私は何度も書くが、差別は有るものと言う、考え方をしている。
しかし、世間的には差別はダメだと、言われるし、その為に、差別主義者とも言われる事が、家族の中でも有る。
私は全ての物に対して、色んな捉え方が有るし、又、見方等では、180度違う、場合も出て来るものだと考えている。
しかし、之を有る一定方向の価値観を当てはめ、それで判断する事は、差別でないと言う方向が有るし、それ以外の価値観での判断は差別と言う方向も有る。
物に対しての価値の捉え方・・・当然、人夫々有っても、良いと私は思うが、それが非筒で無ければ成らないと言うなら、独裁的と私は捉えてしまう。
仮に、今回は、土地に対してに成る。同じ、土地、差別はダメだと本当に思うなら、土地の価格の差が有る事に矛盾が出て来る。
しかし現実は、東京の銀座の土地と・・・田舎の山奥の土地との価格差は・・・雲泥の差に成っている。
何故か、その土地で稼げるお金の差が、この差を生んでいると思う。
山奥の土地では稼げる、お金が乏しい、又は、逆に保全の為おお金が必要に成る・・・凍部分で、土地の値段が決まっている。
土地の意味とは・・・当然、色々有る・・・稼げる土地を求める人も居ると思うし、求めている人の考えで、この部分も変わってよいと私は考えているし、現実だと思う。
何度も書く部分あが、得る部分が有れば、失う部分も出て来る。
この得る部分を言う事は、差別とは言われにくいのが現代である。
逆に失う部分を、言えば、何故か、差別主義者と言われる。
土地も同じで、何かの目的が有る。
この部分は、各自で違うし、又歴史や、文化等々でも、変わる部分に成る。
大事な土地、この大事という部分は、各自で違うと言う事・・・この違いまで、一般論と言われる、損得勘定の物差しで、判断する事が、私は差別だと考えている。
人の価値観を、他人が否定してしまう、これが差別と言う事だと私は考えている。
仮に、この土地は、人が踏み入るべきでないと言い伝えが有る・・それを信じる、人も居る。それを信じた地権者が、頑固に、売る・踏み入れを拒否する・・・之は、その人の取っては、当然と思う。
之を迷信と、考え、無理やり、道を通したら・・・その後、事故が多発、多くに人の命が亡くなった・・・と・・言う、話も耳に入る。
何が正しいかは、各自の価値観で変わるが、価値観の押し付けが、私は差別だと考える理由に成る。
先に書いたように、土地も目的で、価値が変る・・・当然、目的に対して、利の部分も有るが、逆に、負の部分も当然ある事に成る。
それを選んだと言う事は、当然、本人の責任だし、その覚悟も有るからに成るが・・・
私は、怖いと考えるのが、その負の部分を、言えない様な環境に、差別等々の言葉で成っている部分・・・・
我が市でも、一番、低い、冠水しやすい地域は、駅周辺に成る。
それを覚悟して、所有しているならよいが・・・この部分を教わらず、利の部分だけを信じて、購入した人は、当然、裏切られた・・・・又は、行政の対応に不信が出て来る。
勿論、それを教えようとする人も居るが、先に書いた、差別主義者等々、悪い振舞いと成っている。
現代は、結局、耳障りの良い、方向性で固められた世界と言う事・・・耳障りの悪い事を言えば、蔑視・除外される側に成ると言う、方向性が有る。
この方向なら、当然、人は、危機感を感じないし、不安を抱か無い・・・この状態を、良しと思っているし、悪く書けば、それが幸せだと思っている事に成る。
当然、裏切られることに成るのは、必然と言う事・・・・それで何を、得るか????・・恨みや妬みこの方向に向かう・・・真実を知らないので、受け入れる事が出来ない方向に成る。
例として、幽霊が出る家と、誰しも解っている家を、好んで買う人も居る・・・之が人の好みの色々に成る。問題に成るのは、幽霊が出ない事に成る。
しかし、この事を知らず、購入・・・問題は、幽霊が出る事が問題と成る。
購入者の目ちか、受け入れている・・・良しも悪しも含めてに成る。
昔からか気付付けている・・本当に正しいのか????・・・完璧と言う物が有るのか????しかし、言葉等は、この部分を強く、言って、事柄に力を持たせている。
一般人が住む為の、土地は・・・何を優先すれば良いかに成る。
