今日は疲れているので、リハビリはストレッチだけで筋力増強のリハビリは行わなかった、己の体を虐める程度で無ければ、このリハビリも三ヶ月ルールで半分の時間に短縮される。其れまでに、可動域を増やさないと個人的には痛くて限界以上までうと貸すことが出来ない、手助けが居るし、力士の又割の様に、激痛が伴うが、仲間が手伝ってくれるからで切ることも有る。しかし、最近だと虐待等々と捉える人も増えているので、リハビリも成果が出にくい方向に向っている。要は本人の捉え方に合わせての施術になる。止・痛いと言われれば出来ないと成る。結果、リハビリも己の捉え方次第でどうにでも成るし、回復度合いに大きく影響する。
日本の制度も変える必要性を感じるし、日本国の医療制度、福祉制度を利用しようと来日するも現実に居る。私もその制度があるので、今は生かされている。納税者のお陰と感謝しているし、出来るだけ避けようと試みたが、死ぬ寸前まで行ってしまった。先のブログにも書いているが、守るが支配となる捉え方も有る。同じ要に、権利を遂行することが当然な事と思って居る人も居るし、直ぐに人権差別等々、口から言い出す。しかし、日本国も、欧米列強の価値観をすり込まれてきた。結果、個人主義の台頭が大きく進み、西欧では残っている、家族の段蹴る、親族間で融資し企業を立ち上げる等々も続いているが、日本国の場合、基本に、己本人の自己資金での挑戦に成る、結果的に応援・支援を受けて、起業する人と大きく差が付く此も日本国の抱える問題である。要は、親族の資産を有意義に使って増やす、お金力が有るから、優秀な教育を受けられる、結果、優秀な企業には入れるし、影響力のあるポジションを手に入れる事が出来る。
誰しも解ると思うが、共産主義・社会主義国家の、オリンピック選手は幼い頃から国が保護し育て上げるシステム、賭けてるお金が違う。日本場合、基本は自己資金での練習になる。両親が援助するくらい・・・頭角を現しだしてから、第三者の協力になる。この様な環境の違いで同じルールでの勝負をする。当然、日本は不利で有るが、何故か勝つ・・・・
私が危惧しているのは、個人主義の台頭も、家族・親族は違うと考えている。最低でもこの部分は死守する・・・・覚悟で取り組む。これも無くなってきていることに、デイケアサービスに伺うように成って思った。実子が近くに居ないなら、甥・姪が誰か居れば何故、面倒を看ようと顔を出さないのか?????海外でも有りえない、海外も個人主義が進んでいるが、ファミリーと言う単位を強く、大事にしている。日本では、親子間での断絶等が当り前になってきている。若しもの事が有れば、個人と、家族等の集団とでは何方が対応しやすいかに成る。この施設の使用者も、母の友達のように、我子の自慢、一流大学・一流の仕事・・・結果、親の面倒が看れないからこの施設を利用していると言われる人が多い、又は家族が問題を起して大変な目に遭ったと、被害者のように言われる。家族の長としているなら、責務は当然背負うべきで有ると思う。役職等は責任職と言われる。だから確り、守り続けなければ、当然、思うように成らない、しかし続けるしか無い・・・効果が無いと、支配・虚勢の方向に向えば大変な事に成るし、独裁者の終焉は悲惨の一言になるのが、歴史で証明されている。