2020年1月24日金曜日

賞状作成へ

日が無い・・・賞状作成へ・・・・・

今回の問題は、パソコンを新しくした為に・・・昔使っていたプリンターのドライバーのインストと・・・・ネットUSBハブを使っているが、その機器のドライバーのインストと設定に成る。

正直、面倒と思う。昔は、余り感じていなかったが・・・最近は強く感じるようになった。
その為か????・・・・切羽詰まらないと、行動に移せない・・・・

今回は、日にちが無い・・・明日迄には完成しなければ、成らない為に・・・

今日中にパソコン等々を整えたいと考えている。

Win10のドライバーを探す、之も大変・・・・簡単に得る事が出来ない・・・

OSの進化に伴い・・・この作業をする事に成る。

一番大変なのが・・・ID・パスワードの部分、覚えていない・・・保管していたがその場所が????・・・

変化を望む、有るが・・・最近は、変化に対応できない、自分が居る事に、情けなくなっている。


しかし、重くなった腰を、起す為に、尻を叩いてくれる人が居る・・・幸せだと感謝して居る。

敬老会・・・・

区長が来訪・・・・

日曜日に、敬老会を行う・・・・毎年の事だが・・・米寿の祝いの賞状の依頼が有った。

今年は、一人・・・我村では、二年早い86歳で祝っている。

この地に留まり・・・日本国の発展に貢献された人になる。

村の功労者とも言える・・・・

区長と色々話していたが・・・・行政区として・・・範囲も知らない区民が多い・・・
公民館に、行政区の地図等々の掲載した方が良いと思う・・・
特に、校区が違う、区民も居るし、地域も有る・・・・

結果、此処が同じ行政区と知らない住民も多い・・・・

区長も、今回選任され・・・・隣の市を通って行く家が一軒ある事を知ったとの事・・・

当然、校区も違う・・・・この様な住民も、何か有れば、行政として確認等々の責任が出て来る。

要は、どの器に入っているのか????又は、器は知っているが、その器に何が入っているかが解らないでは、問題に成る。

この様な事は、村事には多々ある。知っていて当然と思える事さえ知らない・・・当然、当たり前すぎて、書類等で残していない・・・

結果、大枠は解るが・・・内容はよく理解していないと言う事に成る。

勿論、人のレベルも色々・・・確り解っている人も居ると思うが・・・解らない人の為に、誰しも解るように掲示する之も大事だと伝えた。

昔、地域活性化の為に、オジサン達の合唱団が出来た・・・当然、私が一番若い・・・練習に遅れて参加・・・古い歌を練習されていたが、その歌詞が、昔の感じで難しく、普通の漢字も読めない、私は、練習を遮り、感じが解らないから歌えないと、訴えたが、お前だけ、後でと言われ・・・練習を見学する事に成る・・・大きな声でと指導側は叫んでいるが・・・皆、モゴモゴした歌い方・・・・休憩時間に成り・・・再度、教えてくれ、感じ全てが私は解らないと、訴えて、教えてもらったが・・・殆どの人が、席を立たず、その説明を、必死に書き留められていた。

その後の練習は、人が変ったように、大きな声を出される人が増えた。

理由は、感じが読めない、簡単な事だが・・・之を、アピールできない人が多い事にも原因が有る。

誰しも解っていると言う、前提が有れば、それを知らないと言えなくなる人が多い・・・

この様な事が、色んな事柄で起きている。

行政区内に住んで居て、その範囲を知らない・・・聞き難い立場でも有るが・・・誰しも習わないと、知る事は出来ない・・・誰も教えていなければ当然知らない。

この様な住民は多いと私は考えている。特に災害等が有ったら・・・安否確認等々、行政区内が大事に成るし、それを行動に移せる人は、若い世代に成る・・・指揮側が範囲を知らない・・行動する側も、知らない・・・之では、意味がない。

知っていて当然お思える部分が、逆に、誰も聞かないし、知ろうともしない・・・結果、無知の拡大が、この普通と言う部分から始まる。

普通はと言われると、知らないと言えない・・・何故言えないのか???・・・

理由も色々有ると思うが・・・誰しも解る部分を聞く、私は簡単と思うし、直ぐい行動に移すが、その結果で、何を得るか????・・・バカと罵られる方が多い・・・
丁寧に教えてくれる人は、稀な人になる。

