2018年3月1日木曜日

エアコンの修理・・・

サービスが来訪・・・・前回、父の部屋のエアコンの修理に来られた人と同じ・・・

しかし、今回は、部品が無い為に、修理不能との事・・・・・

基板不良の、サービス表示をしているが・・・その部品が無い・・・

しかし、基板等の故障は、一般的には回復しない・・・・回復することは、接点不良と言う場合も、多いので・・・

今後、又、成った場合は基板の点検を自分で行なおうと考えている。

現状では、症状も出ないし・・・・正常に稼動している。

しかし、点検料という事で、3千円の強の請求が有った。

全てお金・・・・之が現実・・・・・

分相応で、壊れている物を、騙し騙し使う・・・・之も有りかな~~~と考えている。

十年経てば、部品が無く成りだす・・・・・修理も十年が目処に成りだす・・・・

この事は、今新調した商品でも、70歳前には壊れたり、修理不能に成る可能性が有る・・・

死ぬまで、現役の消費者で有り続ける・・・・之が求められている事にも成る。

経済と言う、大きなシステムに組み込まれている為に・・・この世界から脱する事が難しい・・・

システムを知り、又、人間の本質を知り・・・・上手に使えば、世の中を上手に生きることも出来るが・・・・無知な私は、其れが出来ない・・・



訳が解らない・・・私は馬鹿・・

請求が・・・カードローンの請求の電話が・・・・・私の頭は????・・・・・

嫁に聞くと、車検のローンとの事・・・・私の商用車は、現金で支払っているが・・・何故と成る・・・

三男のクラウンの車検代との事・・・・・私は何故と成る・・・

嫁の回答は、次男のクラウンの車検代も払って上げているので・・・子供を差別する事が出来ないと言う、言い分・・・・

昔から、全て、払う、之が私のスタンスだったが・・・・私も限界が有るのでと、10年程前から、一人前に成っている、子供達に手を貸すなと私は言い続けていたが・・・

又、行なっている・・・・・之が母の愛情、何処が悪いというスタンスが、私は解らない・・・

稼ぎ手の私も人間、長けて行く時も有るし、劣り出す時も有る・・・・・之を、認めない風潮も現実には有る。

全て、日本経済は、この基準が曖昧だし、人を固定化して考える風潮がある。

私は、機械でも無いし・・・・永遠に長け続けるスパーマンでもないし・・・永遠な力を盛っている神でもない・・・・

嫁や家族の価値観と・・・・私の価値観が大きく違う事に成る。

今、この件を嫁に問うたら・・・差別をしたくない・・・昔から私は言って居たが何故、今後は注意すると成ったが・・・

之が通用するなら、世の中は丸く行く・・・・・一度した事、出来ないと成った、ハイ解りましたと言う、人間は殆ど居ない。

結局は、人に良い顔をし過ぎる・・・之が、悪を作り出している。

又この様な人が、結果的に、愚癡も多くなる・・・・この愚癡も全てが人の責任に成っている。
非常に仲良く、話していたが・・・その後、誰と聞けば、今度は悪口が出て来る。
対面している時は、ニコニコ、貴方を認めています・・・・・・・・・一旦離れると、一番嫌いな人と成る、この変化が怖い・・・

この傾向性も、最近は男性も増えている。

本題に戻り・・・・嫁に、私は???と尋ねた・・・・子供達には良いかもしれない・・・其れを平等に扱い、簡単に書けば、お金を渡ししてる・・・子供達が感謝しているなら少しは救われるが、其れを当然と思っている。

この様な良い母を演じた結果・・・・私はとなる。
何も知らせられない・・・唯お金を嫁に渡し続けて、何時も足らないと罵られる立場は????

嫁は無言になった・・・・・

訳が解らない・・・・・口酸っぱく私は言い続けている・・・何故見栄を張るのか、分相応・・・・無い時は無い、その為に・・・日頃が大事・・・・

若い時から、一家に一台の打ち出の小槌の立場を、頑張ってきたが・・・私も限界が有る。

60歳に近付く中で、若い時以上の、事を望む・・・人の欲の深さも、人の道理を無視していると私は考えている。

何故、私が使いもしない、車の経費を払うのか????・・・・・親だから仕方が無いという時期は過ぎたと私は考えている。

仕事車の商用車位が、私の分に適っていると考えて居たが・・・現実は高級車等々何台もみていた事に成る。

私が家族の中に溶け込めない理由も、この部分だと思う・・・・知れば、やはり私なら口から当然と言う部分が出る・・・・出れば、其れを納得できない家族と、諍いが起きる。

父親とは現代では、寂しい存在かもしれない・・・・・女性的に見栄や・周りや等々の、対外的部分との対比で判断する価値観が、男の子供にまで・・・・・

最近の子供に父の影を見る事が少ない理由が、私の子供も一緒だと解ってきた。

昔から、世の中を動かし、環境を作り続けているのは、女と言われた居たが、その通りだと思う様に成って来た・・・・昨今はこの流れが加速している。

帰宅・・・・

病院で・・・迎えの嫁を待つ間・・・・

警備員のオジさん達と・・会話・・・・

私の今の体なら・・・この様な仕事が良い感じがする。
しかし、何故か、私より高齢な人ばかり・・・・・本来、隠居の身の筈だが・・・・現実は違うと言うこと・・・

この年代の人の、基本は、棺おけに入るまで元気・・・・この奇跡的事を求められているし・・・之を選ぶしかない、環境のようだ・・・

元気も、若者的な健常者が基準に成っている様だ・・・何か欠けだせば・・家族からでも捨てられると言う、思いを持っておられる。

老いる事が許されないという、現実に成っている事に成る。

結局は、基準が一本・・・一つしかない世界と言う事・・・・・管理側にすれば、基準が多々有るより、少ない方が良い・・・・この管理側、権力者側の意思を、国民全てが持って居ると言う事・・・

