2018年8月5日日曜日

今日は、又勉強・・・・

今日は、体調も悪いので、私の趣味RCドリフトの、勉強と過去の動画を見ている。

当然、撮影時には、行っている操作は、間違っているとは思わないし、当然、走らせる為には、車の個性に合せた操作が必要に成る。

しかし、時間が経って見ると、色々な部分の意外感を感じ出す。

当然、シャーシの問題、個性の問題が一番大きいのは、先に書いた車の個性に合せた操作と言う事で解る部分に成る。

私も色んな車の試乗をさせてもらうが、基本の部分は、その車の個性で変える事にしている。

各自が作った車、その人の考えが有るし、拘りが有る・・・・最近はその部分を言葉にする人が減ったので、固定観念無しに、操作に取り組めるし、この車の個性ならこの様な操作と言う感じで操作が出来る。

走らせる之を趣旨に、操作をしているので、当然、この流れに成るのが普通だと私は考えている。

唯、違いが、RCドりフターが言われる様な操作で出来ているか???この部分は、各自で違うので、私は私なりの解釈で判断している。

二日前位に掲載した動画・・・・時間との変化で、当然シャーシの個性が変わっている、其れに合せた操作と言う事で、車の挙動等も大きく変わっている事が解る。

この部分も各自の好みに成るが・・・・私は、変化が良い方向に成っていると感じている。

何が大きく変わったか、簡単に書けば、回転の仕方、特に回転下がりの部分が変わった為に、操作が違うし、当然、回すタイヤの回転数も変わっている。

私の感覚だと、古い方が、トラクションの喪失度合いが大きいと思うし、逆に今度は真っ直ぐに繋がる引っ掛かりや、癖の有る食いが強いと見える。

この感覚が操作中に有るので、意識としては回さない適正回転を意識しているが、結果的に回す方向に成っている、現実にあの程度の動きで、実車だと時速200kmのタイヤの回転演出はしない筈。
之が、RCドりフターは実車に詳しい人が多いので、駄目出しが多々頂いていると私は考えている。

之が解るので、意識は回さない、しかし、現実は回している。

この変な食い方を、削減する方向性が、リアの面圧の低減と、タイヤの縦の食いの少ない物へとの変更に成る。

リアの食い、特に真っ直ぐに成る方向に強い特性が、結果的に舵角に表れているし、全てが大袈裟な舵角操作・・・向きを変える操作と言うより・・・フロントを引っ掛けてフロントを止める、この方向で操作しているし、操作側の考えは曲がりたいから曲がる処まで切るという、外部操作の独特の操作が出ている事に成る。この部分、荷重移動等が当然の様に言われる世界の人から見れば、笑われる操作だし、馬鹿に見えると思う・・・・

RCの外部操作だから仕方が無い部分が有ると、私は考えていたし、最初はこの部分を強く、表現していたが、其れが異端時に成る世界・・・少しでも環境に即しようと努力しているのが現在に成る。

勿論、この考え方も特殊だと考えている。

コース等の走行は、当然環境が有るし、その環境に合せる方向に成るのが必然、しかし、難しいと思える、拘りを遂行する場としてのコースは、制限が大きい事に成る。
結果、私は、自分の拘りを強く意識した操作やシャーシは、コソレン場限定の車だと考えている。

今、コースで使用しているシャーシも、RCドりフターが言われている事を基本に置けば、RC独特の操作の部分が未だ色濃く残っている。最低限コースを走らせられる為の妥協部分が、私には有る。

私の場合、特徴の無い、普通の車を目指しているが、之がRCカーの場合難しい・・・

理由は、外部操作という点と、人の私だけかもしれないが、弱い部分を強くし過ぎる傾向が有るし、其れがシャーシから見える世界が、又RCドリフトの世界でも有る。
口で表現している事と、シャーシを見比べる之が出来る。

弱い部分が、シャーシ表れる、しかし口ではその弱い部分を何故か操作で克服・得意と言う人も多い様に見える・・・・

この部分も不思議・・・・何を凄いと表現しているか・・・本来人の操作技量等に成ると思うが、この世界は、シャーシに成る・・・・

凄いトラクションをかける事が出来る。この言葉を聞いた場合、どの様な操作と私は成るが、現実にはシャーシが異常が付くほど重い、私はハ~~~ンと成るが、周りは凄いと取り入れる。

何故ハ~~~ンに成るかは、誰しも理解出来る、牽引力のUPには重さが大事だし、特に滑っている動輪で前に出す、駆動力を出す為には、誰しも考え付く事だし、現実の機関車等々もこの理由が有るから重くしている・・・・しかし、目的がけん引では無い、ドリフトが目的だと私は考えるから、ハ~~~ンと成る。