基本、自分で調べる事に成る・・・現代は、ネットの発達で、個人で調べる事も容易くなっている。又、己を見せる事もなく・・こっそりと調べられる。

無知と自覚しているから、無知の立場で物事を私は考える。
この部分は、各自で違う・・・レベルの差等々有ると思うし、そのレベルで無知な部分も違う・・・・

無知を埋める・・・経験を積む・・・之が己を高めると信じている。















駄々っ子・・・

義父を看ている・・・・帰る・帰ると言っているし、嫁を娘と理解できないでいる・・・

お世話になりましたと・・・帰ろうとするのを止める・・・之も・・・楽しい、容易いと思うのも・・・・実父に比べると、幼い駄々っ子程度に成るで、容易い・・・

実父は、己を優秀・一流・選ばれた人間と言う・・思いが強い・・・神輿の上に当然、担ぎ上げられて、上げ膳・据え膳が当然と思っている・・・この様な人を、看る事の難しさに比べれば、雲泥の差に成る。

当然、周りは、見掛けで、老人としか見ていない・・・しかし、実父は、己をその様に思っていない・・・若くて、女にもてる・・・一流の人間男と思っている。

この思い込みの違いが、結果として、トラブルを発生させるし、父はバカにされた、バカにした相手に報いが有ると思い込んでいるし、その様な行動をしても、問題とは思わないで、正義だと思っているから・・・対応が難しくなる。

全てが、一極・二極を例にして、どちらを選ぶ????・・・強い・弱い・・・・美味い・不味い・・・この様な例題で、普通は、これを必ず選ぶと、父は言うし、それが正しいと思っている・・・一種のカルト的宗教にも近い・・・
その価値観に当てはまらいのが私に成るので・・・父は、拒絶勘を私に抱く・・・
美味い物を偉うとは限らないが私の考えに成る・・・強い・弱いも、どちらが正しいかは判らないと成るのが私に成る。

要は、社会の風潮・扇動を信じすぎた、狂信者と言ってもよいと考えている。
それを見抜いた、祖父が、父に振舞った、姿・・・見せた姿は、全て父が思っている良いと思える価値観と逆の方向に成る。

その為に、父は、祖父に感謝して居ない・・・その為に、我家の歴史・文化も継承を得ていない・・・結果、私は、親族等々から、聞くしか方法しかなかった。

結果、人から良い評価を得れる、方向性が正しい、又、正しい振舞いだと思い込んでいる。
結果、女を何にも連れまわし、その姿を、見せびらかし・・・直接言われる、言葉を評価と思っている・・・影で言われている言葉等には無関心に成る。
羨ましい・・・俺は力が無いので出来ない・・等々の言葉が、父には正しい行いをしていると評価されていると捉えている。


この部分は、母が言っていた、人間・特に男が陥りやすい、方向性・振舞いに成ると・・・見栄が全てと思い込む・・・・


義父を看ていて・・・・若い時の、振舞いがよく解る・・・・大工の棟梁として・・生きて来た・・・しかし、弟子を育てる、守る・この思いが強い・・・
結果、義父の今の状態を心配され、又、行動に移される、弟子も居る。

之が幸せだと私は、考えている。





この部分は、母が言っていた・・・若い時の何を求め、目指したかがその人の常識に成るし・・・普通に成る・・・老いれば、当然、その為の努力をしていると言う自負が有るし、残る・・・普通に過ごしたいの、普通が、各自で違うと言う事に成る。

若い時の求め目指した姿を、普通と思っているし、それを害する・阻む立場は敵だと思い込む・・・・些細な普通の事を求めているがそれを阻む相手は、当然、悪と成る。

実の父と話すと、私は何時も頭が痛くなる・・・自称・優秀・一流と思っている人・・・
しかし、判断材料が、美味い・不味い、どちらを選ぶ・・・この様な判断材料・・・
当然、美味い物を選ぶ、これが人間だし、普通と思っている。

強い・弱いどちらの立場を選ぶ・・・当然、強いと成る・・・・


迎えに行った。

嫁が、里の父を迎えに行った。

里の義兄も、四人の子供を育てられたが・・・・兄に似ず・・・全てが優秀・・・結果、都会で生活している。

跡取りが居ない・・・後継者が居ない、之が義兄の悩みでも有る。

義父も痴呆症が激しくなってきている。私の嫁、娘も理解できない状態に成った。

之も、人間の生きざまに成る・・・誰にも起きうる可能性が有る。

介護とは24時間、年中無休な事に成る。

社会で生きている人間には、色々な事柄が有るし、それに参加する、之も求められる。
その為の、家族に成るし、その人数も少ない家とは言えないが・・・結果、家族内で出来なくなる場合も当然出て来る。

