2018年10月3日水曜日

ポンミス・・・・

お客さんの処え、交換ユニットが入荷したので、急いで伺ったが・・・・

品番が解らず、商品名で注文していたのが悪かった・・・・ユニットが違っていた。

ポンミス、当然、伺っても何も出来ず、逆にお客さんに迷惑をお掛けした事に成るし、当然、稼働出来る状態にはしていたので、待って頂く事は出来たが・・・・対価は????・・・・貰えないのが本来に成る。

医師と違う事に成る。

四男を連れて、今は回っている。

勿論、私の体調も悪いし・・・重い物が持てない・・・午前中は、機械の重みに負けて、落とす迄には至らなかったが・・・大変な思いをした。

現状で、片腕に20キロの重さを持つ、耐える事が出来るが、少しでも持ちあげる、之が出来ない・・・簡単に書けば、手に吊るしている状態だと、重さに耐えるが・・・

荒養生で、鍛えているが・・・・限界が有るようだ・・・

医師は後遺症障害の手続をと言われたが・・・・この補償がどれ程度かも解らない・・・それより、まともに仕事が出来ない、この方が私には辛い・・・

一緒に持ってくれていた四男が呆れるほどの、右腕の力・・・

修理人の利き腕が、左腕より弱い・・・なさけないと、思う事が私には辛い・・・・

力やコツが要る部分も、力が重要だと、左腕を使う事に成る、しかし、利き腕の様に使えない・・・

趣味のRCも本当なら、常時触ってと言っても、ネジ等を緩めたり閉めたりして、整備等々も昔は、時間が有れば、触っていた。

しかし、事故後・・・・ドライバーを握る、これ自体をしようと思わない様に成っている。

遅かれ早かれ、体が劣り出すことは、解っていたが・・・余りにも早過ぎた。

しかし、諦めてはいない・・・荒養生を続ければ、少しずつでも改善方向に向かうと信じている。

医師の言葉を信じる事も大事だが・・・私には良い話で無い・・・自分の体を心配している、家族が居る。元に戻る事を願っていると思う・・・・同じ、心配でも、答えが違う・・・・

私の変わりが、家族の中に無いから、心配の方向も違って来る。

どの思いに答えるか、之も体が一つなので、自分で判断する事に成る。

勿論、私の教育・育て方が間違っていたかも知れない、俺に任せておけ、背負ってやると口から吐ける、後継者を育てて居ない事に成る。

之も、自業自得に成る。

良い天気・・・

嵐の前の静けさか????・・・・日本晴れの快晴である。

嫁を、楽にさせる為に・・・私が出来る事は????・・・・・・当然、嫁が求めている、お金を稼ぐ事しかないと考えている。

嫁も、子供達が求めている、之を叶えて上げようとしているし、当然、父も含め、その様に頑張っている・・・

当然、優先順位では私が最後に成るのは必然に成るし、私が何の報いも無い事も、当然と成る。

本来なら、使い切れない、稼ぎが出来れば良い事だが、三流の私だと、当然不可能に近い・・・

よく、家族を育てろ、教育せろと言われる人も居られるが・・・結局は、私の欲、価値観を強制する事に成る。
考え様では、自分勝手な策と言ってもよい・・・

要は、何かの縁が有るので、一緒の家族と成っている・・・・よく子共は親を選ぶ事が出来ないと言われるが、逆に、大人、守する側も、守する相手を選ぶ事が出来ない、之も道理だと考えている。

