今日市報に・・・・父の友人名が・・・・福祉協議会に寄付となっていた。基本、この組織に寄付とは、死亡した為に成る。
私の耳に情報として入っていなかった。この情報力の無さを悔い、何時か、手を合わせる目的で、家に向かった・・・・
奥さんが応対され、仏壇に手を合わせることが出来・・・・話を聞くと、癌で、急に吐血・アッという間に逝ってしまったとのこと・・・
それも去年の9月・・・申し訳ない・・・父を最後まで見捨てず、友で居てくれた人・・・同級生との事だが・・・なかなか、長い年月、付合い続ける、それも私の父と・・・・と成ると、感謝に成るし、当然、恩を感じることになるし、その恩を返すことも出来ず、逝かれてしまった、悔しいし、己の力不足を痛感することになる。三流で劣っているが為に、成長しなければ成らない部分が多々有る。
今回も半年も知らない状態だった、本当に申し訳ないと思う。
両親・先祖が受けた恩・・・当然、子孫が返す事に成るし、それを行わなければ、人としての責任と義務を放棄した、本当の鬼畜と等しい振舞という事に成る。
鬼畜の命を持って生まれた私、本来なら鬼になるべきだった・・・しかし、姿が人間として生まれた、人間なら、先祖や親に対しての恩も感じ、それを返そうとする思いが有るものだし、それを現実に出来るかが力になる。力が無いので、出来ない事が多々有るが、今の分で出来る事をしなければ、恩を頂いた意味が無い。
この能力が無いから、三流だし劣っていると己で思っている。
目指すのは、二流で良いし、優れる必要も無い、普通のレベルまでは成らなければ、人間に生まれた意味が無い。
己の欲、強さをアピールし、小山の大将で良いと言う価値観なら、高崎山の猿に産まれても可能で有る。
人間だから出来る、部分を磨くしか無い・・・
冥福を祈り、残ったご家族が後の私の課題になる。
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