その一瞬と成るが・・・他に任せる・・・担って頂ける、人が居る事が、私は幸せだと考えている。

里の周りの隣組等々も、この関係性に有るが・・・隣で亡くなれば、当然、隣組もそれが主体に成る。
結果、義父が取り残される形に成る。

要は、一族・地域で無理に成れば・・・当然、離れている親族に成る。

之が、私の嫁に成る・・・この部分も当然と私は考えている。

嫁の姉の家も有るが・・・両親を診て・・・息子夫婦が居て、当然、孫を四人看てある・・・結果、収入も必要に成り、未だに仕事を頑張ってある。
我家も大家族と言われていたし、義姉も言っていたが・・・姉の家が、今は10人の大家族と成っている。

要は、一族・地域・親族・・・この関係性が、お互い様の状態だと・・・円滑な環境を作り出す。

円滑な環境が有れば、当然、子供を育てやすい、環境と言う事にも成る。

しかし、現代は、良い環境を求め・・・それが無いからと、子育て・結婚を断念さる人も出て来ている。

結果、政治家も良い環境を定義する流れに成る。

私は、良い環境とは、個人でも変わるし・・・個人の欲でも変わって来る。
この部分を、適えたから、問題が解決するとは思わない。


要は、昔から書くが、集団を悪だと規定した為に、この様に成ったと考えている。

勿論、扇動され、リーダー独占の独裁者的、集団は良いとは思わないが・・・集団にも色々ある。

要は・・・己の裸・地を知っている、集団の存在が必要と言う事・・・・それが、現代は、家族が一番大きな集団に成っているし・・・その家族も、数十年前に家族崩壊等々が話題に成っている状態での、現代に成る。


若し、一流で優秀な人は、この様な集団を必要としないなら・・・・都会に、優秀な若者が排出されている・・・その為に、田舎は若者不在に成って行く・・・都会はベビーブームが起きても良いと思うが・・・現実は、起きていない・・・

良い環境を求めて、優秀な若者が向かっている・・・良い環境が、少子化を止めると成れば、当然、都会は田舎に比べ良い環境に成る。
しかし、現実は、違う・・・その理由は、育児・子育てに適していない環境と言い出す。

良い環境を求めた筈の、それも劣っている若者なら仕方が無いが・・・・優秀な若者を吸収している都会で、この状態・・・・

今、四男の嫁に、昨日なった・・・彼女に、犬の散歩をお願いした。
地域の人に、認識してもらう・・之も大事な事だと私は考えている。

円滑な地域社旗の一員に成る・・・この自覚を若嫁にも持って貰いたい。

上の息子達にもこの事は言っている、その地に腰を下ろす事は、その地の人々に、認識してもらい、一員に成る努力が必要と・・・・
地域事は、出来るだけ参加・協力をするように言っている。

理由は、私の経験に成る・・・・通りに面している我家・・・近くで事故も起きる、子供が巻き込まれる事も有るが・・・・
円滑な地域が有れば、直ぐに大人たちが飛び出してくるし、近所の子供と解れば、当然、親は仕事、祖父母や、親族に連絡・・・その間・・・救急車が来るまで、介護等の対応も、円滑に行われている。

之も出来るのも、子供の素性が解っているからに成る。

都会は、当然、人の数も多いので、この方向性には多々の人が来られると思うし、安心ども高いはずだが・・・安心できないと感じるから、環境が悪いと感じる・・母親も多いので、第二子を産むとは思わない事に成る。