受身的、考えに成るかもしれないが、けして逃げでは無いと考えているし、積極性が無ければ、出来ないと考えている。

言って聞かせても、ダメ・・・・・見せてもダメ・・・・この様な人は居る、唯、多いか少ないかは、私には解らない・・・・

私が見える範囲だと、背負うべき人が多いと感じている。

当然、体力が有れば、背負っている事さえ気付かない・・・・私の場合は、体力が無いので、微細な重ささえ、身体に感じてしまう。

之を、なさけないとないと考えている。




嫁が・・・・動けないで居る。

昨日、職場から、早引きをして来た嫁・・・・体調が悪いと言う事・・・

昨晩は、四男が、弁当等を買って来て、頑張ってくれた。

今朝も、嫁が、動けないで居る・・・・・父の件も有ったし、職場では苛めを受けていると感じているし・・・・一番は、私の怪我の関係で、収入が一気に減った・・・この様な色んな事が重なって、限界に成っていると思う・・・・

嫁は、純である・・・・しかし、弱過ぎる・・・・・例えると、彼女ま真水に近い・・・しかし、過ごす世界は濁水である。

又、その様な世界に、私がしている可能性が有る。

真水で生きようとすれば、当然、力が必要に成る・・・その力が唯物的力か???唯心的力か???この場欄も大事に成る。

何時も思う事が、足元が定まっていないと私は感じている。

この場、この地で生きると言う覚悟が有れば、当然、動じない強い足腰が必要に成る。

勿論、その地に染まる、この生き方も有る。しかし、個人としての個性が無くなる。自分の個性を大事にと考えれば、当然、個性同士の衝突が起きる。この衝突に勝つ必要は無い、絶対に負けない、動じないと言う、足腰が必要になると私は考えている。

元々、足腰が強い、人なら良いが、弱い人、私も含めてに成るが・・・足腰を鍛える為には???
一番簡単な方法は、人を背負う、負を背負う・・・之が足腰を鍛える事に成る。

勝つ必要な無いが、絶対に負ける訳には行かない、その理由が出て来る。

私の感覚だと、上手に交わす・避ける等々は、逃げだと私は考えているし、之こそ負けだと考えている。

当然、背負っているから、思う様に体が動かない、最善の道を探す、先ず、背負っている人を自立させる方法に成る。しかし、中々成らないのが、現実・・・・それなら・・・どうするか??之を考え続ける事も、足腰を強くする事に成る。

昔、私の考えから、現代では180度、変わった感じがする。

ハイソーカーを乗り回し、ブランド物の時計等々を付け・・・・身形だけは整っていたが、何故之を求めたが・・・本体に自信が無かったからだと、今は考えている。

自信とは????何か????・・・・・その当時は人との対比で、自分の価値観で勝っていると思える、格好・振る舞いが出来る、之が自信と考えていた。
要は、自分の価値観での人との優劣で勝っている、之が自信と勘違いをしていた事に成る。

人から笑われようとも、自分に自信が有れば、己を見せる事が出来るし、当然、人其々の価値観が有るので、馬鹿にされようが、部外者扱いを受け様が、動じない、之が自信と私は考える様に成った。

其れが意味する事は???・・・・・仮に、自分の思い・本能かも知れないが・・・一所懸命に生きる・・・庭に居る、アリを見て、アリの誰誰さんは頑張っているな~~~と、人間の立場に思えるか???又は、見えるか???・・・・全てのアリが同じ様に見える。

住む世界は一緒の地球だが、立場で見え方も変わる。

しかし、立場、生命次元や人は心が有るし、色んな幅が有る。立場を超えてと言う言葉も有るが、下が上の立場を理解出来ない事は、有ると思うが・・・・上が下の立場を理解しない事も有ると言う事に成る。

立場・ポジションを維持を模索するより、色んな立場・ポジションを学ぶ、之も、人だから出来る部分だと私は考えている。

個性を磨く、自分の個性に内向きに保持を意識し過ぎると、嫁の様に成る。
磨くとは、色んな個性を知った上での話・・・・

この様な考え方、個性も有るのか~~~と学ぶ事だと思う、其れに対して成否を自分でしない事・・・この様な考え方も有るな~~~程度で良いと私は考えている。

仮に正しいと有るなら、逆の、間違いと言う部分を作り続けている事に成る。