四十九日の法要を終えた・・・・叔父・叔母も喜んで帰ってくれたので良しと考えている。
現代の価値観、考え方は、孤から発していると思えるし、何の為か弧の向かう為と見える。
今回の法事も、現代の価値観なら、意味を持たないと覆うが・・・私は、昔からの考え、お互い様・お天道様が見ている・おもてなし・・・この様な古い考えて、今も出来るだけ続けたと考えている。
高齢に成った、叔父や叔母をもてなしても、意味が無いと言う考えも有る。
私は、叔父・叔母に恩を感じているし、私の両親も同じ様に感じていただろうと思っている。
要は、両親二人分と、私の分・・当然、嫁や私の息子達も恩を感じていると思っている。
要は、数人分の恩を返す、その場が、法事と言う儀式で出来たと感謝している。
私の悪し部分だが・・・腰が重い・・・思いは有っても行動に繋がらない・・・しかし、この様な儀式や行事は、待ってくれない・・・必ず行うと言う、ケツ叩きをしてくれる。
現役を引退された、先輩方を見るのも勉強に成る。私の経験上、一番、良い・忘れがちな勉強が出来ると思っている。
順送りの世の中が、正常だと私は、考えている。
先を歩いて居られる人の姿を見て、学べる分は当然、多々有ると思う。
誰しも、何時かは、「シャッター・ガラガラ」で店仕舞をする時が来る。この勉強も当然、行っている事は大事だと私は考えている。
又、私の後継者・息子達に見せとく必要も有る。
仁義の世界に成るが・・・私は大事だと考えている。多くの人達が居たから、今の私が有る。当然、その人達に感謝したいなら、己の今の現状を感謝できなければ、出来ないと成る。
私は、三流で劣っている、力無き人間だが・・・このレベルでも、現状に感謝できる・・・恩を返す事が出来たと言う、使命感を少しは出来た為に成る。