2017年5月15日月曜日

癖の治療・・・・

テック・コンバ、教習車の今後を、模索中・・・・・・

私の一番の欠点、RCカー独特の操作の癖・・・この解消を含め、この車を方向性を決めている・・・・・・

この癖が、RCドリフト界では下手の足枷に成るし、上達を阻んでいると考え、癖の治療の方法として、普段操作する車・・・・テック・コンバのポジションと考えている

今日は、バイク屋で昔話に花が咲いたが・・・・同じ事で、何事も練習、下手な部分は癖に有るので、癖を無くす為の、努力も必要に成る・・・・・

結局、自分自身には難しい方向、之が一つの答えだと、確信して進めてきた・・・

しかし、この難しさが、他のRCドリフターにも感じている様だ・・・・勿論、私の車を試乗される人、高いレベルかどうかは解らないが・・・

彼達も難しいと言っている・・・

この事は、私の感覚が人とは違う、と言うわけでな無い様だ・・・・

しかし、之も狭い、井の中の環境での話し・・・・世間は広いし、又そう感じさせる、言葉の表現が多い・・・・

結局は、ハードルを低める・・・之を行うこと自体が、成長を止める・・・・ハードルは高める之が、成長の基盤に成ると思います。

もう少し、私には難しい、方向に、向けたいと考えている・・・・

その為の簡単な方法を又、試したい・・・・今はギリギリのハイポイントが29・・・1ポイントUPさせる事で、私は楽と感じている・・・・この事は、1ポイント下げれば、キツイ、難しいと感じるはず・・・

しかし、現実には、楽な方向UP側には、簡単に何も意識しないで、直ぐにしてしまう、しかし、今ギリギリと思っている29ポイント以下には、何故か絞ろうと、思わないし、考えもしない、私が存在している・・・・

この事を冷静に考えれば、自然に不可能というポイントを私自身が決めている事に成るし、その根拠としての客観的、判断もしていない・・・簡単に試せるプロポ設定・・・しかし、しない、何故か、走れないと強く意識している事も有る・・・又試す勇気が無い、之も有ると思う・・・

出来なければ、出来ない理由を客観的に、出す必要も出て来る・・・その理由が客観的に正しいなら、対処が必要に成る、仮にリアが出難いと感じたら、出し易い最善の方法を考える事に成る・・・

このギリギリ部分を試さなければ、車の方向性を客観的に判断できない・・・・
若しかすると、自分の独特の操作の癖が、其れを不可能と勝手に決め付けている場合が有る・・・

特に、実車系と違い、体で感じる事が中々、難しい・・・その為に、多くの経験を、する事に成るし、新たな経験を続けなければ、全て思い込みで終わってしまう・・・・

人の怖さは、この思い込み、之が自然に体に付き出す環境が有ると言う事・・・良い部分は自然に身に付く之は、良いと思うが・・・逆に悪いことも自然に身に付く場合が有る・・・

自然な故に、問題意識が乏しくなる・・・之が環境の矛盾を増やす一つの要因だと私は考えている・・・・

周りの環境が、バッテリー管理を疎かにしている、世界に居れば、自然にその方向に向う・・・爆発・炎上して初めて、取り扱いの疎かさに気付いても時既に遅しに成る・・・

趣味の世界なので、最終的に自己責任、この責任をよく意識する事だと私は考えている・・・

周りが・・・・と・・言う言い訳は出来ない・・・・

結局は、自分で探し・求め・・・その責任を負う、之が趣味だと考えている・・・・




T親分と久しぶりに会う・・・・

近所のバイク屋へ・・・・T親分がバイク屋に来訪していた・・・・私は20年ぶりに合う・・・・彼も40代・・今は資産管理で、楽な生活をしているようだが・・・彼も人の子・・・・娘二人の親として、色々、悩んでいる様だ・・・・