この様な環境なら、子供に、他人を信用するな等々の教育が普通に成る。
この様に育てられた、子供が親と成る・・・・・

己以外、信用できない・・・夫も信用できない・・・己だけで子育てする、当然、無理と成る。

環境が悪いのか?????・・・環境が信用できないのか????・・・・それを作っている、当事者が・・・信用できないと成れば、己も信用できないと成る。

以前も書いているが、依存体質が最近の人には多過ぎる・・・他が悪いと言う事は、その言っている、他に依存している事に成る。

勿論、人は、集団の中で生きている、依存じているとも言えるが・・・お互い様と言う、考えが有れば、依存する時も有るし、依存されるときもあると成る。

依存方向に強いと言う事で、何度が書くが、寄生虫的価値観が蔓延している事にも成る。

電話・・・義父を看る・・・

嫁里の隣の、おばさんが亡くなったとの事・・・当然、里は当然、忙しくなる・・・

事が動くと、看ている人が、足手まといに成る・・・・・

義父と、看てくれとと電話・・・・嫁は・・・銀行関係の処理を済ませ、昼の食事等々を準備を行ってから、里に、父を迎えに行くと、連絡が有った。

前のブログにも書いている様に、分担と言う事に成る。

しかし、集団が少ないと・・・分担できる人が居ないと成る・・・居なければ、総責任者と言われる立場の負担に成る・・・

要は、企業・会社と思えば、解りやすい・・・・色んな人が居て、分担できる会社が理想に成る。

しかし、分担できる人が居なければ、当然、誰かが背負う事に成る・・・本業をしながら、別の部分を背負う・・・之が、多く成れば、当然、負担に感じ出すし・・・会社環境が悪いと成れば、当然、人が集まらない方向に成る。

しかし、よく考えれば、このキツサを誰かが背負わなければ、新たな人が入って来ない・・・入って来た人が、この部分を気付けば、又、去って行く・・・この流れを誰が止めるのか?????・・・・私は、価値観・考え方の、改革だと考えている。

集団に属して、利しか求めないなら、誰が負を背負うのかと成る。
私は、お互い様・・・・持ちつ持たれる・・・等々の、しらがみと言われる部分の、肯定的、価値観へ戻る、時だと考えいる。

しかし、利しか求めない人に、この考え・・・・難しい、負を背負う人は、負が増える覚悟が必要なる。

迷惑を掛けるから面倒を看る・・・このお互い様の価値観・・・・
この集団的、価値観から脱する、生き方が、文化生活と思っているのが、近くに居る。私の妹に成る。

その為に、誰にも迷惑を掛けないが、誰の迷惑を背負わない、生き方に成る。
結果、妹の子供達の、現状さえ、知らないし教えない・・・
結果、父の言葉だと、金の亡者に成っている、お金しか信じていないと言われる。

勿論、老後等々を考えて、人様の手を借りないと思えば、お金が必要に成る。
しかし、そのお金で、対価の人様の手を借ると言う事に成る。
私は、妹にバカと言う・・・算数の頭と言う・・・・要は、+-0を目指している。
不可能に挑戦していると私は考えている。又、生きた証が・・・0・・・考えられない価値観に成るし、生きた意味も0と言う事に成るが、それで苦労をしたと妹は思っていると思う。不可能な目標を達成しても、結果は、悔いや恨み、辛さしか残らないと私は考えているが・・・妹の周りは、一流・優秀と、妹を称賛しているとの事、しかし、下心が見えるから、付き合いを切っているとの事・・・・寂しい、生き方と思う。

妹の言葉を借りれば、しらがみの嫌な文化の中で、生きる、存在が私達の生き方と成っている。

しかし、喜んで、義父を看ると・・・私は思っているし、その行動を、早速、嫁は行っている。

妹は、看られない、理由を色々言いだす・・・それが現実だから変える事も出来ないと・・・出来ない理屈等々、言っても仕方が無いと私は考えているし、特に、優秀で一流なら、当然、解っている筈の、生老病死・・・之さえ金等々で解決できると信じている。

要は、妹は、環境を作って来て・・・出来ない環境を作ったと言う事・・・・

私は、環境を作ってきたが・・・出来る環境を作ったと言う事・・・
しかし、現実のお金・力は、当然、私が無い・・・・
妹に言わせると、夫いるから暇も持て余している・・暇が有るから、人様の世話が出来ると思っている。

逆に、優秀で一流だから、暇が無い・・・結果、人の世話が出来ないのは、当然と言う考えに成るし、これが有るから・・・我が家で、実父を看る事も、絶対・嫌と言うし、多大なお金が必要な、施設に預けて、お金が足らないと、算数的な部分を、私に要求してくる。自分で、兄の私に父は看れないと言い切って、連れて行った過去が有るが・・・・
それを触れると、父と同じように、切れだす。

優秀な人は、単純で良いと思う・・・算数的、価値観で全てを判断している。

この様な人が増えれば、当然、政治家も、対処療法・・・痛いなら、痛み止めの処方を繰り返すだけに成るし、それが正しいと、民意が思っている事に成る。

勿論、政治家とはその様な、仕事に成るが・・・・人を育てる・教育部分は、学校に成るが・・・人を形成する部分の地域社会が、崩壊している為に・・・算数的価値観しか持たない人達を増えている。

