関東地方を台風が通過・・・一週間を過ぎたが・・・・復旧作業の遅れに、マスコミが色々言っている。
九州に住む、私の場合、台風は毎年の事・・と慣れもあるが・・・その分、対応をしている。
年に数回、台風が通過する九州・・・暴風で倒れる木々も、その都度、倒れる為に、一気に倒れる等は珍しい・・・毎年、風に弱い、木々の間引きを台風が行っている事に成る。
又、三十年ほど前の台風19号の時に、大事な電気にインフラ復旧に、我が地域は十日ほど掛かった記憶がある。
当然、村内の生活道路に色んなものが散乱し、倒木も有る等々・・・その普及は村内の有志で行う事に成るし、行政を当てには出来ない・・・・生活道路の復旧には我村だと数時間で終わった。
当然、台風に備えた、重い屋根・・瓦も重いし、養生の為に網をかぶせる等々の対策もする。
田舎の為に、自給自足と言う部分が有るので、チェンソー等々の復旧作業に必要な機材も村内を探すと有る。
しかし、高齢化と過疎化が進む地域・・・機材は有っても扱える人が・・・この部分も問題に成る。
又、空き家も増えている、その養生も、現代は法的に立ち入り禁止等の表示をしてあるために介入が出来ない。
風で飛び、周りに迷惑を掛けそうな部分は解っていても対処が出来ない。
又、自然災害での被害・・特に別の家からの飛来物での損害等々は基本的には、相手に請求できない。
この部分は、火事も同じ・・・その為に、地域は、被害を最小限に止める為にも、地域活動を通して・・養生も行っているが・・・之も最近は、個人主義の台頭なのか、縮小気味に成っている。
又、この様な人に多いのが、我家が問題を広げた時も、無視の姿勢を取られる事・・・
簡単に書けば、平時は奇麗で何も問題が見えないが・・・心の中はゴミ屋敷状態と言う事になる。
以前も書いているが、亡くなった老婆から、住んで居た家の管理を任されていた。
その為に、日頃から、草取り、等々の、家の保全・管理を行っていたし、その家の近所の人も、台風等が来ると成ると、問題を指摘され、それを回収したりしていたが・・・・
老婆の息子、その成年後見人の弁護士から、立ち入りを禁止された・・・当然、老婆との約束、その証拠も家等の権利書を預かっていると、言うと、法的に他人なので、権利書等を、弁護士当てで送れと指示されたが・・・私はコピーを送っている。
しかし、立ち入りが禁止された為に・・・・家は荒れ放題・・・行政区長も相談に来られるが・・・相手が弁護士、こちら側も弁護士を雇って・・この様な事は出来ないと成る。
個人レベルで出来る範囲が狭まっている。特に個人の情報の所得が、簡単でない・・・・
空き家に成る、家の場合、後継者も何処に居られるかが、解らないし、普段から地元に帰って来られない人が多い・・・・
又、個人情報法の捉え方が、問題で・・・色んな、会が村内には有るが・・・その名簿さえ情報法を出されて、無くなる方向に向かっていたが・・・最近、無いと管理さえ出来ないと、名簿の拡充を進めている。
結局は、地域社会・・・私の場合、村に成るが・・・この部分で、自己完結できる体制が求められているし、昔は、当たり前だったが・・・
最近は、大きく括り、市や県・国と成っている。
自己で出来ないなら、結果は待つことに成る。
この待つ事を選んだという事に成る。
後は順序に成るし、その時間に成る。
特に、産業が無い、田舎の村・・・優先順位は遅くなると私は考えている。
大きく括りで、優先順位が劣ると解っているなら・・・当然、自己感ける出来る様なシステムが必要に成る。
先ずは、情報の共有化・・・・我村で去年、初の孤独死が発生している。
この事を知る、村民が何人いるかも大事に成る。
自然災害は、当然有る・・・有る事を前提に、準備をする。
村内に何代の発電機が有るか・・・それを奉仕として使える台数は・・・
AEDの有る場所・・後は田舎の為に、復旧に仕える機材は、多くあると思う。
しかし、一番必要な、若い人材・・・・之が減り続けている。
若い人が増える地域は、羨ましい・・・いざという時に、頼れる若者が居るという事に成る。
教育・育成も、人が居るから出来る。減り続ける地域は????
私の場合は、息子が五人いるが、上の三人は、家庭を持ち、各地域に散らばった・・・何時も、私が言い聞かせている部分は、地域に根差し、役に立つ人間に成れ・・・当然、先ずは自分の家庭・・・後は、住む場所・環境を守る事が、大事だし、使命と思えと言っているが・・・・効いているのか???・・不安は有る。
最終的には、見える範囲しか、広げる事が出来なくなる。その見える範囲をどうするかが彼達の肩にかかっている使命となる。
現代の生活は、地域社会が潤滑に稼働して、初めて出来ている。
我家だけという単位でない。
マスコミ等々の情報は、先ずは個に向かっている、大事だが、この部分は言われなくても、動物の部分の、自己生存本能が稼働する。
いざと言う時が有る、この当然の事を私は書いてきてもいる。
無い方が良いが、有る事が当然という発想に成る。
その時、私自身が動けるか????ケガをするかもしれない、死ぬかもしれない・・しかし、守りたい人は居る。
私の思いを、誰かに伝える、事も大事に成る。
当然、多い方が良いと成る。
仕事に明け暮れた時代・・・台風19号が、私の考えを変えた・・・地域に接していなかった時代にも成る・・・会社から大型の発電機を持ち出して・・・給電を行って入り・・・
自分で出来る範囲と振舞っていたら、何故か村内に溶け込むことが出来た。
考え様では、大災害だった19号にも感謝の気持ちが有る。
ヒナみたいに、大きく口を開けて、くれ・くれと振舞っても、くれる人が居なければ、無駄な努力に成る。
力は無いが、目の前の現実に挑戦するしかない。
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