現代の、インフラの目的が・・・数値データー等々の、議会対策に成っている。
何度が書いているが・・・・事を進める為には、強い、信念と・・行動力がいる。
それを測る、物差しが無いので・・・結果的に数値的、データー等々が、表に出て来る。
ものを造る・・・場合、当然、土地が要る。
反対者が少なく、当然、値段が安い・・・この方向に進むのが、民主国家、資本主義の流れに成る。
全てに、新特勘定が、介入している事になる。
前のブログにも書いているが、昔は、遊水池と言う場所が、治水インフラ整備ではあった。
しかし、この土地も無駄だと考える風潮が有る。
この様な土地、人が住む場所でない土地が、昔は多々あった。
当然、土地確保を考えた場合・・・楽な場所に成る・・・この様な所に、インフラが集まって行く・・・・之が、結果、町を形成する方向に成る。
勿論、危険性が有るから、防御の為のインフラも出来るが・・・その基準に成る数値、以上の防御を、無駄と言う、考えも出て来る。
結果、想定を超えると、大変な事になる事に成る。
過去のデーターを元に、作る基準・・・数値データーが書面で残っている・・・1000年前から・・当然ない・・・数十年のデーターで決めている事に成る。
地球の時間軸で見るなら、一瞬の一瞬と言う、時間に成る。
之を正しいと仮定する事、私は、考えられないと思う。
何千年もの経験を元に出来た、地域を、数十年の数値を基準にインフラを作って行く・・・
現実に、インフラが施工される、土地・・・安全とは思えない、場所に成る。
当然、お金の問題になるが・・・
家だけを見ても・・・昔は、防風林・・・竹藪・・等々で、風を防ぐ事が、各家に有った。
それが、地盤の保持に、竹の根・林の根で、頑固に、土地を保持していた。
昔は、家は、家族を守るものと言う捉えかが、強かった。
今は、見せる物・・・力の証と言う、昔なら、殿様的、感覚で、家を求めている。
昔の殿様なら、意味が有ったが・・・一般の庶民に何の意味が有るのか????答えは見栄に成る。又、その方向が、儲かる人を輩出するので、資本主義の世界なら、普通に成る。
若し、人の命を守る、物と、住まいを考えるなら・・・各自、色々な考えが出て来るはず。
現代は、土地に縛られると言う、方策も無い・・・自由に選ぶことが出来る。
命の実感が無い世界が今なので、楽や便利・・この方向性で択ぶ・・・
その結果が、どうなるかは想像できると思う。
生きる為に必要な水・・・・20リッター・・重さにして器を加えると20kg強に成る・・・現代の生活で、何リッターの水が必要か????各自違うと思うが、各自で必要な量が有ると思うが・・・それが滞った場合・・・どう確保するか????
確保出来たら、住まい迄・・どうするか????・・・
何時も思うのに、自己中の個人主義信奉者には、この部分は、他の責任と押し付ける人が多い、この様な人が、他人に手を貸すか???・・・之も考える必要性が出て来る。
理由は、私の様に、高齢に近づいていると、体力的に行動力が劣るからに成る。
この部分を強く考えるのも、家長の責任だと考えている。
特に、三流の無知な私は、学ぶ事が大事に成って行く・・当然、先人からの知恵に成る。
先のブログにも書いたが、咄嗟の時・・・財産が足枷に成るような、財産なら無用と言う事・・・命に係わる場合は、当然と私は考えている。
又、本家として・・・何かが有れば、集まれる場所と言う意味も有る・・・この場で、数家族が生活できる、環境も必要に成る。
一族の中での、インフラの避難所の立場も有る。
一族を守る・・家族を守る・・守るが多々ある、その責任に気付いていれば、当然、対処も有ると思う。
私は、平時の時のことは、余り考えていない・・・咄嗟や、マサカと言う事が、多々起きると考えているし、これが、三流の、幅の無さの証拠とも思っている。
想定内を広げる事が大事に成るし・・・三流から二流等々のレベルUP大事な部分だと考えている。
現代は、想定内で、その内に留まる、為の、力や防御が優れている、之を優秀と考えている。
想定外に成れば、無意味に近い事に成る。結果、想定を広げて行く事が、この価値観でも大事だと思うが・・・何故か、固定観念の部分なので、脱し出来ない場合が多い・・・
私は、何かの時に、身を寄せる場の必要性を強く、思っている・・・逆にその様な場の提供が出来ないかとも思っている。
昔は、地域社会にこの部分が有った・・・しかし、現代な無くなって来ている。結果として、この不安な部分を外に求めている・・・之が、色んな集団と言う事に成る。
しかし、現実に、その集団が、咄嗟との気に、役に立つか???
又、その様なリーダーが育っているか???・・・大事に成る。
勿論、集団の目的も有る・・・目的がこの様な部分に属しているなら、当然、出来ると思えるが、リーダーが育っていなければ、趣旨と違う場合も出て来る。
地域社会の崩壊も、この様な部分の問題に成る。
誰が、家族を守るのか???・・・誰が、一族を守るのか???・・之を広げている教育も必要と私は考えている。
勿論、現代は、この保護の体制から、脱して行く人も増えている。家族の括りから出る人、一族の括りから出て行く人・・・当然、確りした自立が求められることに成る。
誰しも持ち場が有る・・・他に持ち場が有る場合も有るし、それが意味する事は、その持ち場を確り守る事に成る。
立場とは、義務と責任が有ると言う事・・・一番の義務と責任は、得る部分も大事と思うが、それ以上に、守る方だと私は考えている。
守る為に、何が必要か????・・・之が答えと私は、考えている。
守るものは????当然、究極は命に成る。
私が、忘れならない、事柄は、相手の人は何気に、下行動かも知れないが・・・私には色んな意味を考えさせたし、それが、私の尻を叩いて、前に進ませてくれた、感謝の思いが有るので、忘れられない・・・・
守る、行為は、人の心も動かせると私は思っている。
自分の持ち場は、厳守し、その上に前に進ませる勇気を与える・・・凄い事だと私は、考えている。
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