2018年3月1日木曜日

三月・・・・・

今日はリハビリの日・・・・

三月となり・・・・そろそろ・・・・体も妥協する頃に成って来た。

完璧には治らない、雰囲気だし・・・・・何時までも病院に頼っていても、意味が無い気もしだした。

当然、今でも痛むし・・・右腕も思う様に動かない。

之も、運命と割り切れば・・・後は、今の現状で私に何が出来るかが大事に成ると考えている。

生きていれば色んな事が起きる・・・之に対応できるかが、生きる楽しさだと考えている。

苦労が無い、人生も有るし・・・逆に苦労が多い、人生も有る。

苦労が多い人生が普通・当り前と考えていれば、少々の苦労も、苦労で無くなると考えていたが、

60歳近くなると・・・・経験値は高く成っている筈だが・・・キツサの度合いが若い時とは大きく違う。

之が意味している事は・・・・・若い時に、経験度が少ない・・・強いキツサの経験が無かった事に成る。

若い時に、苦労をせろと、昔の人は言って居たが・・・・この言葉の正しさを今、感じている。

今月は、今後の身の振り方を、考える時だと思うが・・・その時間も現実には無い・・・

昔は、親に問題が出たら、他の家族がカバーする・・之も有ったが・・・現代ではこの考えも出来ない・・・

死ぬまで、一生・・・自分の足で、人の手を借りず生き続ける。之が普通・当然と考えられている現代・・・出来なくなったら、他人様から介護医療と言う名目で手を借りる。

その為には、規格に応じた、要介護者に成る必要・・・

全てが規格・・・・人の人生まで、規格に成る時代なのかも知れない。


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