当然、利を得る為に利便性が良い、之も大事だが、之だけでもダメと思う。
私は、最終的に、生き残れる、環境が周りに有るのか???・・手を差し伸べる人が多々居るか???この部分を、重視しているし・・・創る事も可能に成る。
現状に不安が有るから、対策を考えれば、この他に創る方向に成る。
先ずは、近場に成る。近場に多くの、意味のある人が居るか???当然、人に手を貸せる人に成る。
又・・必然的に、人の手を必要とする人も、居るし、現状では増え続けている。
この地は誰が守る・・・この思いに長ける、リーダーが、多く居る地域は、恵まれていると思う。
過去を知る、これが大事だと思う・・・・言い伝えも含み、資料に残っている、災害等々を、先ず学ぶ・・・行政等々の市や県等々の、大きな範囲では解らない事が、多々ある。
地域性と言う部分・・・之も、確りしる事に成る。
現実に、他とは違うと言う事が解る事に成る・・・違いを知る。差を知る、之は差別とは思わない・・・差を知って、一番大事な命を守る、最善策・・・を考える事は、差別で無いと考えている。
私が考える平等とは、命に対し手に成る・・・人として当然、違いは多々ある。しかし、命と言う部分は、同じだと考えている。
この違いを認めない、これが平等・差別でないと言う方向性が、現代の風潮に私は感じる。
結果、今回の災害でも、受けた地域・受けなかった地域・・差が有る・・之を差別と捉えて、恨んだり・妬んだりする。この考え方が、差別主義者だと私は考えている。
2019年10月15日火曜日
リーダー不在で、事が決まらない
現代の、インフラの目的が・・・数値データー等々の、議会対策に成っている。
何度が書いているが・・・・事を進める為には、強い、信念と・・行動力がいる。
それを測る、物差しが無いので・・・結果的に数値的、データー等々が、表に出て来る。
ものを造る・・・場合、当然、土地が要る。
反対者が少なく、当然、値段が安い・・・この方向に進むのが、民主国家、資本主義の流れに成る。
全てに、新特勘定が、介入している事になる。
前のブログにも書いているが、昔は、遊水池と言う場所が、治水インフラ整備ではあった。
しかし、この土地も無駄だと考える風潮が有る。
この様な土地、人が住む場所でない土地が、昔は多々あった。
当然、土地確保を考えた場合・・・楽な場所に成る・・・この様な所に、インフラが集まって行く・・・・之が、結果、町を形成する方向に成る。
勿論、危険性が有るから、防御の為のインフラも出来るが・・・その基準に成る数値、以上の防御を、無駄と言う、考えも出て来る。
結果、想定を超えると、大変な事になる事に成る。
過去のデーターを元に、作る基準・・・数値データーが書面で残っている・・・1000年前から・・当然ない・・・数十年のデーターで決めている事に成る。
地球の時間軸で見るなら、一瞬の一瞬と言う、時間に成る。
之を正しいと仮定する事、私は、考えられないと思う。
何千年もの経験を元に出来た、地域を、数十年の数値を基準にインフラを作って行く・・・
現実に、インフラが施工される、土地・・・安全とは思えない、場所に成る。
当然、お金の問題になるが・・・
家だけを見ても・・・昔は、防風林・・・竹藪・・等々で、風を防ぐ事が、各家に有った。
それが、地盤の保持に、竹の根・林の根で、頑固に、土地を保持していた。
昔は、家は、家族を守るものと言う捉えかが、強かった。
今は、見せる物・・・力の証と言う、昔なら、殿様的、感覚で、家を求めている。
昔の殿様なら、意味が有ったが・・・一般の庶民に何の意味が有るのか????答えは見栄に成る。又、その方向が、儲かる人を輩出するので、資本主義の世界なら、普通に成る。
若し、人の命を守る、物と、住まいを考えるなら・・・各自、色々な考えが出て来るはず。
現代は、土地に縛られると言う、方策も無い・・・自由に選ぶことが出来る。
命の実感が無い世界が今なので、楽や便利・・この方向性で択ぶ・・・
その結果が、どうなるかは想像できると思う。
生きる為に必要な水・・・・20リッター・・重さにして器を加えると20kg強に成る・・・現代の生活で、何リッターの水が必要か????各自違うと思うが、各自で必要な量が有ると思うが・・・それが滞った場合・・・どう確保するか????