昔は20代・・・何も怖い事もないし、お金は有る・・・レーサーを目指していたが・・・今は良いパパに成っている様だ・・・・

このバイク屋では色んな人と、知り合った・・・・・お金が有る人やバイクが単純に好きだからと言う人等々・・・色んな、人と縁が出来、又勉強も出来た・・・・

今は、バイク屋のオヤジも息子に店を任せて、隠居みたいに、店に居るだけに成っているので・・・・時々、遊びに行っている・・・

懐かしい人と合うと、その当時、昔の話に何故か、話題が集中する・・・・

この昔話が、出来る・・・之も最近では幸せだと考える様になった・・・・・共に同じ時間を過ごしたと言う証に成るし・・・その時を生きていたと言う事にも成る・・・・・

良いにせよ、悪いにせよ・・・・その経験が今は私の財産に成っている・・・・

私も人生の終盤に成って来た・・・・歴史をどう作って来たかを問う、年代に成っている・・・

之も、仕事と以外の部分で、縁した人達との歴史が大事な感じが私はする・・・・

しかし、昔話は面白いし、心が和む・・・年代に成って来た・・・・・



後輩が来訪

何時も来ている後輩が・・・・遊びに来た・・・

今週末・・・・娘の彼氏が貰い受けに来ると言っていたが・・・・面会を拒絶しているとの事・・・・

彼も、苦労して子供達を育てて、一人前にしたが・・・・

一番期待していた、長男は、県外に優秀が故に、就職・・・職場にも恵まれ・・・出世していると自慢していたが・・・・

その長男が、結婚・・・・・勿論、貰い受けも・・・後輩夫婦が伺い、良い娘さんを頂いたと思っていたら・・・・

若嫁の、実家の近所に、新築の家を建てて、完全に、立場が逆転し・・・・最近は、後輩の家とも疎遠に成っているとの事・・・

その為に、息子に出入り禁止にしたと前回会った時に言っていたが・・・・

現代社会は、解らない・・・・・

現実に親が苦労して、育て医者にしても、結果として、結婚、損後は、疎遠と言う話はよく聞く・・・・

結局、相手の価値観も大事だと言う事に成る・・・・

昔なら、家から、親から、自分の家族、この優先順位が嫁の価値観だが・・・・

最近は、妻としての価値感、自分の家族が最優先だし・・・家族の順位も子供、私、最後が亭主・・・之が一般的・・・

この一般論が有る中、違う価値観を求めても、難しいと成るのは当然だと私は思っている・・・

以前、私の母が、子供達の彼女や嫁に対して、色々な不満を言っていたが・・・私が学校のグランドに、適齢期の女性を集めるから、石を投げて、当たる人、全てが、母が思っている価値観と違う人に当たると、説明した事が有るが・・・・

現代は、先ずは本人が良いか悪いかが、基準の根幹に有る・・・

之を満たす為の、結婚・・・・・良く成らなければ、結婚した目的が崩壊する・・・

勿論、苦労やキツイ事が、幸せ良いという価値観なら良いが・・・・楽しい、楽が幸せとの価値観の人なら・・・大変な事に成る・・・・


子供に期待し、その分を、背一杯与えて、育てても、結局、人と縁して、その人とのバランスで成り立って行く・・・・親の思い通りには成らないと言う事・・・

優秀な人に、縁をして、結婚・・・・何かの目的が有るはず・・・

劣等的人と、縁して、結婚、・・・・何かの目的が有るはず・・・

この目的感も価値観に成る・・・・

子供に何を教えるか、親の責任だが・・・社会の一般論も現実には大きく影響している・・・夫婦で話しても、一般はと言われれば、駄目だと言い難い方向に成る・・・・

私も親から、教わった事は、親は子供を育てている目的が有ると言う事・・・奇麗事の愛情等より、現実的に、将来の不安に備える為の、子供、この部分を強く教わった・・・・

しかし、我が子に之を言っても、聞く耳を持たない・・・・之が社会の風潮だし、一般論とかけ離れているために成る・・・

母は「子供は、捨てても国が育っててくれる」・・・「しかし、老いたり、手の要る様になった大人は、誰も面倒を看てくれない」之が、現実・・・・その為に、子供を育てている目的の一つだと母は率直に私に言っていた・・・・

