2018年8月5日日曜日

お盆前・・・嫁に感謝

無理が、有るのか????

身体が思う様に成らないのを、配慮して、嫁が・・・・

納骨堂の清掃・除草に私の変わりに、行ってくれた。

先祖も、嫁を感謝していると思う・・・

三流な私なので、嫁の行いも感謝に成るが・・・・一流や優秀な人達の感覚なら、当然の事に成る。

この部分が、嫁と妻との違いに成る。

私は、嫁さんを貰ったし、その為に挙式も行っている、親族に新しい身内が出来た、それも嫁としての・・・と披露をしている。

しかし、三流の為に直ぐにこの事を忘れてしまう。

馬鹿な私には、母が居てくれたから、その事を、何時も口煩く言ってくれていた。

母は、よく、嫁と言う意味を知れと私に言っていた。

当然、無知で、三流の私・・・妻と嫁の違いも解らない・・又他にも多々の表現が有る、家内等々色々有る。

全てに意味が有ると、母は言っていた。

勿論、嫁も、この様な母の考えは古いと、思っていたが、歳を重ね、今度は姑親の立場に成った時から、一気に考えが変わって来た。

簡単に書けば、私が居なくても、○○家を維持・守り続ける人が出来たと言う事に成る。之が嫁と私は、今考えている。

よく、最近は、苗字の意味を余り考えない、風潮が有る。

しかし、大政奉還後の明治に、苗字の使用を認められた人達が居たし、求めていた事にも成る。
三流の私が言うのも不思議だが、庶民は苗字を求めたと言う事に成る。

何故か???・・・之も、現代人が考える事に成るが・・・現実は、無視・・考えない方向に成っている。

要は、括り特に、家と言う括りが無く成ると、人は浮草、家業に成る・・・その場凌ぎの価値観に成るし、之は自分さえ良ければの自己中心的方向に成る。
之が意味するのは、生きるこの意味さえ最後は無く成る。
結局は、本能的に生きている、生きたい、生きるなら自分の思うようにしたい、この欲を利用する、立場、権力側の、単なる道具に成ってしまうと言う事を意味している。

勿論、欲が強く、権力側に成りたいと考えて、仮に成っても・・・この構造的、方向性は人が変わっても続くと言う事・・・・・之が、過去の革命党の歴史を見れば、解る部分に成る。

現代のシステムの中で、各自が色んなポジションで居る・・・変化は、そのポジションに誰が座るか????この変化しかない・・・・・結局はシステムが変わる事が無い。


私は、嫁の行動は凄い事だと考えている。勿論、先人が見るなら、当たり前だし、未だ欠けている部分も有ると思うが、現代の風潮なら、凄いと私は思う。

結局は、苗字まで、重荷に感じる、価値観が蔓延している事に成る。之が意味する事は、背負う之を極力避けたいと言う価値観に成っているし、全てが自己完結で終わる、之を求めている様だが・・・完結出来ないから、行政や国に性にン転換しているし、環境・社会の問題と、考えている方向性に成っている。

動物の世界で、親の介護をするという動物は、少ない・・・しかし、どんな環境下でも、子孫を残そうとする・・・・後世に残す、之が使命として生きているのが、動物であるが・・・

人間は???・・・・動物界の中では頂点に居ると言われる、優秀で長けている生物だが、動物以下の価値観しか持っていない様に見えるのが不思議である。


0 件のコメント: