2021年7月14日水曜日

疲れを整える・・・・

 午前中・・早い時間から仕事を終わらせて・・・

午後は、癒しの時間と考えている。

最近、疲れが取れず・・・何時も「キツイ」「キツイ」と口から出ている。

体力と言う部分より・・・精神的、疲れが・・・取れないと言った方が正しいと思う。

出来るだけ、私は、低空飛行を続けようと考えて、生きて来た。

一般的に人生を、登山に例える人が多いが・・・私が考える、人生観とは違う・・・

簡単に書くと、前に進み続ける・・当然、後に戻る事が出来るのが、登山に成る。

しかし、現実は、後ろは崖と言う事・・・・前に進む、後ろは崖・・・この感覚が有るので、人生は、飛行と思っているし、飛ぶ事だと思っている。

後に下がる事が出来る、高度が有る・・・私の場合、足が付く高さと言う事に成る。

段差に止めたいし、この高さの差なら怖さが少ない・・・

しかし、高く飛びたいと前に前に進めば、当然、高度も上がり出す。後は当然、地上との差が大きく成った、崖が有ると言う事に成る。

この感覚が有るから、分相応と言う思いで生きて来た・・しかし、家族を儲け、家族も増え続ける・・・結果的に、その家族を守る為に、高度が高くなる方向に向かい過ぎたと考えている。

この高さの差の部分が・・・私の神経に負担を与えていると言う事に成る。

不思議だ、登山なら、休んでもその場を維持できる・・・しかし、飛ぶと言う感じの為に、休めないと言う事に成る。休めば落ちる・・・特に上昇気流が起きる環境だと、少し休むことも可能だが、下降気流の中で、高度を維持する事自体が、難儀だし、我武者羅に羽ばたき続ける必要が有ると言う事に成る。

家族と言う集団で飛び続け・・中には羽ばたかない人も居るので、背負いながら飛ぶことに成る。

又、家長として、一番、抵抗が掛かる、先頭を飛ぶことに成る。

之も後継者を輩出できなかった、私の自業自得と言う事にも成る。

午後は、少し、精神を癒したいと考えている。

人で変わる・・対応・・・

 私は何度も書く様に、差別主義者と自称している。

人の数、個性が有るし・・・当然、対応も変わると言う考えが私には有る。

この様な社会だと思っているし、現実と捉えている。

しかし、私の普通という考えが有る。

仮に、本業の商品を納め・・・説明を行う・・・私が思う普通の説明で、終わる人も居るが・・・・それでは足らない人も居る。

又、何度も同じ説明をしても、理解できない人も居るし、説明は不必要と言う人も存在する。

当然・・・私の能力を多く使う方向と・・・全く使わなくても良い方向とが現実社会では存在してる。

私が扱っている商品の様に、取扱説明書通りにすれば、問題なく作動すると言う、機械でないのが、人間だと私は捉えている。

要は、人間としての取扱説明書は、一つで無く・・・・人の数 有ると言う考えが私に成る。

私自身を差別主義者と思うのが・・・己で決めた、普通・・先の件を例にすれば、この程度の説明が普通という捉え方をしている。勿論、このれが勝手に決めた普通である。

この普通を対応を行えば、解って頂くのが、人として普通の存在と言う事にも成る。

しかし、現実は違う・・・私が思っている普通の説明をしても、理解できない人も多く居る・・・その都度に、面倒やお金に成らない、損と言う思いが心を過る・・・・

この様な人間だから、差別主義者と私自身を思っている。

要は、己の思い通りに成る事が普通という、価値観を、命が持って居ると言う書庫にも成るし、それは差別主義者と言う事に成る。

勿論、駄目だと思うから・・・私の努力している、主義と言う方向から、離れる努力に成る。

要は、主義者と成らない様にしていると言った方が良い・・・その為に、損と己自身が思う方向にも、己の尻を叩いて関わろうとしている。

余りにも、主義方向に傾くと、差別主義者は独裁者に向かう・・・要は、己の思う普通と違う人は排除という価値観に成る。

私は、先ずは関わる・・・勿論、私は神で無いので、限界が有る。

能力不足で、対応できないと成るまで、関わり続ける・・・又は、相手が勝手に私を切る等が無い限り、縁を大事に関わり続けたいと考えている。

しかし、三流の人間、無理だとさじを投げる、事も多々ある。

大阪に今は居る、困ったチャンも、その一人と成る・・・・

私が危惧している部分が、この部分・・・人を、規格品の機械の様に捉え、同じ取扱説明書通りの対応をする。それで駄目な人は・・人で無い・人間で無いと言う、方向性に進んでいる感じが肌で感じている。

この方向が、平等な社会と言う、捉え方をしている人が増え続けている。

要は、普通の対応を、人が変わっても行う・・・この行為・対応は、平等な取り扱いと言う捉え方に成る。

それで、対応できない場合は、相手が悪い、極端に書けば、人で無いと言う事に成る。

私は、人の数・個性が有るし、取り扱い方が違うと考えている。

当然、対応が人で変わると言う事・・・・厳密に言えば、時や場所 等々でも変わると言う事・・・

同じ人でも、体調の変化が有るのが、人であるし、生きていると言う事・・・能力も、歳で変わる・・・場所でも変わる・・・

以前、人間観察が、私の本当の趣味・・と・・書いている・・・之を楽しむために、色んな集団や・組織に属してきた。

理由は、人の取り扱いを、学ぶために成る・・・・人の見て、取り扱い方を瞬時に、理解できる事を求めたからに成る。

勿論、己の能力も関係する・・三流の人間なので、無理な場合も有る・・・しかし、この部分は、己を鍛錬させれば、解決方向に向かう・・・しかし、完全と言う形は、不可能であると考えている。

何故と言う事も有る、要は、人は、一人では生きれない、集団の中で生かされている。

集団が少しでも良い方向、協調性を保ちながら、共存共栄が出来ないのか???という、思いが、私をこの価値観に進めたと考えている。

己だけが、楽で良い環境を若し作れても、私には寿命が有る。永遠性は無い・・・

己の行動は己と言う範囲内で、終わるなら、今話題の、ウイルス以下の存在と言う事・・・

人間として生を受けたという、意味を己なりに考えた結果に成る。

要は、己の体が無くなり、死後の社会・未来と言うとに成るが、何かを残したいと考えている。出来れば、人々の繋がりが続く方向を私は夢見ている。