その誰も面倒を看なく成る人を、今は当然の様に捨てる・・・之が一般化したので、国が手を出す方向に成って来た・・・・

母は「子供は出来るだけ沢山、育て・・・・国や社会に貢献できる子供の輩出も大事・・・しかし、必ず手元に残す、子供も必要に成る」、こんな事も言っていた・・・・

勿論、老いてもお金を沢山持っていれば、背中が痒いと、1万円出して、かいて貰うことも出来るが、直ぐとは行かない・・・・

若し、ボケれば・・・・之も怖いと成る・・・

後輩には、言ったが社会の風潮、如何しようも出来ない部分が有るが・・・其れを含みで如何、変えて行くか之を考えた方が良いと・・・・・

結局、社会・環境が良くなければ、子育ても、思うようにならないと言う事・・・
又人は、楽な方向へは直ぐに動く・・・・・

その為に、口を酸っぱく言い続ける事に成る・・・・・

強い親を演じ続けて・・・・頑張り無理をしてきた、之が子供の為と信じて・・・結果、弱くなった親は親でないと捨てられても仕方がないと私は考えている・・・・

結局、子育ても、格好を付け過ぎると、この様に成る・・・・自分なりで育てる、之が良い場合も有ると私は考えている・・・・・






速度域で操作も変化・・・当然・・・・

テック・コンバ・・・教習車をもう少し、修正しようと考えている・・・・

私の車を試乗された、感想等を元に、色々考えてる・・・・

低速部分では曲らないと言われる・・・・スピードが乗るに従い、フラフラすると今度は言われる・・・

基本、舵角表現が、実車の最小旋回半径に合せた状態で、今度はサーボセイバーを弱めている為に、抉る様な舵角表現が出来難い・・・・

この事は、ドリフターには向く方向のセットとわたしは考えている・・・

単純なグリップ走行に意識を集中しても・・・・低速部分ではアクセルターンの技術が必要に成る・・・スピードが増せば、自ずと、ステア操作小さくても良いし・・・この部分で大きな操作をする為に、フラフラすると言われている・・・・

小さな操作で、フロントが少しでも内側を向けば、後はリアで車を曲げる表現の操作が出来れば、自由に旋回、半径を変更できる・・・・

この様な車なら、加重移動等、意識しないと走れないし、フロントタイヤを引っ掛ける等々の操作も、すれば、走行不能に成るので、直ぐに解る・・・・

仮に、大会の趣旨で、色々有ると思うが、私の教習車を予選で、確り操作出来る、之が一つの関門にすれば、判断も出切る、出来ないがハッキリする為に、楽だと考えている・・・

大会、自分の車を走らせる、だけとは限らない・・・・操作技量を競う大会なら、色んなシャーシを試乗させる之も、有りと私は考えている・・・・

結局、出切るか・出来ないかをハッキリさせる、之が一番、スッキリする・・・・

2駆の大会なら、ジャイロはアシスト、セルフステアの為と言う、表現の人達なら、舵角演出が少なく、セルフステアが必要性の無い、ジャイロ無しの車を如何、操作されるかを見れば、出切る・出来ないがハッキリする・・・

車のロール感を出す為に、重くしたりしていると言う表現の人には、ロールをしなくても良いので、軽い車を試乗させる・・・・

タイヤも同じ事で、このタイヤでなければ、挙動が出ない等々なら、食わせ難いタイヤで挙動は良いので、唯の走行を見せて等々有ると思う・・・・

試乗車に2駆のSAKURA D3もダンパーレスにして提供も出きる、軽いし、食わせ難いタイヤだし・・・ジャイロも無い・・・切れ角は実車の最小旋回半径之が深いと成れば浅くも出きる・・・・

結局、引き操作の癖が之を出来なくしている事に成る・・・操作側が介入でき難い操作・・・・

車を確りコントロールが出来れば、走れる車、技量側の腕に大きく依存した走行に成る・・・
RCドリフトの世界の言葉の表現では、この方向を言われている・・・之を信頼しているので、私は進めてきたが、現実は異端児に成る・・・・

