今日は、叔父の三回忌の法事だった・・・
行く前に・・・長男が来ていたので・・・五男を頼むと言ったが・・・直ぐに変えるのでと言う事で、五男に法事に行くと言うと「何故???何???」問うた。
勿論、伺う理由を説明できるが、時間が無い・・・・簡単な説明として、彼女とのデートと同じと答えたら・・・・五男は?????状態に成った。
デートと同じで、行く理由等々、自分で考えて行っていない・・・合う事で、何が起きるかも判らないし、又それが来たん間等々に繋がる。
法事も同じで・・・・理由と言えと言われれば、理屈付け出来るが・・・・理屈が有るから伺っているのでない・・・その為に、デートと説明した。
本来、人間とはこの様な部分が有る・・・・行動には必ず、理屈が必要とは限らないと言部分・・・・体が動いてしまうという部分にも成る。
登山家に、何故、山を登るのか????と聞いて「そこに山が有るから」・・・・・有名な話である。
己に取って大事な事は、理屈等必要としないでも動く・・・・
要は、恩を感じているから感謝心が有る。この感謝心が、行動と成ると思う。
何度も書いているが・・・・普通や一般的等々が、言葉や単語が私は嫌いである。
普通という基準は誰が決めているのか????一般的と言っても誰を基本にしているか????解らない・・・・しかし、その単語を使っている、人を見ると、普通だからと、恩や感謝を感じていないと、事故風潮している様に私には聞こえる。
之も何度が書いているが、子供達が幼い頃、「何故、お父さんは・・・後輩等々の知り合いに、缶ジュース等をおごるの???」「何故、僕たち息子には、その様な事をしないの???」と質問された・・・・答えは簡単、他人だと、感謝されるし、恩と感じる人も居る。同じ、お金を息子達に使っても、これは嫌だ・嫌いだとうとう言って、感謝より文句の方が多く耳に入る。
又、息子たちは、親からの施しを普通と思っているし、当たり前と思っている。
施しの意味が伝わっていないという事にも成る。
恩を感じているから、動く・・・之も、法事に参加する意味に成る。
私は、何時も書く事だが、生きていること自体が、奇跡だし、人間として居る之も奇跡の中の奇跡と思っている。
当然とは思わない・・・五体も劣っているが、それで動ける状態と言う事は感謝に成る。
この気持ちを、具現化する。之が、人だと私は考えている。
その為には、恩を感じれる、心を作る事だと思うし、恩に対して、感謝と思える、心にも成りたい・・・感謝心が有れば、当然、具現化する事に成ると私は考えている。