お山の大将が良いと言う発想であるし・・・お山を支える、人等見えないし、又、見えなければ居ないと一緒・・・・・

動かない観越しの上に載って、偉いだろう、きらびやかで凄いだろう・・・この様な事を言っている人が覆いと言う事・・・

何故かは、周りに居る全ての人が、上に登ろうとしているし、担ぎ手や支える人が居ない・・之に気付いていない。

本来、若い時は担ぎ手・・・・高齢に成って、担がれる立場に成るのが普通と考えているが・・・・この考えも、異端的に成っている。

我家でも、今流れが進行している。

若い時は、買ってでも苦労をせろと、私は言っているが、子供達には馬鹿なことを言っているとしか聞こえていない様だ。

結局は、小市民を創っている事に成るし、一種の奴隷化だと私は考えている。

自分の生活の為、又、少しでも楽したい・・・この部分に注視し過ぎている。全てが周りとの対比、之で、優劣感を感じているし、劣等感を感じたら、不幸だと考える思考回路作られている。

全てが環境が影響しているが・・・この環境に疑問を持たない之も不思議・・・・

皆一緒、この意識が強過ぎる・・・結果、疑問を持って、異端児に成るのを怖がる・・・・

今日、ニュースで・・・電車の女性専用車両に疑問を持った、人が、取り上げられていたが・・・・私も以前、この部分は書いている。差別になると・・・・・

性差別を嫌う、女性は多い・・・・しかし、女性保護は差別と考えない・・・・それなら男性保護も合ってよい・・・・・男性専用車両が有っても良い・・・・痴漢等の問題を、意識して、電車に乗る時は、両手で吊り革持つ、この様な対策をされている人も居る時代・・・

高速道路のサービスエリア・・・・男性便所は・・・・女性元所が満杯の場合・・・・オバさん達が大量に押し架けてくるのも現実・・・

之を男性が行なったら、大変な事に成る。

今回、私は、事故で怪我をしたが・・・・嫁が警察や病院へのアプローチを多々している。クレーマー的に取られても仕方が無いと思うが・・・・もし、私が行なえば、脅迫と取られる可能性もある。


人の特徴、特性を、加味して、物事を考えるのが、一般的と私は考えている。

同じ言葉でも、子供が言えば、気に成らないが・・・・立場が高い人が言えば、精勤的に傷付く事も有る。
同じ言動だが、人で変るし、取り方でも変るという事に成る。

この部分まで、差別と言う時代に成るのかも知れない・・・・

昔は、馬鹿な戯言と片付けた部分も・・・・脅迫されたと訴える事が出来る時代・・・

逆に、立場が高い人は、たわいない会話も注意が必要と言う事に成る。

私は三流市民が一番居心地が良いと考えている。何故かは、思うことを言えるから・・・

自分の思いを表現できる立場が、一番良い・・・・私の先輩対には、言える立場に成るまで、上り詰めると、上の方向の立場に成られたが、結果、何も言えない人に成っていた。

環境が人を作ると言う事に成る・・・・・・環境は全ての人か関わって出来ている・・・この環境中で起きる、全てが・・・結果的にその環境の中に居る人の責任と言う事に成る。

良い責任は、誰しも私も・・・と成るが・・・・・悪い責任は、私は関係ないと成る。

環境の中で、起きる、悪い部分をどう減らすか、之がこの環境に住む住人の考えに成る。



三月・・・・・

今日はリハビリの日・・・・

三月となり・・・・そろそろ・・・・体も妥協する頃に成って来た。

完璧には治らない、雰囲気だし・・・・・何時までも病院に頼っていても、意味が無い気もしだした。

当然、今でも痛むし・・・右腕も思う様に動かない。

之も、運命と割り切れば・・・後は、今の現状で私に何が出来るかが大事に成ると考えている。

生きていれば色んな事が起きる・・・之に対応できるかが、生きる楽しさだと考えている。

苦労が無い、人生も有るし・・・逆に苦労が多い、人生も有る。

苦労が多い人生が普通・当り前と考えていれば、少々の苦労も、苦労で無くなると考えていたが、

60歳近くなると・・・・経験値は高く成っている筈だが・・・キツサの度合いが若い時とは大きく違う。

之が意味している事は・・・・・若い時に、経験度が少ない・・・強いキツサの経験が無かった事に成る。

若い時に、苦労をせろと、昔の人は言って居たが・・・・この言葉の正しさを今、感じている。

今月は、今後の身の振り方を、考える時だと思うが・・・その時間も現実には無い・・・

昔は、親に問題が出たら、他の家族がカバーする・・之も有ったが・・・現代ではこの考えも出来ない・・・

死ぬまで、一生・・・自分の足で、人の手を借りず生き続ける。之が普通・当然と考えられている現代・・・出来なくなったら、他人様から介護医療と言う名目で手を借りる。

その為には、規格に応じた、要介護者に成る必要・・・

全てが規格・・・・人の人生まで、規格に成る時代なのかも知れない。