この部分が人間臭くて私は好き・・・・しかし、戸惑う人も多いのも事実・・・

RCの特性、強い宿命が有る・・・この部分の捉え方の違いが、有る・・・・

宿命に挑戦する、之も一つの方向・・・・宿命を受け入れ、その中で、如何対処するか、之も一つの方向・・・どちらも正しいと考えている・・・

人の生き方にも繋がる部分・・・如何考えるかも各自の勝手に成る・・・

予防注射・・・

我家の家族・・・・・女王様の座敷犬・・・リンの予防注射・・・

地域の図書館で、受けてきた・・・・・

昨日は、長男家族が・・・夕方まで居て・・・

その間、嫁は孫の為や、長男家族が持っていないと言う物を、買出し・・・

次男家族も同じだが・・・・来る都度に、何かを剥ぎ取る様に、我家から持ち出して行く・・・

其れを観ている、三男は「兄貴達は~~~」と言っているが、結局、彼もするように成るし、現実はしている事を気付いていないだけ・・・・

私も、ソロソロ、枯れる方向に成って来た・・・・幹の皮も直ぐに剥がれる・・・・之を剥ぎ取り持って行く、之も世の道理である・・・・


世の中で、得たものは・・・・何時かは誰かに渡る・・・之が世の流れ・・・・

仮に、何も得たものが無い人の周りには・・・人は寄ってはいかない・・・剥ぎ取るものが無い為に成る・・・

結局、得たいという本能で、人は動いている・・・

我家の家族の、座敷犬・・・リンと同じと言う事・・・・

しかし、犬は無くす怖さを知らない・・・その為に、恩を忘れずに尽くしてくれる・・・この身がボロごろに成っても・・・・


人は、損・無くす怖さを知っている・・・・その為に、利用される時迄で、若し、不が表面化すれば、恩等無視して、離れて行く・・・・・

之を利口者と最近は言う・・・・


この世を去るまで、剥ぎ取れる物が有れば良いが・・・・その前に、損得勘定で、損と判断されれば、捨てられる身という事に成る・・・現代の思想なら当然な方向・・・

この様な損、不を背負う・・・・・この行動を今は「大変ね~~~」と言われる・・・昔は「感心ね~~~、偉いね~~」と言った、単語が変わってきている・・・

大変な事は、誰しも率先していない、したく無いという意味・・・・・之が現代人の本性と言う事に成る・・・・

この部分は、社会勉強に成る・・・家庭での教育では無理・・・・・

何故なら、基本、子供は結婚する・・・相手の思想が影響し出す・・・・

最近、女の子の教育が、成っていないと私は考えている・・・・嫁ると言う意味を知らない・・・・

妻と嫁と違いも解らない子供達が多い・・・・

母が逝く前に言っていた事を思い出す「実の子供には、此処まで我侭を言えなかったし、自分の弱い部分を見せる事が出来なかったが・・・・嫁が居たので、私は幸せだった」と言っていた・・・・

この気持ちは少しは私も解る、実の子供には自分の弱い部分を見せたくないと思うのは親なら誰しもだと思う・・・最後まで強い親を見せたいと思うが・・・・其れを埋める、部分が必要に成る、其れが、母の場合、嫁だったと言う事に成る・・・・

人は、色んな立場が有る・・・親と言う立場、子供と言う立場・・・家を守る立場・・・等々、色んな立場で、振舞い方も変わる・・・・この全てが人と言う事に成る・・・

人は、総合力に成るし、有る一面を見て、その全てとは限らないという事に成る・・・・

私は、人は欠点が多いし、欲が深いと考えている・・・・それを、解消する為に、この世に生れてきている・・・・少しでも、解消できれば、良しと考えている・・・

しかし、逆に、欲が深く成る方向が、この世のシステム・・・・その為に、恩や義理が大事だと考えている・・・二極のバランスを、如何保つかが、大事だと考えています。




退路を断って考える・・・・

昨日・・・「懐かしい動画を発見」のブログに掲載した動画・・・・・

抜け抜けの、状態で車を押せない、勿論、ギリギリ押しているが、抜けた後の回転落ち部分で車が動いている・・・

結局、引き転がし方向の操作で、車が動いている事に成る・・・

この現象を利用しようと考えたのが、初期の2駆の面圧アップ・・・牽引力UPの手段に成る・・・
この方向性は、その当時のRCドリフターは否定された・・・慣性を大きく利用過ぎる車との批評も得たし、本来ドリフトはパワーで出す、この部分が無いと言われたために・・・

