2023年3月3日金曜日

後輩から、しすぎ・・・と指摘

 昨日、後輩が来訪・・・

私はメーカーからのお客さんの対応で、友の相手は嫁が行っていたが・・・・母屋に戻ると、後輩から、過ぎ・・と・・指摘された。

何の事かと思っていたら、四男の子の養育費の件の様だ・・・

長男の時も養育費は嫁が払っていたとのこと・・・だから、先月から支払いが厳しくなった、四男の代りに、支払っていると、後輩に話した様だ・・・

ここ数年、彼女も己の汗を流し、家に糧を入れてくれている。その為にお金の意味も昔と変わっているようだ、以前は、貴方の子、払ってやるのが当たり前と言っていたが・・・後輩に相談と言うより、愚痴を言ったから、私が指摘されたと言う事になる。

勿論、後輩も我家の大蔵大臣は嫁という事は解って、何の力も影響力も無い私に言っている事に成る。

後輩が一般論、普通はと言って話すが・・・私は我子が決めたこと・・その遂行が出来ない、当然、人間だから、失敗も間違いも起すので当たり前と思う。しかし、此がまかり通れば、信用・信頼というものが無いと言う事になる。その為に、括り・家族や血族・一族等の考えが居るし、勿論、遠く離れているなら、無理という事も有るので、住む地域社会と言う、集団の一員として、どう言動が出来るかと考えている。

勿論、信用・信頼等、有りえない・・・誰も信用しないで、俺中心主義で生きる・・・この様な社会なら、約束も契約と言う言葉も死語になる。

成らないために、罰則を与えるとなると、最初から近づかないと成る。

私は差別主義者の為に、区別・種別・優先順位等・・・有るし、此も、何度も書くように、時と場合で変わる。優柔不断と言われても、正直な気持を書いている。

しかし、平等主義者を装い、平等に扱う等々逝っている人々が何故か、優先順位で揉める・・・・

私の様に差別主義者で、人間には肩書きが有り、レベルが有り・格が有る・・・それが各自違う・・・ただ、何が優れ・劣っているかは各自の主観的問題で、何が正しいかは各自で違うと私は、思っている。

私は鬼畜だし、差別主義者・・この私の目で見て、劣っていると思える人も居る、しかし、本人は気付いていない・・・結果、問題を多々発生させるが、己が責任だとも思っていない、結果、第三者から見れば、逃げたように見える。この事を指摘しても解るわけが無い・・・

色んな人と縁をして・・関わり、処理してきたが・・・私の思いを伝える・・・当然、私の言動でに成る。しかし、それを理解できない人も当然居る・・この当然という事が私は大事だと考えている。

仮に、異国の人に、我が地域の方言で説明して、理解されるか????・・無理だと思う・・・当然、私に対して、訳の分らない言動をされる事に成る。

要は、意思疎通が出来ていない・・・疎通をする為には????劣っている方が近づかないと駄目なのか???・・・私は逆だと思っている。優秀で一流だから本来なら近づく努力が必要と思う。

しかし、このポストの人、何故、このポストを求めたが、苦労・汗を多々流したいと願って、このポストは得たのか????・・・逆に楽し、涼しい顔で富を得たいという思いで成っているなら、面倒暗いことをするだろうか????しないと思うし、その理屈が、結果、相手を蔑み、馬鹿にした方向で処理する。

力が無い、劣っている、常識を知らない、普通で無い・一般で無い、等々・・・私が人様からの評価と同じで有る。

何故、平等主義射的な雰囲気を出して、優秀で一流を自称する人が何故か多く居るように感じる。

勿論、変わり者、異端児の私の感覚に成る。

私は、己の好みが有るし、優先順位が確りと有る、此を差別主義者と言われるなら、そうで有ると言うしかない。

一神教の信者には、人を悪魔と決めつけ、殺す・・此さえ善と言っていた時代が有る。要は、神が上で、民は下・・・下だから上には逆らう事が出来ない・・命令に背けば、抹殺される。

その手先として働くのが信者という定義さえ有る。

怖いと思う。

仏教もこの方向に向かっている。仏は他に居る物で無い・・・己の胸中、命の中に居る、勿論、私は鬼畜の命が強いが、それでも仏がいる・・だから、仏を命の底から命の表・・言動に繋げていく・・・此が仏教の本義・・・よく祈れば叶うと言われる、祈る????

祈るとは???声を出せる人、出せない人が、居るし、何を祈るか???

此も以前書いているが、準備もしないで、勝ちたい・・・祈った、勝つ為には、相手が死ぬか、体調不良で不戦勝しか無いとなれば、相手を恨み殺したと言っても良いが、己の勝利を祈ったとも言える。

私は、劣っているし、無知・その為に、相手に伝えたいことが伝えきれずに居る・・此を改善したいと思うから、無知を埋めたいとも思っている。又、己が思っている、山を、他人に見せたい・・・色々、説明するが、各自の感覚、環境が有るから、同じ山とは成らない・・・此が悔しいと思うから、表現方法を考える事に成る。

私が思う差別は、己の価値観の範囲内に居る人しか、人として認めない・・・範疇を超えると、差別と言うより、無視するこの意識が一番、怖い差別だと考えている。

要は、その様な価値観なら、誘導扇動で、その許容範囲を狭める方向は簡単・・・結果、価値観の違いで争いが高まるし・・・悲惨な方向に向かう・・・

何度も書くように、人は間違いも失敗も起す、又、劣り出す時も有るし、病に成るときも有る。だから、カバーしなんがら生きる、生物だと思う。

勿論、個人主義・己本位主義が正しいとなれば、自然の中で、他人を当てにせず生きる事に成る。

私は、動物の様な生き方が出来ない・・・弱いから???・・・だから集団でお互い様という価値観で生きている・・・負を残さないためにも・・・出来る時までと言う、限定した時間軸になるが・・・私も人間、駄目に成るときも有る。




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