私が育った時代は物が終戦後、何も無い時代から少しは、ひもじい事も減っているが、物が無かった。
我家は兄妹二人・・・昔は、一つの物を分ける・・・当然、我家では二つになる・・・終戦後の教育で平等と言う言葉が氾濫していたので、当然、平等に分ける事に成るが、最終的に私が感じた事は、平等とは不可能という事・・・
今と違い、些細な違いも容認出来ない、ひもじさが有った。仮にバナナを二つ、重さが一緒でも、皮と実とのバランスが同じとは限らない・・・又、重さを正確に計る物も無い・・・・
仮にバラ菓子でも、数が一緒でも、大きさ、包装の違い等々で揉める。
二人でもこの状態なので、兄妹が多い、家庭だと大変だったと思う。
私は、学んだ点は、算数的に、正確に平等という事は、現実の社会・人間社会では無理だと言う事を学んだ。
結果、同じ要でも、何度も書くが捉え方の違いで、多々の答えが存在するる。此が私の考えの前提に成る。
今は、全て平等、私が10するから、貴方も10しなければ平等で無い・・・この様な捉え方をする人が多い・・・しかし、先に書いているように、人の違いで捉え方が違う・・よって平等で無い、損得勘定が出てくる。当然、損していると思う人は不満が有る。
それなら、二人で片方が不満が有れば、後の片方は、満足しているか???・・・お互い、不満足を感じていると思う。
理由は、平等という意味のと耐え方の違い、価値観の問題に成る。
今、我家の見れば、私は手を必要とする立場・・・・家族全員が平等に負担を背負っているとは言えない・・・不平等だが何故か、維持できている。勿論、幸せを装っているかも知れない、しかし、今の日本国、負からは簡単に逃げる事が出来る、環境に成っていて、この手段を使わないという事は意味が有ると思う。
平等が怖いのは、基準が出来・・その基準が達成できない事が悪になる。悪は滅びて当然・・誰も相手をしない・・・この様に成れば、人は、己のスペックのカタログを、普通の基準以下に出来ない、仮に有っても隠すことになる。要は、スペックの粉飾になる。
私は、手が器用で、修理人として生きてきた。しかし、今はドライバーも真面に握ることが出来ない。カタログスペックの何カ所かが、機能不全と成っている。
しかし、人様の役に立つ部分も探せば有ると思っている。此が有るから、生きれているとも言える。
マスコミの影響なのか・・・一流の評論家が世の中に多すぎる、特に評論するという事は、何かの基準が有る。
又、人の歓心を得なければ、人前に出ることも出来ない・・・今は、損得勘定と、勝ち負け論・・・この部分で、勝ち・得する事を、囁くと直ぐに現実が動く・・・人が動くという事・・・
怖いことだと思う、国を捨てる報道が有れば、可哀想、何故受け入れないとなる。本来は、国を何故、捨てるのか???・・・その部分の捉え方・価値観を考えさせた方が良いと思う。
仮に、今の日本国・・・物価、それも生活に大きく関係する光熱費等の料金が三倍になれば、当然、キツイとなる。耐えられなければ、どうするか????政治を動かすか、国を捨てるかになる。又は、キツイが耐え忍ぶ、事が出来る、現状にしているのか???・・・毎日が自転車操業なら当然、些細な変化でも、大きく影響する。
此も何度が書いている。100万稼いでも101万使えば、赤字に成る。
10万しか稼げないが9万しか使わなかったら、1万の貯蓄が出来る。
此も、日本人に多いのが、ギリギリまで使える、此が出来る事が優秀と思い込んでいる人も多い・・・
明日の想定も正確で無い・・・今の環境が有るとは限らない・・・
怖いことだが、他国の状況も、意識しないと・・・今、隣の家が近隣の家と揉めている。家の力を過信して、隣の家を攻めたが・・簡単に攻め落とせない・・・・当然、国民も不満が出だす。大きな不満を持って、逃げれるレベルの人は逃げているが・・・不満が有っても残らざる終えない人は、負を蓄積し続けている。当然、その思いが政権に向かうのを恐れるのが、国で有る。力が残っている状態で、成果が損・負なら・・・賭け事と同じで、再度、賭け事を行う・・・徹底して余力を無くすか、又は、国民の総意で戦いを止めるなら持続も出来るが、此が出来そうで無い、国が隣に有る。
今、世界を見ると、西側の超大国と言われる、国も、何年か前から、己は宿主で無いと言いだした。要は、寄生虫の国繰りに自立セロという意味でも有る。逆に言えば、弱くなったという事、弱いという事は、その国の通貨の信用性も悪くなる。結果、物を輸入で得ているなら、物価が高騰する。物価を落とすために、通貨防衛で金利を上げる・・・それでも物価が上がり続けているという事は、それだけ国家と言う信用力が落ちたと言う事にもなる。
その部分は、元々が寄生虫根性の強い、国々は敏感に感じている。
簡単に書けば、己は弱い、力も無いが宿主として居ます、寄生しますか????当然、それ以上に魅力を持った、カタログスペックの国も存在する。勿論、粉飾でも解らない、此は日本国内の人々の言動を見ても想像できると思う。
損得勘定で、選ぶ・・・この判断が長けているのが、優秀で一流という意味が今の日本人になる。
しかし、損得勘定で長けているのが幸せかは別次元になるが・・・・
私は、今、身は不幸な方向だが、何故か、幸福感を我家で感じさせて頂いている。
しかし、此が何時まで続くかは解らない、耳障りの良い、言葉が氾濫しているのが現代・・・あえて、キツイ方向を選べるのか???勇気が必要でも有る。