2019年9月13日金曜日

意思疎通が不能・・・

家族の中でも、会話・・・私は色んな意味を込めて話している。
その点を考えると、家族内での話は、どうでもよい、その場しのぎの笑い話が多い為に、私の話は、聴きたくないと成るのも仕方が無いと思う。

この部分でも意思疎通が円滑に出来ていない事に成る。
話を、聞くから聴くになり、最後にその人に効く事を望んで話しているが・・・
聞く所から、聞き流す方向に、向けているのが解る仕草をする。

又、言葉の意味をよく理解していない・・・之も問題に成る。
以前書いているが・・・「情けは人の為に成らず」この捉え方も、本来の意味は情けは人の為に成らない時も有るが、巡り巡って返って来るという意味・・要はかけろと言う意味・・
しかし、多い、イメージは情けをかけても意味が無いと捉えている人が多い・・・

間違った認識は、何故、出て来るのか、私は周りの影響が強いと考えている。
当然、個人の周りの人々の振舞いに成る。

若し、大多数の意見を尊重すると成れば「情けは人の為に成らず」の意味を変える必要が出て来る。

この方向に向えば、世論を扇動できる人の思うままの世界に成る事に成る。

よく、馬鹿の語源は、馬を見た有る人が鹿と言い張った、譲らない・・・しかし馬は馬・・・その為に馬鹿と言う言葉が有る。

本来は馬だが鹿と言う人を指す意味に成る。

しかし、馬を鹿だと言って、扇動し、大多数が鹿と言えば・・・正道化される・・この振舞いを私は大馬鹿の、鬼畜の振舞いだと考えるが・・・

勿論、文化で言葉が違う、馬を発音でシカと言う文化なら解る。

何故、鬼畜の振舞いなのか・・・鹿だと角が有る筈と疑う人が出た場合、嘘で固める方向に成る。悪人から角を切られたから・・・・何故、足先がも、会話・・・私は色んな意味を込めて話している。

その点を考えると、家族内での話は、どうでもよい、その場しのぎの笑い話が多い為に、私の話は、聴きたくないと成るのも仕方が無いと思う。



この部分でも意思疎通が円滑に出来ていない事に成る。

話を、聞くから聴くになり、最後にその人に効く事を望んで話しているが・・・

聞く所から、聞き流す方向に、向けているのが解る仕草をする。



又、言葉の意味をよく理解していない・・・之も問題に成る。

以前書いているが・・・「情けは人の為に成らず」この捉え方も、本来の意味は情けは人の為に成らない時も有るが、巡り巡って返って来るという意味・・要はかけろと言う意味・・

しかし、多い、イメージは情けをかけても意味が無いと捉えている人が多い・・・



間違った認識は、何故、出て来るのか、私は周りの影響が強いと考えている。

当然、個人の周りの人々の振舞いに成る。



若し、大多数の意見を尊重すると成れば「情けは人の為に成らず」の意味を変える必要が出て来る。



この方向に向えば、世論を扇動できる人の思うままの世界に成る事に成る。



よく、馬鹿の語源は、馬を見た有る人が鹿と言い張った、譲らない・・・しかし馬は馬・・・その為に馬鹿と言う言葉が有る。



本来は馬だが鹿と言う人を指す意味に成る。



しかし、馬を鹿だと言って、扇動し、大多数が鹿と言えば・・・正道化される・・この振舞いを私は大馬鹿の、鬼畜の振舞いだと考えるが・・・

勿論、文化で言葉が違う、馬を発音でシカと言う文化なら解る。

何故、鬼畜の振舞いなのか・・・鹿だと角が有る筈と疑う人が出た場合、嘘で固める方向に成る。悪人から角を切られたから・・・・何故、足先が二つに成っていて、馬なら蹄一つの筈だがと質問しても、色んな事柄を出して、その意見を否定する方向に向ける。

之が、扇動の怖さ・・・・

ここ迄なると、馬と言う意味も伝わらなくなる。
意思疎通が不可能に成るという事に成る。

親として、先に書いた「情けは人の為ならず」と子供に言った。その言葉の影響で、人に情けをかけない人間に成った。私の思いとは逆になる事に成る。

意思の疎通である・・・その為に言葉が有る・・・しかし口で表現できる部分も限られてくる。
文字だと尚更に成る。

私は無知だから、遠慮なく質問し、聞く事を大事にしている。
当然、口で言って居るだけで、意味も詳しくは知らない事が多々私には有る。
しかし、聞いても中々、明快な答えを聞く事が出来ない。

又は、答えに疑問を投げかけると、後付けの言い訳的答えを言われる人も多い・・・
この事は、私の周りの社会でも、周りからの影響・扇動が大きく影響しているように感じる。

之が悪いとは私は考えていない・・・要は個人としての振舞いに成る。
私も三流だが、一族としての立場も有る・・・・私の振舞いが結果的・・
家族・親族・一族・地域社会等々での立場が有るし、その看板を掲げている・・・この部分は、三流でも一流でも同じ、必ず、何かの看板を掲げている。
それに、恥じない、振舞をする為には、当然、無知を受ける作業が必要に成る。






