2022年10月19日水曜日

祖父の教え・・・身軽・・・身の丈以下・・・・

 今、戦争の足音が近づいている感じがする。

要は、喧嘩と言うこと・・・何の為の喧嘩なのか????・・・・私は力も無い上に、己の思うことを口に壁を創らず言うタイプ・・・結果嫌われるが・・・・敵として抹殺しようという事には成らない。

喧嘩なら勝つ事も大事、勝つためには相手が弱い方が良い・・・・私は喧嘩相手として弱いので、勝つ事を目的として喧嘩しているなら、楽な相手となる。

しかし、現実には、この様にならない・・・勝っても意味を見いだすことが出来ないからだと思う。

仮に、相手が持っている利益に思える物を手に入れたいと、戦う・・当然、相手の陣地に攻め入り、破壊的行為を行い、焼け野原にして勝ったとしても・・・・得たいと思っていた、利益は当然、失われている。

特に、一人一人の民衆が自立し・・己の意思を確りと社会に反映させようという、民主主義の基本が確りしている国の場合・・・

国の国土の中に、資産・・・資源等が有るなら別だが・・・人の集合体が国という状態の国なら・・・資産は人になる、しかし、攻めて勝って、その様な人を支配できるのか????当然、難しいし・・・統治の為には膨大な能力と、費用が居ると言うことになる。

逆に、自立できない、独裁的国家の住民なら、価値観は、寄生虫的価値観、寄生する宿主が、何をしてくれるか、何を与えてくれるかで、簡単に統治が出来るし・・当然、飴で誘導する事もあるし、逆に鞭で誘導する場合も出てくる。

私も資本主義の社会に生まれ・・・この国の価値観が、自然に身についている。どうしても物に執着があるし、物の良し悪し・・当然、この価値観も各自で違うが・・少しでも己が思っている価値が高い方を求めて生きる特性と言うより、癖がある。

しかし、物を得ると言うことは、維持管理が必要になる。当然、汗も流すし、費用も必要になる。

私が子供の頃、エアコンという機械は、デパートくらいにしか無かった。

しかし、現代は、我家でも10台近いエアコンが稼働している。これが意味することは、維持管理が必要で、今後、壊れ、費用が必要となると言うこと・・・この維持管理は、当然、私の責任となる。しかし、私自身は生身の人間「生老病死」から脱する事は不可能・・・要は、維持管理が出来な時が来ると言うこと・・・当然、財産で資産を思っていたものが、負債に感じる事に成る。

今、他国が日本に攻め入るという報道が、流れている。

何処がとなる????・・・・北の独裁国家・・・・我が国を占領しても意味が有るのか????・・・要は、得るものが無い・・・日本国民を手に入れても、思うように言うことを効くとも思えない。

勿論、先進国と言われるインフラが有っても、戦えば破壊されていることになる。

要は、ヤクザも同じだが、金にならない喧嘩・戦争はする意味が無いと言うこと・・・・それなら、何故、恐怖という部分で、攻めるのか????攻めていない・・・生きる為に、カツアゲを行っていると言うこと・・・・

誰しも生きる為に、己の出来る事で金を得ようとする。その出来る事が、人で違うし、脅すことしか出来なければ、それで稼ぐことしか出来ないとなる。

要は、生きれれば良い・・・生きれる状態の環境に成れば良いと言う事・・・当然、本人は気付かない・・・今の行動以外に富を得る方法を知らないからに成る。

仮に、他の人に奉仕する・・・己の身を削って、血が滲む様な思いで得た物を、簡単に、奉仕できるか????・・・楽し、簡単に書けば、カツアゲ等で得た富なら・・・ばら撒くことも簡単で有る。

これを、求めている、寄生虫が居ると言うこと・・この体制の国も有る。

よく、人間は、死後に己の行いに対しての罪が~~~と言う~~~・・・人間だけなのか????・・・生命全部が仮に神に罪を断罪をされると成れば、肉食獣は・・多くの命を頂くと言うことに成る・・・当然、この様な価値観なら、地獄に落ちると言うことに成る。

現実にと私は思う。私も罪と感じず・・・多くの生命を奪っている。

歩くと行為で、小さな、虫・微生物を踏みつけ殺している可能性も有る。

又、今朝から、食したもの・・・植物も生命と考えれば、命を頂いたことに成る。ペットボトルも輸送中等に車が何かを殺しているかもしれない。

要は、物を得ると言うことは多々の命を奪ったと言うことにも成る可能性が有る。

勿論、差別主義者で確り優先順位を持っている、変わり者の私だから言えることだし、思っていることだと思う。

平等主義者なら・・・何って不幸で悲惨な生き方をしていると思えば、国境も越え・・己の身を犠牲にしてまでも、物資を借金して届けようと知ると思うし、その様な人が、日本国には多いように、マスコミ等で言っているので、我が国は本来安泰と思うが・・・現実は、差別主義者で己の色と少しでも違えば排除すると言う、極端な独裁者的価値観を持っている人が増えているようにも感じる。

人各、考え方、価値観は違って当然と私は考えている。

同じ価値観だから、共に居ると言う、発想が解らない・・・・

本当に同じ価値観で共に生きたいと考えても、生物で有る限り「生老病死」から逃れることは出来ない・・・要は、今二十歳でも明日、死ぬ可能性が有ると言うこと、当然、共に生きることは出来ないことに成る。

現実に後生に何が残せるか???物としての財産等は、いつか無くなる。

当然、無くさないためには、後生に維持管理を任せることに成るし、当然、汗も流し、お金も必要になる。

後生に何を残せるか????・・・土地・国・・資産・・

私は、人だと考えている。

人として生まれたなら、人を残す事に注視した方が良いと考えている。

人は、残っても捉え方が、大事になる。

何度も書くことだが、勝つ必要な無い・・・しかし、絶対に負けない、負けないという意味は、生き抜くと言うこと・・・何の為???・・当然、後生に人を残すため、後継者の育成になる。

現代は、全て損得勘定で判断している。勝つ事は得だと思っている。戦いはキツイが、勝てば官軍で、思うような振舞が出来ると思っている。この価値観が有るから、負けると言うことを異常が着くほど嫌う・・・

何で争うのか???・・その理由が解らない・・・何故勝たなければ成らないのか???それも解らない・・・

私は、己の寿命を生きれれば良いと思うし、何を手に入れたかより、何人の人を育てたかが大事だと考えている。

人と比べない、己は己・・生き抜くことだけに注視し、その後は何を残せるかを考えた方が生きる意味を見いだすことが出来ると私は思っている。

先に書いた様に、生きる為には、殺生もする。命を頂くから、命の育成も大事だと考えている。

要は、理想的な綺麗事で、人は生きれないと言うこと・・・