何故か、トラクションをかける技量、操作が無いという事に成る。之をあえて、何故あピーつ出来るのか????私は不思議と思う・・・・

RCドリフトの歴史で、等速四駆時代が有る。当然、牽引力を増す、誰しも重くする。之を思いつく・・・・この行為が恥ずかしいと考えていたから、色んな理屈を付けて、重くしていた、モーターが過熱するから、冷却の為・・・・・電飾の為の、別電源等々・・・・

昔は、恥ずかしさが有ったと思うが、最近は其れを当然と考えている人が増えている。

勿論、その流れを扇動している人が居ると言う事に成るし、其れを当然と思える、環境に成っているという事で、環境から言えば、正しいに成る。

環境に即した、方向性も必要だし、私は個人の拘りを、遂行したいと考えれば、プライベート環境も必要と考えている。

要は、人は口で言っている部分と、本音の部分が180度違う場合が有る。しかし、その違いを狭めようとするのも人で有ると、私は考えている。



現代は・・・・今は・・・・この言葉????

先のブログの続きに成るが・・・

有史以来・・・人の営みが有り、それで培った、知恵が有り、其れを重ねた歴史が有り、文化が有る。

しかし、先の大戦後、一気にこの部分を否定する風潮が広がって、今に成っている。

先のブログにも書いたが、私も嫁も、若い時によく、父母に言っていた言葉、今は・・・・・昔と違う・・・現代の考えは・・・等々の、過去を否定する単語をよく使っていた。

勿論、過去の部分で悪い処も有ると思うが、考えられない位の世代と通して出来た、文化等々を、一世代の人が、否定する、この行動が本当に良いのかとも私は考えている。

何故か、数えきれない先人の世代が居た・・・その人達が後世に流し続けた事、子孫が不幸に成る事を望んで流した、文化や風習なら、否定する之も有ると思うが、実際は逆だと私は考えている。

有る人から聞いたが・・・この様な歴史的、長年の知恵の継承は、三代途絶えると、文化なき浮草の方向に成る、之が人種的に行われば、一つの人種のアイデンティティやプライドまで崩壊させる。
結果、違う方向で、一つに纏める方向の模索が始まる。

之を、聞いて、色んな国家の運営を見ると、単一民族の国、特に民族的、文化や歴史等々が継承されている、国を探すと、世界中で多くは無い、

結局は、多民族文化だったり、民族的、歴史は有っても文化が継承されていない国等々が多い・・・
独裁国家だったりして、過去の歴史を抹殺してきている国も有る。

結局は、良い意味での知恵の継承が行なわれていない、事に成るし、この様な集団国家なら、当然、一極に向ける、策として、仮想敵を作る、之で、人身を統制する方向に向かう。

よい意味での、日本の文化・歴史が有るが、この部分を、日本国民が戦後、率先して破壊し続けている。

諺に「武士は食わねど、高ようじ」と有るが、之が意味する事は、現代では馬鹿と言う感覚が多いが・・・現実に、武士、簡単に書けば、庶民に飯を食わせろと言える立場・・・
現代を、考えれば解ると思うが、立場が高い、雲の上の存在の人が目の前にいて、お腹が減った雰囲気だったら・・・当然、色々な食べ物を、並べる、之が普通だし、之をやり過ぎると、現代は身分制度が無いので、有り得ない、間違っていると言われるが、人の行動とは昔も今も同じ、
若し、身分制度が有る時代に、身分の高い、人が目の前に現れれば、当然、上げ膳据え膳をする方向だと思うが、其れを、武士側が拒否する、振る舞いをしている。
凄いと私は考えている。

以前も書いたが「恩は人の為にな成らない」この諺も・・・現代では恩を与えても意味が無いと言う方向の諺に成っている。
本来は、恩を与えろ、相手から感謝されなくても、結果的に自分の為に成っているという意味に成る。

結局は、日本人としての思考回路の基本部分を、終戦後大きく変えて来ている。

日本人としてのアイデンティティを持たない方向に成っているし、その為に、過去の歴史等も、本来は、有った事実を正確に伝えれば良いのに、何故か先に書いた諺の如く、馬鹿だと思わせる方向に誘導を続けている。

民族性・国民性・・・この部分を大事にする、之が私はグローバル世界で生き残る一つの策だと考えている。

歴史は勝者作ると言われる・・・当然負けた方は、口から吐く事を許されない・・・之も基本部分に確り持っている事が大事に成る。

よく、真実は歴史、将来が証明すると言われている。

要は、今から先の我々の振る舞いが、過去を証明する事に成る。

私も、父の商売の失敗、倒産でブラックリスト等にも記載がされたが、勿論よい事では無いが、今其れが私には財産だし、良い経験だったと言える事は、今が有るからに成る。

結果が現実で無いと言う事・・・・

本題に戻るが、人の営みが現代、変わっているか・・・・当然、見える部分は変わっているが・・・何度も書くが「生老病死」この生物の本質は、何一つ変わっていない。

生きると言う、基本部分は昔から変わっていない、その為の知恵を先人は残してくれている。之を、数世代の、人達が、否定する、之で本当に良いかと私は考えている。

人の本性は、何気ない部分に出て来る。本性は歴史や文化が影響する。其れが国民性や民族性に成る。

昔、ブログに書いたが・・・髑髏を飾り物にしたり、振り回して凄いだろうと言う文化は日本には無い。しかし、之が文化として有る、場合、漫画にまで書いてしまう。不思議とは思わない為に起きる。

