2023年3月2日木曜日

父の学友・・・手を合わせに~~~

 今日市報に・・・・父の友人名が・・・・福祉協議会に寄付となっていた。基本、この組織に寄付とは、死亡した為に成る。

私の耳に情報として入っていなかった。この情報力の無さを悔い、何時か、手を合わせる目的で、家に向かった・・・・

奥さんが応対され、仏壇に手を合わせることが出来・・・・話を聞くと、癌で、急に吐血・アッという間に逝ってしまったとのこと・・・

それも去年の9月・・・申し訳ない・・・父を最後まで見捨てず、友で居てくれた人・・・同級生との事だが・・・なかなか、長い年月、付合い続ける、それも私の父と・・・・と成ると、感謝に成るし、当然、恩を感じることになるし、その恩を返すことも出来ず、逝かれてしまった、悔しいし、己の力不足を痛感することになる。三流で劣っているが為に、成長しなければ成らない部分が多々有る。

今回も半年も知らない状態だった、本当に申し訳ないと思う。

両親・先祖が受けた恩・・・当然、子孫が返す事に成るし、それを行わなければ、人としての責任と義務を放棄した、本当の鬼畜と等しい振舞という事に成る。

鬼畜の命を持って生まれた私、本来なら鬼になるべきだった・・・しかし、姿が人間として生まれた、人間なら、先祖や親に対しての恩も感じ、それを返そうとする思いが有るものだし、それを現実に出来るかが力になる。力が無いので、出来ない事が多々有るが、今の分で出来る事をしなければ、恩を頂いた意味が無い。

この能力が無いから、三流だし劣っていると己で思っている。

目指すのは、二流で良いし、優れる必要も無い、普通のレベルまでは成らなければ、人間に生まれた意味が無い。

己の欲、強さをアピールし、小山の大将で良いと言う価値観なら、高崎山の猿に産まれても可能で有る。

人間だから出来る、部分を磨くしか無い・・・

冥福を祈り、残ったご家族が後の私の課題になる。

先輩・・卒業おめでとう!!!

 お昼・・・後輩が来訪・・・昼食前の時間、何時ものように飯を食わせろ!!!・・・嫁が公休の為、準備を開始した。

彼との話の中で・・・私達の先輩が、昨日、高校を卒業・・・・・・高齢になってから、高校の夜学に進学され・・・70を超えた昨日、卒業だったとのこと・・・・尊敬している先輩・・・・・立場も有る中で、高校で学び直す・・・

私と10歳違いになるが・・・私も「鼻タレ小僧」レベルという事にも成る。

私は、恵まれてる・・・尊敬出来る先輩達が多々居る。叱咤しか得れないが・・叱ってくれる程、私を来た逸して頂いていると、恩を感じているので、何かの形で恩を返したいと頑張っている最中に、病で少し遅くなったが、恩を返すのが私の責務と続けている。

縁に感謝・・・悪縁にするか良縁にするかは、己の振舞になる。勿論、良縁にしたいと言う願望が有るかぎり・・・己に振舞にも当然、責任が有ると言う事になる。

多くの人と縁を結ぶ事は、多くの約束をしているという事に成ると私は思っている。だから、己の分以上の人との縁をキツク私の場合、感じてしまう。結果、己の分に合う量の、人との縁・・・私の場合、人数に限界が有るので、出来れば、全てが良縁で有って欲しいとなる。

凄いことだと思う、人様から社長と言われるポジションになっていて、高校の夜学に通う・・又、卒業・・・凄い偉業だと私は思う。

私も、昔、思っていたが、ある程度、人生の目処が付いたら・・・大学で学びたいと・・・私は無学のレベルで劣っている人間・・・未だに知らない事が多々有るし、学ぶ多々の事が有ると言う事・・・

夢として、60過ぎたら、大学の通強を・・・考えていたときが有る。

しかし、今の状況では、それだけの金銭的余裕が無い事を悔いている。

又、先輩から無言の叱咤を受けた感じがする。感謝に成る。

人は、発展途上・・・

 今日、テレビで、成年後見人制度の問題点等が話題になっていた。

本来、昔のように、家と言う単位で事を考えていた時代なら・・・家の中に人の手を必要とする人が居ても、それをカバーできる人も居た。

何度も書いているが、この制度、家督制度と言うと、嫌な感覚になる人も多いが、このシステムで事が動いていたし、当然、このシステムを用いた行政サービスにも成っていた。

しかし、家督制度が滅び、今は、家・家族という部分も崩壊し、孤立化に向かっている。

結果、文字も理科出来ない・読めない・書けない・・・等々の人も昔も居たがカバーする家族が居た。しかし、現代はこの人が居ない・・・結果、誰が手を貸すか・・・此が居ないから、成年後見人制度が出来、裁判所が認定する事に成っている。

私も地域の困ったチャン等々で、成年後見人の依頼が何回か有ったが、私は、三流で、嫌われ者、劣っているし、間違いも失敗も起すし、明日の事も保証できないのに、出来るわけが無いと断り続けた。勿論、面倒を看る、己の勝手で看る、此は続ける事が出来るが・・・将来までの保証は出来ないというのが私の考えだし、私は人間・神では無いと思っている。