確保出来たら、住まい迄・・どうするか????・・・
何時も思うのに、自己中の個人主義信奉者には、この部分は、他の責任と押し付ける人が多い、この様な人が、他人に手を貸すか???・・・之も考える必要性が出て来る。
理由は、私の様に、高齢に近づいていると、体力的に行動力が劣るからに成る。
この部分を強く考えるのも、家長の責任だと考えている。
特に、三流の無知な私は、学ぶ事が大事に成って行く・・当然、先人からの知恵に成る。
先のブログにも書いたが、咄嗟の時・・・財産が足枷に成るような、財産なら無用と言う事・・・命に係わる場合は、当然と私は考えている。
又、本家として・・・何かが有れば、集まれる場所と言う意味も有る・・・この場で、数家族が生活できる、環境も必要に成る。
一族の中での、インフラの避難所の立場も有る。
一族を守る・・家族を守る・・守るが多々ある、その責任に気付いていれば、当然、対処も有ると思う。
私は、平時の時のことは、余り考えていない・・・咄嗟や、マサカと言う事が、多々起きると考えているし、これが、三流の、幅の無さの証拠とも思っている。
想定内を広げる事が大事に成るし・・・三流から二流等々のレベルUP大事な部分だと考えている。
現代は、想定内で、その内に留まる、為の、力や防御が優れている、之を優秀と考えている。
想定外に成れば、無意味に近い事に成る。結果、想定を広げて行く事が、この価値観でも大事だと思うが・・・何故か、固定観念の部分なので、脱し出来ない場合が多い・・・
私は、何かの時に、身を寄せる場の必要性を強く、思っている・・・逆にその様な場の提供が出来ないかとも思っている。
昔は、地域社会にこの部分が有った・・・しかし、現代な無くなって来ている。結果として、この不安な部分を外に求めている・・・之が、色んな集団と言う事に成る。
しかし、現実に、その集団が、咄嗟との気に、役に立つか???
又、その様なリーダーが育っているか???・・・大事に成る。
勿論、集団の目的も有る・・・目的がこの様な部分に属しているなら、当然、出来ると思えるが、リーダーが育っていなければ、趣旨と違う場合も出て来る。
地域社会の崩壊も、この様な部分の問題に成る。
誰が、家族を守るのか???・・・誰が、一族を守るのか???・・之を広げている教育も必要と私は考えている。
勿論、現代は、この保護の体制から、脱して行く人も増えている。家族の括りから出る人、一族の括りから出て行く人・・・当然、確りした自立が求められることに成る。
誰しも持ち場が有る・・・他に持ち場が有る場合も有るし、それが意味する事は、その持ち場を確り守る事に成る。
立場とは、義務と責任が有ると言う事・・・一番の義務と責任は、得る部分も大事と思うが、それ以上に、守る方だと私は考えている。
守る為に、何が必要か????・・・之が答えと私は、考えている。
守るものは????当然、究極は命に成る。
私が、忘れならない、事柄は、相手の人は何気に、下行動かも知れないが・・・私には色んな意味を考えさせたし、それが、私の尻を叩いて、前に進ませてくれた、感謝の思いが有るので、忘れられない・・・・
守る、行為は、人の心も動かせると私は思っている。
自分の持ち場は、厳守し、その上に前に進ませる勇気を与える・・・凄い事だと私は、考えている。
何度が書いているが・・・・事を進める為には、強い、信念と・・行動力がいる。
それを測る、物差しが無いので・・・結果的に数値的、データー等々が、表に出て来る。
ものを造る・・・場合、当然、土地が要る。
反対者が少なく、当然、値段が安い・・・この方向に進むのが、民主国家、資本主義の流れに成る。
全てに、新特勘定が、介入している事になる。
前のブログにも書いているが、昔は、遊水池と言う場所が、治水インフラ整備ではあった。
しかし、この土地も無駄だと考える風潮が有る。
この様な土地、人が住む場所でない土地が、昔は多々あった。