人を人と思わない、価値観も有る・・・・・・文化・宗教的に、この価値観を正しいと思っている人達が、当然、上下感が強いので、権力側に多くいるし、強い国と言われる場合、この方向性が有る。

グローバル世界と言われているので、日本人も少しは世界の、価値観、等々も学び、怖さを知る事が大事だと考えている。

日本人の、価値観、先に書いた諺等々も、日本人だから感じれると思う・・・

異質で、異端な価値観を持っている日本人、之が凄いと私は考えている。
其れを、崩壊させる方向を、目指している人や組織や国が有ると言う事・・・
当然、勝敗論や、唯物的価値観で、其れを肯定する方向の、扇動を起こしている。

要は、何が幸せなのか????之を確りと考える事だと私は、思っている。

勿論、各自で違う・・・・しかし、本質的には、心が幸せと感じる事が出来れば、他社に感謝の思いが出ると私は考えている。

心を磨くと言うより・・・この部分を曇らせる風潮が多いので、其れを取り除く方向が今は大事だと考えています。

お盆前・・・嫁に感謝

無理が、有るのか????

身体が思う様に成らないのを、配慮して、嫁が・・・・

納骨堂の清掃・除草に私の変わりに、行ってくれた。

先祖も、嫁を感謝していると思う・・・

三流な私なので、嫁の行いも感謝に成るが・・・・一流や優秀な人達の感覚なら、当然の事に成る。

この部分が、嫁と妻との違いに成る。

私は、嫁さんを貰ったし、その為に挙式も行っている、親族に新しい身内が出来た、それも嫁としての・・・と披露をしている。

しかし、三流の為に直ぐにこの事を忘れてしまう。

馬鹿な私には、母が居てくれたから、その事を、何時も口煩く言ってくれていた。

母は、よく、嫁と言う意味を知れと私に言っていた。

当然、無知で、三流の私・・・妻と嫁の違いも解らない・・又他にも多々の表現が有る、家内等々色々有る。

全てに意味が有ると、母は言っていた。

勿論、嫁も、この様な母の考えは古いと、思っていたが、歳を重ね、今度は姑親の立場に成った時から、一気に考えが変わって来た。

簡単に書けば、私が居なくても、○○家を維持・守り続ける人が出来たと言う事に成る。之が嫁と私は、今考えている。

よく、最近は、苗字の意味を余り考えない、風潮が有る。

しかし、大政奉還後の明治に、苗字の使用を認められた人達が居たし、求めていた事にも成る。
三流の私が言うのも不思議だが、庶民は苗字を求めたと言う事に成る。

何故か???・・・之も、現代人が考える事に成るが・・・現実は、無視・・考えない方向に成っている。

要は、括り特に、家と言う括りが無く成ると、人は浮草、家業に成る・・・その場凌ぎの価値観に成るし、之は自分さえ良ければの自己中心的方向に成る。
之が意味するのは、生きるこの意味さえ最後は無く成る。
結局は、本能的に生きている、生きたい、生きるなら自分の思うようにしたい、この欲を利用する、立場、権力側の、単なる道具に成ってしまうと言う事を意味している。

勿論、欲が強く、権力側に成りたいと考えて、仮に成っても・・・この構造的、方向性は人が変わっても続くと言う事・・・・・之が、過去の革命党の歴史を見れば、解る部分に成る。

現代のシステムの中で、各自が色んなポジションで居る・・・変化は、そのポジションに誰が座るか????この変化しかない・・・・・結局はシステムが変わる事が無い。


私は、嫁の行動は凄い事だと考えている。勿論、先人が見るなら、当たり前だし、未だ欠けている部分も有ると思うが、現代の風潮なら、凄いと私は思う。

結局は、苗字まで、重荷に感じる、価値観が蔓延している事に成る。之が意味する事は、背負う之を極力避けたいと言う価値観に成っているし、全てが自己完結で終わる、之を求めている様だが・・・完結出来ないから、行政や国に性にン転換しているし、環境・社会の問題と、考えている方向性に成っている。

動物の世界で、親の介護をするという動物は、少ない・・・しかし、どんな環境下でも、子孫を残そうとする・・・・後世に残す、之が使命として生きているのが、動物であるが・・・

人間は???・・・・動物界の中では頂点に居ると言われる、優秀で長けている生物だが、動物以下の価値観しか持っていない様に見えるのが不思議である。