結果、良いでもない、悪いでもない・・・このグレー部分の存在が悪だと考える人達が増えている。

本当に、優秀で一流の人は、暇も出来ない、人達なのか????
人間として、私は、ボーとしている時も必要と思うし・・・何も得ないが、浮かれる事も必要と思っている・・・若し、24時間動き続ける、機械が、人間として、優秀と言われるなら・・・人間に生まれるより、機械に生まれた方が、幸せだっとなる。

私は、三流だし、劣っている、無知な人間である・・・その為に、動物的部分も、多々あると思っているし・・・己の力の無さを知っているから・・・人様の手が必要に成るとも思っている。その為に、今出来る事は、行う・・・・之が恩を先返しにしていると思っている。

私の考えでは、人様の手が必要な時は、当然、己は人様に手を差し伸べる力が無くなっている可能性が高い・・・・人様の手を借りて恩を感じても、返す事が出来ない状況に成る。その為に、力が残っている時に、恩を先に返す方向に心がけている。

勿論、現代の価値観、恩を受けても感じない、又は、己の力が有るからと勘違いする人が増えている・・・この現象を知れば、恩を先に返しても意味がないともなる。
しかし、之を放置すれば、人の本質を間違った方向に進める手助けをしている事にも成る。

今は、分担を得る、意味が、己の欲の解消としか考えていない。その為に、それ以外の分担を、担わない、拒否する方向に成っている。


しかし、誰かが背負わなければ・・・社会が潤滑に運営できない。
それを担う人が、本当は、優秀で一流の人と思うが・・・何故か、それを担わない方向に成っている。
結果、劣っている人間が担う事に成るし、当然、処理にも時間が掛かる事に成る。









人口減少

明治・・人口統計が出されて以来・・・・大きな人口減少は、先の大戦での一時起きたが、右肩上がりで、人口が増え続けてきた。

今は差かを転げ落ちる様に、人口減少の流れに成っている。

今回、統計図を出すが・・・・先の大戦で多くの国民が死んだ・・・悲惨な事だが、その減少幅より、大きな減少に向かっている。

国民を、物と判断すれば・・・戦争当時より、状況が悪いと言う事にも成る。解りやすく書けば、人をお金と考えれば、理解しやすい・・・戦時中は収入より、支出が多かった・・・現代は、支出より収入が減っていると言う事に成る。意味は違うが、結果は同じ事に成る。

寿命が延びる、これは支出が減る方向に成る・・・収入が何故増えないのか???・・・
文明が発達し、幸福度が上がれば、収入が増える筈だが・・・何故か、収入が増えない・・・子供が増えない・・・この流れが、現代の日本国に成る。

何故、人間の本質を理解していないのか???・・・之が私の疑問に成る。
昔から書いて来ているが・・・人間は動物であり・・・集団で生きる動物と言う事・・・
之を悪・集団をしらがみと言って、個を妨害すると言う、方向に誘導して、集団を悪とした価値観が、終戦後から、日本国に蔓延している。

子供は、宝だ・・・私は、地域の宝だと考える・・・何度も書くが、三流の私の頭の許容範囲は、我村程度の範囲しか、認識できない・・・村の宝だと考えている。理由は、人は集団の中で生きる動物と感我ているからに成る。

私の幼い頃、親から育てられた、教えられたと言う、記憶はない・・・・祖父や地域・親類等々の、中で育った記憶しか残っていない。
勿論、両親は生活の為の、糧を稼ぐ為に、必死に働いていたと思うし、その間、当然、私は、親以外が看ていた事に成る。

昭和60年代の話になる。

先輩たちは、団塊世代と言われる・・・・私達、以上に、稼ぎ手としての子供として生まれた。稼ぎ手だから、家の宝・地域の宝と言われていた。

当然、利が多いので、子供は増える・・・・この流れが、結果的に、爆発的な人口の増大に成る。

之を抑える、政策が成される・・・日本国の場合、家族計画や、移民政策で、人口を抑制する方向に向かうし・・・・人は集団の中で、生きる、この部分を崩壊させれば、当然、子供も減る・・・之を利用したか判らないが、集団を悪として、働き手を欲しがっていた・・都会が田舎から、子供達を求める・・・流れを作り・・・マッチ箱な様な、団地生活を、文化生活等々の、扇動・誘導で、人々を、個として集め、個としての生き方が、文明を大化できると、洗脳してしまった。