修理人の私の目・・・

関東地方を台風が通過・・・一週間を過ぎたが・・・・復旧作業の遅れに、マスコミが色々言っている。

九州に住む、私の場合、台風は毎年の事・・と慣れもあるが・・・その分、対応をしている。

年に数回、台風が通過する九州・・・暴風で倒れる木々も、その都度、倒れる為に、一気に倒れる等は珍しい・・・毎年、風に弱い、木々の間引きを台風が行っている事に成る。

又、三十年ほど前の台風19号の時に、大事な電気にインフラ復旧に、我が地域は十日ほど掛かった記憶がある。

当然、村内の生活道路に色んなものが散乱し、倒木も有る等々・・・その普及は村内の有志で行う事に成るし、行政を当てには出来ない・・・・生活道路の復旧には我村だと数時間で終わった。

当然、台風に備えた、重い屋根・・瓦も重いし、養生の為に網をかぶせる等々の対策もする。

田舎の為に、自給自足と言う部分が有るので、チェンソー等々の復旧作業に必要な機材も村内を探すと有る。

しかし、高齢化と過疎化が進む地域・・・機材は有っても扱える人が・・・この部分も問題に成る。

又、空き家も増えている、その養生も、現代は法的に立ち入り禁止等の表示をしてあるために介入が出来ない。

風で飛び、周りに迷惑を掛けそうな部分は解っていても対処が出来ない。
又、自然災害での被害・・特に別の家からの飛来物での損害等々は基本的には、相手に請求できない。

この部分は、火事も同じ・・・その為に、地域は、被害を最小限に止める為にも、地域活動を通して・・養生も行っているが・・・之も最近は、個人主義の台頭なのか、縮小気味に成っている。

又、この様な人に多いのが、我家が問題を広げた時も、無視の姿勢を取られる事・・・

簡単に書けば、平時は奇麗で何も問題が見えないが・・・心の中はゴミ屋敷状態と言う事になる。

以前も書いているが、亡くなった老婆から、住んで居た家の管理を任されていた。
その為に、日頃から、草取り、等々の、家の保全・管理を行っていたし、その家の近所の人も、台風等が来ると成ると、問題を指摘され、それを回収したりしていたが・・・・
老婆の息子、その成年後見人の弁護士から、立ち入りを禁止された・・・当然、老婆との約束、その証拠も家等の権利書を預かっていると、言うと、法的に他人なので、権利書等を、弁護士当てで送れと指示されたが・・・私はコピーを送っている。

しかし、立ち入りが禁止された為に・・・・家は荒れ放題・・・行政区長も相談に来られるが・・・相手が弁護士、こちら側も弁護士を雇って・・この様な事は出来ないと成る。

個人レベルで出来る範囲が狭まっている。特に個人の情報の所得が、簡単でない・・・・
空き家に成る、家の場合、後継者も何処に居られるかが、解らないし、普段から地元に帰って来られない人が多い・・・・

又、個人情報法の捉え方が、問題で・・・色んな、会が村内には有るが・・・その名簿さえ情報法を出されて、無くなる方向に向かっていたが・・・最近、無いと管理さえ出来ないと、名簿の拡充を進めている。

結局は、地域社会・・・私の場合、村に成るが・・・この部分で、自己完結できる体制が求められているし、昔は、当たり前だったが・・・

最近は、大きく括り、市や県・国と成っている。

自己で出来ないなら、結果は待つことに成る。
この待つ事を選んだという事に成る。

後は順序に成るし、その時間に成る。

特に、産業が無い、田舎の村・・・優先順位は遅くなると私は考えている。

大きく括りで、優先順位が劣ると解っているなら・・・当然、自己感ける出来る様なシステムが必要に成る。

先ずは、情報の共有化・・・・我村で去年、初の孤独死が発生している。
この事を知る、村民が何人いるかも大事に成る。

自然災害は、当然有る・・・有る事を前提に、準備をする。

村内に何代の発電機が有るか・・・それを奉仕として使える台数は・・・
AEDの有る場所・・後は田舎の為に、復旧に仕える機材は、多くあると思う。
しかし、一番必要な、若い人材・・・・之が減り続けている。

若い人が増える地域は、羨ましい・・・いざという時に、頼れる若者が居るという事に成る。

教育・育成も、人が居るから出来る。減り続ける地域は????

私の場合は、息子が五人いるが、上の三人は、家庭を持ち、各地域に散らばった・・・何時も、私が言い聞かせている部分は、地域に根差し、役に立つ人間に成れ・・・当然、先ずは自分の家庭・・・後は、住む場所・環境を守る事が、大事だし、使命と思えと言っているが・・・・効いているのか???・・不安は有る。

最終的には、見える範囲しか、広げる事が出来なくなる。その見える範囲をどうするかが彼達の肩にかかっている使命となる。

現代の生活は、地域社会が潤滑に稼働して、初めて出来ている。
我家だけという単位でない。

マスコミ等々の情報は、先ずは個に向かっている、大事だが、この部分は言われなくても、動物の部分の、自己生存本能が稼働する。

いざと言う時が有る、この当然の事を私は書いてきてもいる。
無い方が良いが、有る事が当然という発想に成る。
その時、私自身が動けるか????ケガをするかもしれない、死ぬかもしれない・・しかし、守りたい人は居る。

私の思いを、誰かに伝える、事も大事に成る。
当然、多い方が良いと成る。

仕事に明け暮れた時代・・・台風19号が、私の考えを変えた・・・地域に接していなかった時代にも成る・・・会社から大型の発電機を持ち出して・・・給電を行って入り・・・
自分で出来る範囲と振舞っていたら、何故か村内に溶け込むことが出来た。

考え様では、大災害だった19号にも感謝の気持ちが有る。

ヒナみたいに、大きく口を開けて、くれ・くれと振舞っても、くれる人が居なければ、無駄な努力に成る。
力は無いが、目の前の現実に挑戦するしかない。