一度、後見人になると、今までは己の都合で世話をされたが、責任と義務が確り出てくる。出来ないとは言えないし、お金の管理等も行い、何時、呼び出しが有っても動ける、覚悟が必要に成る。当然、無料では出来ないとなるし、逆に対価を1円でも居ただけは、100%の責任と義務が発生する。

大阪に居る、困ったチャンも、弁護士が後見人になっていたが・・彼から取れる、物が無い、それ以上に手が居るし・・・大変・・・結果、後見人を辞退されている。

彼の家の借用書・権利証等は、彼の母が私に渡している。それも、権利が無いと、弁護士から渡せと言われた、結果、全てをコピーで渡した。

法律的に、私には何の権利も無いと言うのが、弁護士の言い分・・・此がまかり通れば、善意で、当然、無理をして、人に尽くす人達は、居なくなっていく・・・目の前で老婆が困っている、当然、お金になれば、己の分で出来るならと、渡す・・・当然、貸し付けたと成るが、返済が出来るとは思っても居ない、勿論、今世に成るが・・・

此を続けていく中で、借用書を書くとなるし、権利書を預けると成っている。求めたわけでも無い・・・しかし、この行為が結果として、家を守る事に成っている。未だに、人手に成っていない、空き家の状態・・・

又、この件は以前のブログでも書いていたが・・・台風等々のある前に、養生の為の処置等々、又、周りからのクレームも私が行っていた。

しかし、一度、後見人が弁護士という事で、この家に近づく、敷地に入れば、警察に通報すると成ったために、私に問題等々を地域の人から言われることが無くなった。以前は、些細な事さえ処理する方向に成っていたが、一度、後見人が入ると、周りで世話をしていた人達との縁が切れるために、良い部分も有る。

しかし、周りの話だと、色んな問題等々を、連絡しても対処してくれないとのこと・・・当然、大阪から来るわけが無いと思うが・・・

現実に、一度、成年後見人が付く、それも赤の他人で、裁判所の認定で・・・それまで関わっていた人と縁が切れる・・・・その人が死ぬまで、後見人を続ける事が出来るなら良いが・・・・後見人が続けられないとなれば・・・誰が成るのか????・・・

後見人が付くまでは、それまで生きた縁で、人との関わりが有った。それを一端、切った状態で、行政等を使って、後見人を付ける・・・その人の過去、それも口に言えない様な部分まで知っている人なら良いが、見掛けだけの付合い、後見人制度・・・当然、後見人も人で有る。間違いも起すし、嫌でも責任と義務で、対処しなければならない時も有る。此を無料でとは無理な話・・・しかし、一生面倒を看ると言う、全て後見人に連絡が有る。施設で問題を起せば、当然、連絡が入る、入っても対処できるのか、他人の後見人が言っても、施設の人が言っても、差は無いと思うが・・・責任と義務が有る後見人の言葉は重いと、本人が解るようなら、後見人の必要性は無い・・・要は、手が付けられないから、家族も看れないと成るし、面倒を看たくないから、施設に入れる、入れたが、色んな問題が家族側に連絡が入り、保護者ならと言う義務と責任で対処と言われても、聴く耳を持たない、人に如何すればと成る。結果、放棄・・・結果、成年後見人制度に成る。あかの他人が、義務と責任を対価無しで背負う・・私は無理だと思っているし、それが続く、何年先までかも解らないとなる。

当然、施設等で、問題を起し、その費用請求も受ける立場・・・管理しているお金が、国民年金だけなら、出来るか????

私は、第三者で出来る事は行っても良いと思っている。理由は、逃げられるからに成る。私は、三流で劣っている、その為に、今日は出来ても、明日は出来るかは別問題、出来ない場合も有るので、逃げると言う表現をしている。当然、時と場合で違うのが、私の様な差別主義者・・・今日は、救いたいと思っても・・・明日は、俺を救ってくれと思っている場合も有る。当然、優先順位も状況で一瞬に変わる・・・この不完璧な人間のために、限定した固定した方向性は向かないと、私自身は思ってる。

要は、人間とは多種多様に居る・・・しかし、集団として纏めたいと成れば、規格化した普通というレベルを求める。個人に此を求める事が私は差別だと思うし、強制だと思う・・・

子供も同じ、幼稚園・保育園・小学校・中学校・高校・大学と、学びの集団も色々有る。効率化を求め、少ない指導者が多くを教育する方法に成る。しかし、一対一の教育が出来れば理想だが・・・本当に出来るのか????指導者側に問題が出てくる。10歳の子を教える、当然、勝手にレベルを想像する・・・しかし、現実は千差万別、文字も読めないと言う人も居る、その様な人の担当になっても、何も感じない平等主義者なら良いが、私はは無理ですとなれば、誰が指導するのか????後見人制度と同じ事に成る。

要は、個々に人が成っている。本来、家族・家という単位で処理していた・・・その為に、国や行政はサービス程度で良かった・・・しかし、個に成って、文字も理解できない、この様な人に対して、書類を郵送するサービスの意味が有るのか????・・・

このまま続けば、国民一人に、行政サービスの人が一人付く時代になる。

その様にならないためにも、教育を行っているが、何度も書くように「生老病死」から脱する事は出来ないのが人間・・・優秀な人でも老いるし、病を患う、当然、機能不全にもなる・・・だから、それをカバーするのが本来、小さな集団、家族になる。