当然、土地確保を考えた場合・・・楽な場所に成る・・・この様な所に、インフラが集まって行く・・・・之が、結果、町を形成する方向に成る。
勿論、危険性が有るから、防御の為のインフラも出来るが・・・その基準に成る数値、以上の防御を、無駄と言う、考えも出て来る。
結果、想定を超えると、大変な事になる事に成る。
過去のデーターを元に、作る基準・・・数値データーが書面で残っている・・・1000年前から・・当然ない・・・数十年のデーターで決めている事に成る。
地球の時間軸で見るなら、一瞬の一瞬と言う、時間に成る。
之を正しいと仮定する事、私は、考えられないと思う。
何千年もの経験を元に出来た、地域を、数十年の数値を基準にインフラを作って行く・・・
現実に、インフラが施工される、土地・・・安全とは思えない、場所に成る。
当然、お金の問題になるが・・・
家だけを見ても・・・昔は、防風林・・・竹藪・・等々で、風を防ぐ事が、各家に有った。
それが、地盤の保持に、竹の根・林の根で、頑固に、土地を保持していた。
昔は、家は、家族を守るものと言う捉えかが、強かった。
今は、見せる物・・・力の証と言う、昔なら、殿様的、感覚で、家を求めている。
昔の殿様なら、意味が有ったが・・・一般の庶民に何の意味が有るのか????答えは見栄に成る。又、その方向が、儲かる人を輩出するので、資本主義の世界なら、普通に成る。
若し、人の命を守る、物と、住まいを考えるなら・・・各自、色々な考えが出て来るはず。
現代は、土地に縛られると言う、方策も無い・・・自由に選ぶことが出来る。
命の実感が無い世界が今なので、楽や便利・・この方向性で択ぶ・・・
その結果が、どうなるかは想像できると思う。
生きる為に必要な水・・・・20リッター・・重さにして器を加えると20kg強に成る・・・現代の生活で、何リッターの水が必要か????各自違うと思うが、各自で必要な量が有ると思うが・・・それが滞った場合・・・どう確保するか????
確保出来たら、住まい迄・・どうするか????・・・
何時も思うのに、自己中の個人主義信奉者には、この部分は、他の責任と押し付ける人が多い、この様な人が、他人に手を貸すか???・・・之も考える必要性が出て来る。
理由は、私の様に、高齢に近づいていると、体力的に行動力が劣るからに成る。
この部分を強く考えるのも、家長の責任だと考えている。
特に、三流の無知な私は、学ぶ事が大事に成って行く・・当然、先人からの知恵に成る。
先のブログにも書いたが、咄嗟の時・・・財産が足枷に成るような、財産なら無用と言う事・・・命に係わる場合は、当然と私は考えている。
又、本家として・・・何かが有れば、集まれる場所と言う意味も有る・・・この場で、数家族が生活できる、環境も必要に成る。
一族の中での、インフラの避難所の立場も有る。
一族を守る・・家族を守る・・守るが多々ある、その責任に気付いていれば、当然、対処も有ると思う。
私は、平時の時のことは、余り考えていない・・・咄嗟や、マサカと言う事が、多々起きると考えているし、これが、三流の、幅の無さの証拠とも思っている。
想定内を広げる事が大事に成るし・・・三流から二流等々のレベルUP大事な部分だと考えている。
現代は、想定内で、その内に留まる、為の、力や防御が優れている、之を優秀と考えている。
想定外に成れば、無意味に近い事に成る。結果、想定を広げて行く事が、この価値観でも大事だと思うが・・・何故か、固定観念の部分なので、脱し出来ない場合が多い・・・
私は、何かの時に、身を寄せる場の必要性を強く、思っている・・・逆にその様な場の提供が出来ないかとも思っている。
昔は、地域社会にこの部分が有った・・・しかし、現代な無くなって来ている。結果として、この不安な部分を外に求めている・・・之が、色んな集団と言う事に成る。
しかし、現実に、その集団が、咄嗟との気に、役に立つか???
