2020年1月24日金曜日

人口減少

明治・・人口統計が出されて以来・・・・大きな人口減少は、先の大戦での一時起きたが、右肩上がりで、人口が増え続けてきた。

今は差かを転げ落ちる様に、人口減少の流れに成っている。

今回、統計図を出すが・・・・先の大戦で多くの国民が死んだ・・・悲惨な事だが、その減少幅より、大きな減少に向かっている。

国民を、物と判断すれば・・・戦争当時より、状況が悪いと言う事にも成る。解りやすく書けば、人をお金と考えれば、理解しやすい・・・戦時中は収入より、支出が多かった・・・現代は、支出より収入が減っていると言う事に成る。意味は違うが、結果は同じ事に成る。

寿命が延びる、これは支出が減る方向に成る・・・収入が何故増えないのか???・・・
文明が発達し、幸福度が上がれば、収入が増える筈だが・・・何故か、収入が増えない・・・子供が増えない・・・この流れが、現代の日本国に成る。

何故、人間の本質を理解していないのか???・・・之が私の疑問に成る。
昔から書いて来ているが・・・人間は動物であり・・・集団で生きる動物と言う事・・・
之を悪・集団をしらがみと言って、個を妨害すると言う、方向に誘導して、集団を悪とした価値観が、終戦後から、日本国に蔓延している。

子供は、宝だ・・・私は、地域の宝だと考える・・・何度も書くが、三流の私の頭の許容範囲は、我村程度の範囲しか、認識できない・・・村の宝だと考えている。理由は、人は集団の中で生きる動物と感我ているからに成る。

私の幼い頃、親から育てられた、教えられたと言う、記憶はない・・・・祖父や地域・親類等々の、中で育った記憶しか残っていない。
勿論、両親は生活の為の、糧を稼ぐ為に、必死に働いていたと思うし、その間、当然、私は、親以外が看ていた事に成る。

昭和60年代の話になる。

先輩たちは、団塊世代と言われる・・・・私達、以上に、稼ぎ手としての子供として生まれた。稼ぎ手だから、家の宝・地域の宝と言われていた。

当然、利が多いので、子供は増える・・・・この流れが、結果的に、爆発的な人口の増大に成る。

之を抑える、政策が成される・・・日本国の場合、家族計画や、移民政策で、人口を抑制する方向に向かうし・・・・人は集団の中で、生きる、この部分を崩壊させれば、当然、子供も減る・・・之を利用したか判らないが、集団を悪として、働き手を欲しがっていた・・都会が田舎から、子供達を求める・・・流れを作り・・・マッチ箱な様な、団地生活を、文化生活等々の、扇動・誘導で、人々を、個として集め、個としての生き方が、文明を大化できると、洗脳してしまった。

当然、個で生きる・・・集団で、分担していた部分を、全て個で行う・・・不可能だから、文化製品としての、白物家電が一気に広がる。優秀な消費者を創る事に成る。

之も、昔ブログにも書いているが・・・生殖機能が無くなった、動物は基本、寿命が尽きて、死ぬ・・しかし、人間は、この部分が無くなっても、生きている。
理由だ有るからに成る・・・生殖機能が有る、若者は、子供を産む能力が有る。又、生活の糧を得る、力も有る。しかし、子育てを、両立できない、特に人間の場合、子育て期間が長い・・・・生活の糧を得る為に、動き回り、危険な場所等にも行く、この部分を受け持ちながら・・子供も育てる・・・不可能に成る。この部分を埋める為に、生殖機能が無くなった、高齢者が生きる意味に成る。

勿論、この範囲の小ささでは不安が有る。稼ぎ手は、危険が多い・・・死ぬ・怪我する可能性が高いし、病気を患う事も有る。
この部分は、生物なので生老病死からは脱する事は出来ない。

結果、一族・親族等の、集団と言う形を形成している。
この部分が、美味く言っている時は・・・当然、維持できるし・・・環境が整えば、子供の増え、人口も増える・・・・しかし、限界が有る・・・之が、各々の人のレベルだと思うが。私に数万の人をと言われても無理に成るし、私の頭で考えられる、人間の数にも限界が有る。

今の私の立場は家長として、何人が頭内で管理で居るかに成る。

勿論、安定し、安心できる、人数が有る。しかし、多過ぎると管理できないと成る。

この安定・安心できる、人数を、扇動や誘導で、個に向けた、流れが有ったが、それが、持続し続けている。

結果、人口が減少しだしての対処法が、対処療法的で、特効薬でない策しか浮かばない事に成っている。

要は、集団を悪だと考える、この部分を、善に考える方向を模索した方が良いと考えている。

政治家が行う部分でない・・・基本的に、人間に刷り込まれた、部分を、変える等々の発言をすれば、当然、叩かれる。

母が言っていたが、子供は社会が育てる・・・私も同じ考えである。

狭い範囲の、地域・村・隣組・この部分の環境が、安心でき・お節介・介入が有る・・環境が有るかないかが、結果として、子供も任せられると成る。

私は、個人の優劣より・・・属している、集団・家や一族・地域・・この部分の優劣が大事だと考えている。

生物として、生き残り・・・子孫繁栄する・・・之が、大目標の筈・・・
その為に、命が有ると言っても、良いと私は考えている。

又、この感覚が有る為なのか、私は家族から言われている様に、差別主義者で有る・・・我一族が生き残る、之が大目的だ・・・その為に個人としての私は些細な命と思っている。当然、我一族以外の事は、地域や村程度なら、何が出来るかと考えられるが・・・市・県・国と範囲が広がれば、知った事でないと片付けてしまうタイプに成るし、悪く言えば、滅びても良いと言う、思いも有る。

生き残る為には、他を滅ぼさなければ成らない時もある。
勿論、平時は、協調性が大事だと考えているが・・・・

何度も書くが、私は、厳然と優先順位が有る・・・・区別をしているし、差別をしている。
人間として、集団で生きる生物と、解っているから・・・集団が大事、勿論、先に書いた様に、国と言う大きな集団を意識していない・・・・先ずは、私の周りの、村と成るし、当然、親族・一族に成る。

その中でも優先順位が当然ある。

しかし、この差別主義者の私は、この世の中では、否定される存在と、家族は言う・・・・

私は、人間と言う動物と、思っている。
動物的本能は、厳然と有って良いと考えている。
後は、それを制御できる、知性が有るか無いかと思っている。

子育て、等々、人を診る、24時間365日、年中無休の対応が必要に成る。
個人としての私は、当然、無理・・不可能となる。
結果、集団が必要に成る。

要は、分担と言う事・・・・分担する為にも人が居るし、数が居る。
勿論、人の手を借りれば、恩も発生する。恩義理の世界を私が大事にしている理由にも成る。
理由と、当然、一人で生きれない、集団に属している個人としてに成る。

要は、先香典か後香典かに成る。出来る時に行う・・・私は先香典と考えて、色々行っている。当然、恩有る人が亡くなった後に、お礼を言っても意味が無いと考えているからに成る。










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