当然、個で生きる・・・集団で、分担していた部分を、全て個で行う・・・不可能だから、文化製品としての、白物家電が一気に広がる。優秀な消費者を創る事に成る。

之も、昔ブログにも書いているが・・・生殖機能が無くなった、動物は基本、寿命が尽きて、死ぬ・・しかし、人間は、この部分が無くなっても、生きている。
理由だ有るからに成る・・・生殖機能が有る、若者は、子供を産む能力が有る。又、生活の糧を得る、力も有る。しかし、子育てを、両立できない、特に人間の場合、子育て期間が長い・・・・生活の糧を得る為に、動き回り、危険な場所等にも行く、この部分を受け持ちながら・・子供も育てる・・・不可能に成る。この部分を埋める為に、生殖機能が無くなった、高齢者が生きる意味に成る。

勿論、この範囲の小ささでは不安が有る。稼ぎ手は、危険が多い・・・死ぬ・怪我する可能性が高いし、病気を患う事も有る。
この部分は、生物なので生老病死からは脱する事は出来ない。

結果、一族・親族等の、集団と言う形を形成している。
この部分が、美味く言っている時は・・・当然、維持できるし・・・環境が整えば、子供の増え、人口も増える・・・・しかし、限界が有る・・・之が、各々の人のレベルだと思うが。私に数万の人をと言われても無理に成るし、私の頭で考えられる、人間の数にも限界が有る。

今の私の立場は家長として、何人が頭内で管理で居るかに成る。

勿論、安定し、安心できる、人数が有る。しかし、多過ぎると管理できないと成る。

この安定・安心できる、人数を、扇動や誘導で、個に向けた、流れが有ったが、それが、持続し続けている。

結果、人口が減少しだしての対処法が、対処療法的で、特効薬でない策しか浮かばない事に成っている。

要は、集団を悪だと考える、この部分を、善に考える方向を模索した方が良いと考えている。

政治家が行う部分でない・・・基本的に、人間に刷り込まれた、部分を、変える等々の発言をすれば、当然、叩かれる。

母が言っていたが、子供は社会が育てる・・・私も同じ考えである。

狭い範囲の、地域・村・隣組・この部分の環境が、安心でき・お節介・介入が有る・・環境が有るかないかが、結果として、子供も任せられると成る。

私は、個人の優劣より・・・属している、集団・家や一族・地域・・この部分の優劣が大事だと考えている。

生物として、生き残り・・・子孫繁栄する・・・之が、大目標の筈・・・
その為に、命が有ると言っても、良いと私は考えている。

又、この感覚が有る為なのか、私は家族から言われている様に、差別主義者で有る・・・我一族が生き残る、之が大目的だ・・・その為に個人としての私は些細な命と思っている。当然、我一族以外の事は、地域や村程度なら、何が出来るかと考えられるが・・・市・県・国と範囲が広がれば、知った事でないと片付けてしまうタイプに成るし、悪く言えば、滅びても良いと言う、思いも有る。

生き残る為には、他を滅ぼさなければ成らない時もある。
勿論、平時は、協調性が大事だと考えているが・・・・

何度も書くが、私は、厳然と優先順位が有る・・・・区別をしているし、差別をしている。
人間として、集団で生きる生物と、解っているから・・・集団が大事、勿論、先に書いた様に、国と言う大きな集団を意識していない・・・・先ずは、私の周りの、村と成るし、当然、親族・一族に成る。

その中でも優先順位が当然ある。

しかし、この差別主義者の私は、この世の中では、否定される存在と、家族は言う・・・・

私は、人間と言う動物と、思っている。
動物的本能は、厳然と有って良いと考えている。
後は、それを制御できる、知性が有るか無いかと思っている。

子育て、等々、人を診る、24時間365日、年中無休の対応が必要に成る。
個人としての私は、当然、無理・・不可能となる。
結果、集団が必要に成る。

要は、分担と言う事・・・・分担する為にも人が居るし、数が居る。
勿論、人の手を借りれば、恩も発生する。恩義理の世界を私が大事にしている理由にも成る。
理由と、当然、一人で生きれない、集団に属している個人としてに成る。

要は、先香典か後香典かに成る。出来る時に行う・・・私は先香典と考えて、色々行っている。当然、恩有る人が亡くなった後に、お礼を言っても意味が無いと考えているからに成る。