又、その様なリーダーが育っているか???・・・大事に成る。
勿論、集団の目的も有る・・・目的がこの様な部分に属しているなら、当然、出来ると思えるが、リーダーが育っていなければ、趣旨と違う場合も出て来る。
地域社会の崩壊も、この様な部分の問題に成る。
誰が、家族を守るのか???・・・誰が、一族を守るのか???・・之を広げている教育も必要と私は考えている。
勿論、現代は、この保護の体制から、脱して行く人も増えている。家族の括りから出る人、一族の括りから出て行く人・・・当然、確りした自立が求められることに成る。
誰しも持ち場が有る・・・他に持ち場が有る場合も有るし、それが意味する事は、その持ち場を確り守る事に成る。
立場とは、義務と責任が有ると言う事・・・一番の義務と責任は、得る部分も大事と思うが、それ以上に、守る方だと私は考えている。
守る為に、何が必要か????・・・之が答えと私は、考えている。
守るものは????当然、究極は命に成る。
私が、忘れならない、事柄は、相手の人は何気に、下行動かも知れないが・・・私には色んな意味を考えさせたし、それが、私の尻を叩いて、前に進ませてくれた、感謝の思いが有るので、忘れられない・・・・
守る、行為は、人の心も動かせると私は思っている。
自分の持ち場は、厳守し、その上に前に進ませる勇気を与える・・・凄い事だと私は、考えている。
身軽・・・
難しいが・・・祖父の経験から、来る言葉と思うが・・・・身軽・・・
何が有るか解らない・・・特に戦時中を過ごした祖父の言葉は、意味が有ると思う。
祖父も、生きた証と、物を残し続けた・・結果は?????
姪の満州からの引き上げ等々の、手助けも行ったし・・・・息子が戦死、その嫁の行く末の、為に奮闘もしている。
之で何を得たか???・・・・その言葉が身軽と思う。
身軽だから・・・他人様に手を貸せる・・・又、何が大事かも見えて来る・・・
答えは、命、命のバトンを繋げていく人に成る。
祖父を悪く言う人は居ない・・・・老後は、人助けだけに動き回っていた様だ・・・
全てを無くした、結果が人助けとは、面白いと私は考えている。
歳の離れた、末子がいる。上の兄は、戦死・・・・末子を守る為には、この方法しか無かったとも思える。
しかし、末子の、父は・・・・自分の力、位が高い等々の、捉えてしまった。
之が、父の精神に取って、悪影響に成っている。
形として全てを失った親・・・力が無い、情けないと捉えている。
力が無い、親の子が、これ程、称えられる、己の力と勘違いが、大きな原因と私は考えている。
私も、過去を知るにつれて・・・物に対しての執着を無くす・・・之を心がけてきた。
執着が結果的に、不幸を造る場合も有る。
物を無くした場合、奪われた・・と・・提供した・・・同じ現象でも捉え方次第で、心が変る。
同じ様に、物の修復をする。之も、捉え方で変わる・・・私は修理人、その為に、物を治す行為が仕事だが・・・この行為で、人様が喜ぶ、当然、私自身の心も、清々しい方向に成る。
しかし、物の所有者は、お金も居るし、何故、自分だけがと思っている人も居る・・・自分の手では治せないので、私の様な職業に頼る事に成る。
昔、ブログに書いているが、修理人、後輩には、何を直すのか???・・人の心を直す、修理人が、本当の職人と教えていた。
