、歩け・歩けのウォーキングは続けている。歩くと何故か、腰の痛みが軽減する。最初は痛むが、続けている内に痛みが薄れる。

同じ様に、足先の痺れ・・・・歩くと軽減できる。腰痛と一緒で最初はキツイが、それを超せば、痺れも感じにくくなる。

朝の身支度を済ませ、病棟内をクルクル・・・何時もの場所で、30分ほど歩け・歩け・・・又、気になる散乱は、片付けながらに成る。

同時に二つの事、効率的だし、一つは己の為、もう一つは皆の為、バランスが良いと勝手に思っている。

6時に成り、一休み五男を起そうと、モーニングコール・・・何時もの様に起きない・・・・嫁に電話・・・

嫁から叱られた・・・今日は五男は公休日とのこと・・四男も雨の為に休みとの事・・・・昨晩、電話口で言っていたらしいが、私の頭から消えていた、ボケだしたと嫁が、嫌なトーンで電話を切った。

ツイツイ、勝手に思い込み、行動してしまう。昨日も、病院の周りをウォーキングそれを出社される、看護師に見られ・・・携帯電話で、帰れのご指摘を受けた。申し訳ない・・・病人が、医院外に出る。悪い事とは解っていてもしてしまう。三流の私に成る。

失敗も間違いも起す、私、それが人間だと思っている、だから、多々のご指摘、叱咤等々、当然、受けるものだと思っている。

仮に、失敗・間違い・減らしたいと思うし、その様に教育を受けている。しかし、人間も生物・・・成長時と、衰退時が有るのが生物だと私は考えているし、その中に人間も属していると思う。人間だから、この集団から脱する事は、出来るのか???・・・・私は出来ないと思っているから、失敗も間違いも、ある時点を境に、増え出すと考えているし、それが、生物だと考えているし、人間だと思っている。

出来る前提に、人を評価していたら、出来なくなったら、評価できないと成る。当然、それを良しと思わない人達の居る。如何するのか、現実は、衰えているがそれを隠そうと粉飾し出すことになる。

要は、劣る部分も当然出てくる。しかし、逆に長ける部分も出てくる筈、その部分を磨かなければ、老いる事が許されない人生になる。

母が言っていた、老いる・枯れて行く事を楽しめるように成れ・・・老いてなお楽しい、幸せだと思える、価値観となる。

私は、何度も書いているが、人は、絶対に避けることが出来ない事が、待っている。死で有る。又、長生きをすれば、当然、老いるという事も出てくる。要は、衰退すると言う事・・・病も同じで、体の衰退を意味する。

勿論、発展・成長を求める、当然だと思うが、何の為か????私は、老いに備え・病に備え・死に備えるためだと考えている。

当然、備えることが出来ていれば、生きたと言う事になる。

立つ鳥跡を濁さず・・・・この基本の思いで生きづけたいと考えています。

ブログUP後、7時まで、本館との渡り廊下でウォーキングを続けます。