正邪論等々、何が正しいか????善/悪・勝/負・・・等々の二曲に向かいすぎている感じがする。
要は、未来は、今に掛かっている。今が岐路に成るし、その責任を背負って居居ると自覚している人が何人居るかに成るとも思っている。
環境が人を育てるとも言われる・・・今の環境に即した人が生き残る確率が高いという事になるし、その流れの頂点に居れば、尚更、楽で裕福な生き方が出来るという環境に成っている。要は、優れている人は人から搾取する事が可能になるという事・・・・本来、優れていると言う事の意味合いと180度違う事に成る。何故かという理由は、社会が~~~環境が~~~と成っている。要は、環境の下僕が人間と言うことになるし、少しでも楽し、富を得たいと思えば、搾取する側の勉強をした方が良いというのが現代になる。
勿論、私も親として、子供の教育、どの方向に育てるか???等々、悩んだ・・・己だけ良い、未来等々、考えない、この価値観なら、環境に合わせて、最先端を走った方が、楽で裕福に生きれる。
要は、環境が地獄なので・・・悪魔に育て創り上げた方が、その子単体には良いと言うことにも成る。
短いスパーン・・・己の一生「生老病死」これさえ、無視する社会になっている。要は、短さのレベルが、今の一瞬という時間軸になっているという事・・・
勝てば、歓喜・・・・負ければ、嫉妬や恨み・・・・この流れは優秀な寄生虫・搾取される側を創るには都合が良い・・・・
私は、人が環境を創り上げていると考えている。
要は、人の傲慢さ・身勝手さが・・・・環境を悪くしている。
悪くした環境の中で、どう生き抜くか、私は最近、何度も書く、漫画「バカボン」のレレレのオジさんが、菩薩に見えてしまう。
彼は、勝つ人には見えない・・・・しかし、世を少しで綺麗にと、己の分で行動されている。
私も見栄が有るために、出来にくい部分になる。
簡単に書けば、ダラ瓶と解っていて、それに飛び込めるか????・・・勇気以前に、汚い・臭い・等の思いが私の前に厚い壁となって立ち塞がる。三流だから仕方が無いか知れない・・・・
己の為でも飛び込めない、増して、他人のためと飛び込めるわけが無い
要は、この考え・価値観に支配されているという事、三流だし、劣っていると己で認めていることになる。
他人だから飛び込めた、これが菩薩の振舞になる。
要は、己中心主義、自己中という己の本心を言っていることになる。
我が息子達も同じで有る。絶対に、死んでも離婚しないと言っていた、二人の息子は、アッサリと離婚している。
不思議に、私の嫁の関係、何故、お前と結婚???・・・この疑問をお互いが持ったまま挙式を迎え・・・親がお金をくれたので、車で、南九州を回った、その際も喧嘩・喧嘩・・・最後は、私が高熱を出して、別府の旅館で介抱して貰った。
行き当たり・・・計画・将来等々、考えもしなかった。その後は、その日暮らしで背一杯・・・父の事業の失敗も有り、毎日が大騒動の、バッタバッタ人生で・・・その日くらい状態が、結果的に今まで共に居れた理由かも知れない。
考える余裕が無かったし、遊びたい等々、思える、若い時代では無かった。
必死に生き残る・・・当然、周りから人は塩が引くように居なくなる。残るのは、基本、私以上に困ったチャンになる。
頼る人も居ない・・・己で生き抜くしか出来ない、分相応処か・・・分以下の生き方が背一杯・・・勿論、背負っているものを下ろしたいという思いには成らなかった。
この様な生き方をしている、私だが、育てた子は、どうしても社会の影響を強く受けている。
勿論、優秀や一流の人が多い、社会の影響・・・菩薩的は価値観を学んだかと思うが、現実は、三悪道・・地獄・餓鬼・畜生のレベルの価値観を強く得ている。
結果、彼達が構成する社会なら、畜生界・餓鬼界の、レベルでその中で生きる人達は、餓鬼界の、地獄・餓鬼・畜生というレベルになっていく
要は、地獄の中の地獄、その後は、地獄の中の地獄・その中の地獄と向かうことになる。当然、環境が・・・・社会がとなる。
これが、嫌と思うなら、後継者をどう育てて、何を趣旨目的にさせるか、大事になると私は考えている。
現状は、金本位主義・・・全ての終着・終わりは金の為に成っている。私は、人の為の哲学に変わって欲しいと願っている。