2019年8月6日火曜日

無事・・・感謝

台風が・・・通り過ぎた感じ・・・

周りが静かに成っている。

又、気温が下がり、過ごしやすい、空気を運んでくれて、感謝に成る。

人間の思う通りに、自然をコントロールできない・・・勿論、私自身の事さえ、本人が思う通りにコントロールできないので・・・・他人は元より・・・・大自然をコントロールできるわけがない・・・

受け身で生きる事しか出来ないのが、人間だし、私は特に、生かされていると感じている。

自然も含みで、施しで頂いて、今生きている事に成る。

今生きている、又人間として・・・不可思議的に確立が低い、奇跡に近い・・・又、人間として、今の私の状態は無料対数的に、奇跡の軌跡と考えている。

現状を、若し不幸と考えると、それまでの縁も全て、恨む方向に成るし、後悔しかない事に成る。

現状を、幸せと捉える事が出来れば、当然、それまでの縁も全て、感謝に成るし、恩も感じ、恩を返す方向に向かう。

要は、現状を、捉え方次第て、不幸とも取れるし、幸福とも取れる。
この捉え方を、社会が教えている事に成るし、学ぶ側は当然、選ぶことに成る。

現代は、この部分が、無い・・・・対比で優劣を決め、これが幸せ等の基準と思って居る。

負けても、劣っていても、幸せと思えれば、本来、人間として勝ちと言う事に成る。

人様の判断でない、当事者がどう思うか????捉えるかに成る。

仮に、外から見て、凄いな~~~裕福だな~~~当然、幸せと感じているだろうと思って居ても、当事者は、まだ、負けている、まだ、欲が有り、現状を幸福と思えない、この様な人も居る。

日本国に生まれ、最低限の人間としての人権を保障しているし、当然、生きて行ける国に成っている。

勿論、国に奉仕はしても、施しは受けたくないという、命が私にはある為に、国が定めている、人としての最低限の生活より、下で有っても、幸せと思えれば、それで良いと私は考えている。

生きている間に、多くの色々な事を、経験したい・・・自分の命が選べない、先の予想も出来ない様な、経験が面白いと私は考えている。

簡単に書けば、負ける博打を望みたくないが、求めているという事に成る。
この方向が、私は面白いと思ってしまう体質の様だ・・・・

体調も、当然、悪い・・・最近は、時々、吐き気と鼻の奥に変な匂い的、感覚が出ると、倒れそうになる症状も続いている。

体の、病も楽しみたいと考えている。

右肩の怪我で障害手帳も頂けた・・・体も色んな部分に問題が有るが、これも、生きる事に、面白さを加える方向だと私は考えている。

生きる事、人生に、飽きる事が無い為に・・・想像もしていなかった、経験を楽しめという意味で、いまそれを楽しめるかの、帰路と言う事に成る。

母が言っていた、老いる事・・・機能不全に向かう方向を、楽しめるか????これが、若い時の、勉強で変わると言っていた。

母が言いたかったのは、人生として、若し、寿命も長生きしたいと考えるなら、先ずは、老いる、この部分を楽しめる、価値観が必要と言う事・・・

人は、何度も書くが「生老病死」この四苦から、脱する事が出来ない。
厳然と有るし、待っているという事に成る・・・それなら先ずは、その部分を学ぶ事が大事に成る。

四苦から、逃げる事が出来ない・・・しかし、人は、逃げる方向には努力する。
考え様では、無駄な努力と言う事に成る。

還暦に近付く年齢に成り・・・人生わずか50年と言われた時代からだと、10年程、長生きしている事に成る。
当然、長生きした分の、経験も多くしたという事に成る。
昔の人より、多くの経験をしたなら、当然、賢くなっていても良いと思うが・・・同じ経験の積み重ねで、結果的に、多々の経験をしていない。若い・幼いと言われる、経験値しかない事に成る。

要は、老いる、この部分の勉強をしていないので、悔いる方向に成る。
老いれば、当然、五体不満足方向に成る・・・その為に、手足に成る後継者を育てたかに成る。

要は、上辺の部分を注視するか????・・・・・現実の部分に注視するか????・・・この違いに成る。

現実は、決して、奇麗でもないし、格好よくもない・・・この部分を学ぶ、大事さを、子供達に教えたいと思うが・・・

絵に描いた餅みたいな、事を、求める子供達が多い事にも驚いている。





台風・・・・

台風8号・・・・今、大牟田に中心が有る様だ・・・

しかし、8号とは・・・・・今年の台風発生が少ないという事に成る。

周りの状況は・・・・風は有るが、暴風と言う感じでない・・・・・雨は、勢いよく降り続けているという感じに成る。

道を挟む・・・・向こう三軒は、昔、病院だった処と、大きな御殿の一軒と、普通の民家の一軒・・・・この三軒、人が住んで居ない・・・・

本来、荒れ放題に成るのが、普通だと思うが・・・・病院出たところは、地域の人からの連絡で・・・樹木等の伐採・助走等々を業者が来られて、保全・管理をされている。

御殿の家は、年数回、植木屋さんが、家の周りの、保全管理をされている。

普通の民家は、長男さんが、福岡の地から月に数回来られて、保全作業を行って居られる。

恵まれた環境だと思う。守る、意識も有り、行動力も有る。
之が有るから、環境が守られている。
感謝に成るし・・・私が出来るかと問われると、当然、逃げたい命が出て、なかなか出来ないと思う。

台風等で、大きく、被害が出れば、当然、復旧作業が要る・・・

この当然の事が、出来ているから、環境が守られている。

この部分の能力・負担を感じれば、不動産を守るとは大変な事に成る。
この大変な事ができるから、人は凄いと言っている。

守る、と言うと子供も同じ・・・儲ける・作る事より、一人前の大人に育てる、この部分が大変・・・だから、親は凄いという事に成る。

守る為に、何かを背負い込むことに成る・・・背負ったものを守る場合・・・当然、汗も流す・・・

若し、背負っているもの・・・之が人で、捨てたいと思い・・・捨てるならお金に変えたいと成れば、人を売る、これも出て来るし、当然、昔の日本国には有った事に成る。
勿論、悲惨な生活の中での判断なので、仕方らない部分なのかもしれない。

悔い・悲しみながらの行動に成る。

しかし、これが人から、物と成ると・・・・話が大きく変わるのが、何故か人間の社会に成る。

私の村の場合、誰も管理できない、ボロボロの状態の家というのが、無い・・・
本家筋が、世間様に迷惑を掛ける訳にいかないと・・・頑張って居られるから、如何にか、環境が守られている。

ただ、問題が、私が看取った、近所の老婆の家・・・・息子の成年後見人の弁護士が、家への立ち入りを、禁止した為に、家は荒れ放題に成っている。

昔なら、台風が来ると成ると、私が、その家の養生の為に、色々行っていたが・・・・
之が出来ないので、周りの家の人達は不安で居られる。

誰も管理していない家も、出て来ているという事に成る。

不動産の考え方の違いで、対処が大きく違う事に成る。

我家の前の、三軒の空き家は・・・経費・費用をかけて、保全お行って居られる。
不動産を守る、行為だと私は考える。

しかし、不動産を資産と考えれば、この様な経費・費用を掛ければ、資産が目減りする。
この様な、行為は無駄と成る。