対価しか求めない修理人は、人の為に立っていないと私は、考えている。
人の役に立つ、究極は損する振舞いと私は考えている。誰が、当然、私が・・・唯物的部分は、損に見えるが・・・唯心的部分が、多々の事を得ている。
多々の物を持っていれば、少しは分け与える事が可能の筈。
沢山持つ意味が何かに成る。商売・金儲けなら、売るための物・・・・力の誇示の為なら、見せびらかす為の物・・・・色々有ると思う。
他人に、自分の力を見せ・・それが欲しいと思われたら、当然、困っている人には、無償で、振舞われるはず。
絶対に人に取られたくない物は、隠すはず・・・持っていると言う事を悟られないはず。
我家にはブログにも書くように、色んな人が、色んなものを奪いに、集まって来る。
奪われるものが有るからと、思うし、無くなれば、来なくなると思うので、来ている間は、私にも少しは、力が有るのだろうと考えている。
当然、来客の方が、美味しい物を奪っていく・・残るものはカスに成る。
三流の私だから奪われたと感じていると思う・・・・差し出せる、命が私には無いと言う事・・・
奪われたくなければ、隠す、方法を考える事に成る。
仮に、貧乏人と解る人と、裕福に見える人とが居れば、どちらがお金を持参しているか???持っている人から奪うのが、当然と私は考えている。
周りから、裕福に見える、結果、防御を強くする、方向にも向かう。
しかし、完璧は、無い・・・
今回の災害も、同じことが言える・・・・冠水した地域が、河川敷の様な、土地だったら????・・
盗む人が多い地域に、お金を道に置くか????・・・・・私は、どんな防御より、その場に、お金を持って行かないし、又は、踏み入らない事にする。
現代の、状況は、財産を、壁で囲み、守る事に、注視している。
しかし、そもそもの場所は・・・天井川の、堤防を挟んだ、横・・・川の水面が、土地より上に有るのが、普通の場所・・・
考え様では、財産を奪おうとする、人々が多い地域に、財産を溜め続ける事に成る。
この行為が、人から、羨ましがられると、自慢する風潮まである。
分以上の、物も持たない・・之が私の生き方に成る。しかし、如何しても、分を超える事も有る。
それが、結果的に悩みに成って行く・・・・分の範囲内で、奪われても、笑って居られる。
分とは、そのようなものに成る・・・・
現代の価値観は、分を超える、これが幸せの証だと教えている。
しかし、得ても、その一瞬だけに幸福感を得るが、その後は、分を超えた、報いが待っている。勿論、之に耐える為に、分を高める方向に成る人は良いが、逆に足枷に成り、苦しみが増す人も居る。
祖父は、何を残そうとしてのか????・・・私は、命のバトンを続けてくれと思っている。
形あるもは、無くなる・・・・当然、命も無くなる・・・しかし、優先順位で一番上に有るのは、当然、命と言う事に成る。
人も、色んな命が有る・・・又、姿が有る・・・余裕が有るなら、色んな姿の人も大事である。
今の日本国は、裕福で、平時である・・・・色んな姿の人も含みで守る事が可能の筈である。
命を繋げる・・・この部分をもう少し、考えてもらいたい・・・己の利、利の証を守る、この方向に向かっている。
何が有るか解らない・・・特に戦時中を過ごした祖父の言葉は、意味が有ると思う。
祖父も、生きた証と、物を残し続けた・・結果は?????
