今は、私はリハビリの為に、略毎日、整形外科クリニックに通っている。
そこで知り合った、研修生・・・22歳との事だが、昨日で研修が終わり、試験に合格すれば、実社会で働き出すと事・・・
彼とは、色々話をしていた。若い人が夢に向かって、頑張っている姿は、輝いているし、私に多くのパワーを頂けた。
若人の姿で、何故か希望も、絶望も居たかせる・・・私は、出来れば、希望を抱きたいと我欲だが思っている。
夢、勿論、適うか・敵わないかは、解らない・・・しかし、その夢に向かい頑張っている姿は、私には輝いて見える。
又、その夢を叶えて欲しいと言う、思いも出て来るし、応援したくもなる。
之も、縁だと思うが、現代の考えで言えば、一部に期待する等々で、差別と言われる可能性も出て来る。
全ての人を平等に扱う・・・その為には、縁と言う部分を持たない方が良いと言う事にも成る。縁が無ければ、同じ他人として見れる。
しあし、私は三流の人間の為に、縁は、大事だと考えている。
全ての人間と、縁する事は不可能と思うし、それだけの力も無い・・・同じ時を生きた、限られた人としか縁する事は出来ない。
差別主義者なので、少なくとも、縁した人が幸福で有って欲しいと願っている。
勿論、超一流の人なら、全人類の幸福を願えるし、一人一人の顔が浮かぶと思うが・・・私には、それだけのレベルは無いし・・・当然、縁した人でも順位が有るし、縁さえも忘れる事も有る。完全な差別主義者と言われても、否定は出来ないと言う事に成る。
縁すれば、己の思いも伝える事が出来る。
よく、悪い思想だから、伝える事は、罪だと言う人も居るが・・・私は、己の思い等々は正直に表す、それを如何解釈され、捉えられるかはその人で変わると考えている。
勿論、私自身は、悪い思想だとは思っていない・・その為に、己で自分の事を差別主義者と言っている。
人には、当然、差が有ると考えている。この差を現代では差別と言う捉え方の人が増えている。
究極は、己と他人、差を儲けていれば、差別主義者と成る。
利己主義も利他主義も、結果的に両方が、己と他人と言う差を付けている。これも差別に成る。
之が無い人等、居ないと思うが、それを世間は認めない方向に向かっていると言う事にも成る。
要は、この差を認めきれない、事が結果的に差別に繋がっていると私は考えている。
一所懸命に頑張る、之も人で違う・・・怠けて見えているが本人は一所懸命かもしれない。
要は、見える振舞いでは解らないと言う事・・・
以前も書いているが、障害が有る、私が、10キロの重さを右手の持つ・・・無理、一所懸命に頑張っても、出来ない・・・・しかし、プロレスラーの様な人なら、簡単に持てる。
現象だけ見れて・・・一所懸命に取り組んだかは解らない。
結果主義に走り過ぎると、この様に成るし、之が又、差別を生むことに成る。
最近は、普通と言うレベルにまで、基準を設け、同じハカリで、測ろうとする方向が有る。
その基準内に無ければ、普通で無いと成る。
怖い世界だと言う事に成る。
私は、障害手帳を持っている。当然、普通で無いと成る。普通で無いが人間だとは私は思っているが、人間と言う集団から、除外される感じを肌で感じる。
之は、差別なのか????・・・・私は差別主義者と自称しているが、人間として見ている。
同じ、人間、おたがいさま・・・失敗も間違いも起こす、ドンマイと言う感覚で居る。この感覚も、世間から言われる、差別主義者だから得た事なのかもしれない。