昨晩は、四男が、弁当等を買って来て、頑張ってくれた。
今朝も、嫁が、動けないで居る・・・・・父の件も有ったし、職場では苛めを受けていると感じているし・・・・一番は、私の怪我の関係で、収入が一気に減った・・・この様な色んな事が重なって、限界に成っていると思う・・・・
嫁は、純である・・・・しかし、弱過ぎる・・・・・例えると、彼女ま真水に近い・・・しかし、過ごす世界は濁水である。
又、その様な世界に、私がしている可能性が有る。
真水で生きようとすれば、当然、力が必要に成る・・・その力が唯物的力か???唯心的力か???この場欄も大事に成る。
何時も思う事が、足元が定まっていないと私は感じている。
この場、この地で生きると言う覚悟が有れば、当然、動じない強い足腰が必要に成る。
勿論、その地に染まる、この生き方も有る。しかし、個人としての個性が無くなる。自分の個性を大事にと考えれば、当然、個性同士の衝突が起きる。この衝突に勝つ必要は無い、絶対に負けない、動じないと言う、足腰が必要になると私は考えている。
元々、足腰が強い、人なら良いが、弱い人、私も含めてに成るが・・・足腰を鍛える為には???
一番簡単な方法は、人を背負う、負を背負う・・・之が足腰を鍛える事に成る。
勝つ必要な無いが、絶対に負ける訳には行かない、その理由が出て来る。
私の感覚だと、上手に交わす・避ける等々は、逃げだと私は考えているし、之こそ負けだと考えている。
当然、背負っているから、思う様に体が動かない、最善の道を探す、先ず、背負っている人を自立させる方法に成る。しかし、中々成らないのが、現実・・・・それなら・・・どうするか??之を考え続ける事も、足腰を強くする事に成る。
昔、私の考えから、現代では180度、変わった感じがする。
ハイソーカーを乗り回し、ブランド物の時計等々を付け・・・・身形だけは整っていたが、何故之を求めたが・・・本体に自信が無かったからだと、今は考えている。
自信とは????何か????・・・・・その当時は人との対比で、自分の価値観で勝っていると思える、格好・振る舞いが出来る、之が自信と考えていた。
要は、自分の価値観での人との優劣で勝っている、之が自信と勘違いをしていた事に成る。
人から笑われようとも、自分に自信が有れば、己を見せる事が出来るし、当然、人其々の価値観が有るので、馬鹿にされようが、部外者扱いを受け様が、動じない、之が自信と私は考える様に成った。
其れが意味する事は???・・・・・仮に、自分の思い・本能かも知れないが・・・一所懸命に生きる・・・庭に居る、アリを見て、アリの誰誰さんは頑張っているな~~~と、人間の立場に思えるか???又は、見えるか???・・・・全てのアリが同じ様に見える。
住む世界は一緒の地球だが、立場で見え方も変わる。
しかし、立場、生命次元や人は心が有るし、色んな幅が有る。立場を超えてと言う言葉も有るが、下が上の立場を理解出来ない事は、有ると思うが・・・・上が下の立場を理解しない事も有ると言う事に成る。
立場・ポジションを維持を模索するより、色んな立場・ポジションを学ぶ、之も、人だから出来る部分だと私は考えている。
個性を磨く、自分の個性に内向きに保持を意識し過ぎると、嫁の様に成る。
磨くとは、色んな個性を知った上での話・・・・
この様な考え方、個性も有るのか~~~と学ぶ事だと思う、其れに対して成否を自分でしない事・・・この様な考え方も有るな~~~程度で良いと私は考えている。
仮に正しいと有るなら、逆の、間違いと言う部分を作り続けている事に成る。
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