姪の満州からの引き上げ等々の、手助けも行ったし・・・・息子が戦死、その嫁の行く末の、為に奮闘もしている。
之で何を得たか???・・・・その言葉が身軽と思う。
身軽だから・・・他人様に手を貸せる・・・又、何が大事かも見えて来る・・・
答えは、命、命のバトンを繋げていく人に成る。
祖父を悪く言う人は居ない・・・・老後は、人助けだけに動き回っていた様だ・・・
全てを無くした、結果が人助けとは、面白いと私は考えている。
歳の離れた、末子がいる。上の兄は、戦死・・・・末子を守る為には、この方法しか無かったとも思える。
しかし、末子の、父は・・・・自分の力、位が高い等々の、捉えてしまった。
之が、父の精神に取って、悪影響に成っている。
形として全てを失った親・・・力が無い、情けないと捉えている。
力が無い、親の子が、これ程、称えられる、己の力と勘違いが、大きな原因と私は考えている。
私も、過去を知るにつれて・・・物に対しての執着を無くす・・・之を心がけてきた。
執着が結果的に、不幸を造る場合も有る。
物を無くした場合、奪われた・・と・・提供した・・・同じ現象でも捉え方次第で、心が変る。
同じ様に、物の修復をする。之も、捉え方で変わる・・・私は修理人、その為に、物を治す行為が仕事だが・・・この行為で、人様が喜ぶ、当然、私自身の心も、清々しい方向に成る。
しかし、物の所有者は、お金も居るし、何故、自分だけがと思っている人も居る・・・自分の手では治せないので、私の様な職業に頼る事に成る。
昔、ブログに書いているが、修理人、後輩には、何を直すのか???・・人の心を直す、修理人が、本当の職人と教えていた。
対価しか求めない修理人は、人の為に立っていないと私は、考えている。
人の役に立つ、究極は損する振舞いと私は考えている。誰が、当然、私が・・・唯物的部分は、損に見えるが・・・唯心的部分が、多々の事を得ている。
多々の物を持っていれば、少しは分け与える事が可能の筈。
沢山持つ意味が何かに成る。商売・金儲けなら、売るための物・・・・力の誇示の為なら、見せびらかす為の物・・・・色々有ると思う。
他人に、自分の力を見せ・・それが欲しいと思われたら、当然、困っている人には、無償で、振舞われるはず。
絶対に人に取られたくない物は、隠すはず・・・持っていると言う事を悟られないはず。
我家にはブログにも書くように、色んな人が、色んなものを奪いに、集まって来る。
奪われるものが有るからと、思うし、無くなれば、来なくなると思うので、来ている間は、私にも少しは、力が有るのだろうと考えている。
当然、来客の方が、美味しい物を奪っていく・・残るものはカスに成る。
三流の私だから奪われたと感じていると思う・・・・差し出せる、命が私には無いと言う事・・・
奪われたくなければ、隠す、方法を考える事に成る。
仮に、貧乏人と解る人と、裕福に見える人とが居れば、どちらがお金を持参しているか???持っている人から奪うのが、当然と私は考えている。
周りから、裕福に見える、結果、防御を強くする、方向にも向かう。
しかし、完璧は、無い・・・
今回の災害も、同じことが言える・・・・冠水した地域が、河川敷の様な、土地だったら????・・
盗む人が多い地域に、お金を道に置くか????・・・・・私は、どんな防御より、その場に、お金を持って行かないし、又は、踏み入らない事にする。
現代の、状況は、財産を、壁で囲み、守る事に、注視している。
しかし、そもそもの場所は・・・天井川の、堤防を挟んだ、横・・・川の水面が、土地より上に有るのが、普通の場所・・・
考え様では、財産を奪おうとする、人々が多い地域に、財産を溜め続ける事に成る。
この行為が、人から、羨ましがられると、自慢する風潮まである。
分以上の、物も持たない・・之が私の生き方に成る。しかし、如何しても、分を超える事も有る。
それが、結果的に悩みに成って行く・・・・分の範囲内で、奪われても、笑って居られる。
分とは、そのようなものに成る・・・・
現代の価値観は、分を超える、これが幸せの証だと教えている。
しかし、得ても、その一瞬だけに幸福感を得るが、その後は、分を超えた、報いが待っている。勿論、之に耐える為に、分を高める方向に成る人は良いが、逆に足枷に成り、苦しみが増す人も居る。
祖父は、何を残そうとしてのか????・・・私は、命のバトンを続けてくれと思っている。
形あるもは、無くなる・・・・当然、命も無くなる・・・しかし、優先順位で一番上に有るのは、当然、命と言う事に成る。
人も、色んな命が有る・・・又、姿が有る・・・余裕が有るなら、色んな姿の人も大事である。
今の日本国は、裕福で、平時である・・・・色んな姿の人も含みで守る事が可能の筈である。
命を繋げる・・・この部分をもう少し、考えてもらいたい・・・己の利、利の証を守る、この方向に向かっている。
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