春の彼岸に向け・・・今朝、納骨堂の清掃活動が有った。
本来、私の様な病人が行く必要も無いが・・・田舎の為に、一件から一人出すと言うのが、慣例・・・・私が若かった頃は若者が~~~と言われ、嫌々での出席していた。しかし、最近は、強く言えない言えば、問題と言われる時代、本人の捉え方次第で犯罪者とも成るのが現代である。
その為に、出来るだけ、厳しく育てたいと思って居ても、それが通用しない・・・腫れ物を扱う様に、我が子を扱っていると言う方が正しいしいかもしれない・・・この様な環境で育った、子・・・それが社会に出て、社会の中で、当然、色々な縁が有ると思うが、それをどう捉えきれるか???面倒臭い・嫌だと言う思いで聞いているなら、当然、ハラスメントを受けたと取ってしまう。
今日も、息子達に頼んだが・・・・返事は「ハイ」で良いが・・・結果は、起きない・動かない・・・結果、私が家を代表して行く事に成る。
その都度、何故、病人の人まで村は使うのか???と思って居るようだが、何故、己がと成らないのか????不思議である。
全て、人話・・・己と考えない・・・結果、綺麗は多々言うが、それを現実に出来るのか??出来ないから、最初から行わないという発想の様だ・・・・不満・文句は多々あるが、己が改善すると言う意思が無い・・・言うだけなら誰しも出来る事を、言っているだけに成ると思うが・・・それが、今の常識、当事者でなく第三者が色々言う世界と言う事に成る。
納骨堂の清掃と言っても、その敷地に、小高い山が有り、木々が植えられている。その手入れも当然、出来てない、若者が居ないので、剪定も大きく木が成っているので出来ないでいる。
我が村も、高齢化が進み、又、若者は居るが、この様な場に来ない・・・結果、高齢者が頑張る事に成るが、出来ない事も増えている。
それが、木々の剪定の放置の部分、去年から、私は、機械等を買い込み、体を使わず、簡単に処理できるようにと道具を揃えた・・・
それを持って、今日は、伺って、最初は私自身が行っていたが、私の後輩達がその後は、行ってくれた。病人の私より、動きが良いし、凄いスピードで処理できている。
感謝に成る。
しかし、後継者、若者を・・・これの今後、真剣に育てなければ、成らないと思うし、耳障りの良い言葉で誘う事が、現実に難しい、厳しい現実を言って、それを受け入れれっる人が居るのか???育っているのか???直ぐに逃げるのでないか???と言う不安も有る。