直ぐに思い付く、策を、絶った状態から、SAKURA D3 2駆は取り組んで行く方向になった・・・

タイヤが路面を捉えなければ、加速もスピードも付かない・・・之は当然の事・・・如何すれば、タイヤが路面を掴むか????・・・・・之を簡単な策でなく、真剣に考えた場合・・・どうなるかに成る・・・

結論は、操作技量、特にアクセル操作の入れ側が下手と言う事が問題と解る・・・・

回す癖の有る、私には可也の試練に成る・・・・その為に、二年ほどコソレン場に篭っての練習に成った・・・・

車を確りコントロールする操作方法に成る・・・・引き操作方向に車を作ると、最終的に、車を投げ出す操作感が強く成っていく・・・フッ飛ばす感・・・操作側から離れ車が勝手に走る、この方向に進めば、勿論、ジャイロも必要に成る・・・必需品がジャイロに成る・・・

しかし、RCドリフターの表現には、ジャイロの使い方の意味が少し違うように言われている・・・
この様な色んな表現の言葉を信頼すれば、確り、常時コントロール方向の操作・・・押し操作をされていると言う表現が多い・・・・

表現では、押し側をアピールして・・・現実には引く側の走らせる、この様な状態なら本末転倒に成る・・・

初期の2駆の時には、現状のRCでは、如何しても外部操作の為に、必要な部分が多々有ると、牽引力のUP・・・ジャイロは必需と書き続けたが、認めてもらえなかった・・・

牽引力と、ジャイロさえ確保すれば、何でも走ると私は考えている・・・昔からバギー2駆が一番良いや、重い牽引力が強い、トラック等々、可能に成ると・・・

この成っても現実には気付かれないと思う・・・・私は、悔しいと思うが・・・・RCドリフトカーのスタイル、格好よさが、バギーやトラックでも走れるなら、何の為に、シャーシに拘るかの意味も無く成る・・・
この様な現象が起き出すと、一気に考えだす・・・・之ほど簡単な事に等々・・・・一気に廃る可能性が有るから、2駆の今後の問題と、大昔に書いていた・・・

昨日、掲載した動画をよくよく観れば解る・・・アクセルを抜く側で車を動いている事が、勿論、入れ側でもギリギリ、トラクションを保ち、進み続けているが、誰が見ても回し過ぎ・・・

この回す過ぎる・・・この操作を何故するか、癖意外に、リアが出難いからに成る・・・アンダーが強い、勿論、引き操作を前提に考えれば、多大に回した時に、飛ぶ様な挙動は出せない・・・結果ドッシリと安定、之を維持して、次のアクセルを抜く操作に、備える事に成る・・・

又何回も書いているが、回転下がりでのトラクションの確保は、楽、タイヤの能力を使う方法としては良いが、スピードのコントロールが出来難い難点が有る・・・・結果同じ、加減速をする車同士が前提の環境に成って行く・・・

有っては成らないと思うが、激突の理由は、前が遅・下手から、之が通じる世界に成れば、初心者は怖くて走れないに成る・・・・・又、スピードを合せる加速を合せる、この部分に注視する方向に成れば、タイヤ等々を変えてスピードを合せるこの様な考えも出て来るのも当然に成る・・・


勿論、RCドリフターの表現を信頼すれば、この方向には成って無いと思う・・・・

しかし、自動的にトラクションを確保できる引き操作に比べ、押し操作は、トラクションの変化に馴れる為に、長い練習が必要に成るし、経験も多々積む必要が出て来る・・・・

乗車して操作する実車と違い、外部層のRCの難しい部分・・・・

結局、引き戸を閉める、之を例に出せば、引き戸の渋さ・軽さを感じななら、スムーズに閉める、之を目指すか、引き戸の、渋さ、重さ等関係なく、一気に戸を蹴って、閉めるかの違いに成る・・・

同じ、閉める作業・・・・閉める速度を競えば、蹴った方が早い・・・しかし凄い音がするが・・・・

最終的に人間性に成る・・・・目的に対しての方法・・・・子供が真似し易い事は大人は慎む・・・


何度も書いているが、RCドリフトの怖さは、人の本質、人間性まで見せるジャンルに成る事・・・・・