嫁が、公休の為に、今日は家に居る。
この安心感、何より有り難い・・・・家族、特に側に居てくれる、私の代り、代理が居ると言うだけでの安心度の違い・・・・体を壊してから特に強く感じるようになった。
何度も後継者が大事、育てなければと書いてきていたが・・・此処まで、安心感につながり、心が安らぐのか!!!と思える程・・・
この気持ちが、優しさに繋がるし、余裕にも繋がっていると思う。
仮に、己だけで全て処理する・・又、全ての事を背負い込むこの状態に成れば、顔は必死だし、引き痙った顔になると思うし、当然、優しさ等、与えるという余裕も無いと言う事になる。
この様な、生き方の人が増えれば、ギスギスした世の中になるし、直ぐに争いが始まる。良い事は無いと思し、結果的に、ドッチが正しいかの正邪論等々の、争いになるし・・・白黒をハッキリにすると言う、訴訟が頻繁に起きる状態に成る。
何度も書くが、グレーな部分を容認出来る環境が有った方が、事が丸く収まる。誰が良いか、悪いかを探すより、私は良いと考えている。
要は、人に溶融が無くなったから、些細な事まで、白黒をハッキリさせるという流れに成る。
笑って終らせる、来れも人だから出来る部分だと私は考えている。
私は、劣っているし、三流だし、当然、人様に自慢できる部分も無いし、逆に欠点が多々ある人間・・・正邪論や白黒論で論議されれば、私の様な人間は、人で無いと成る立場にある。勿論、それでも良いと思うから、正直に己の事を話すようにしている。悪い事も良い事も、当然、誰しも有ることだと私は思っているし、だから、人をある面から見ただけで評価しないと己で決めている。
人を評価する等々、私のレベルだと出来ない、多様面から見る事が私には出来ないし、多方面の全てが解る人間でも無い・・・それほど劣っているという事だし、現代の人は、これが出来るから、人の評価していると思う。
私も好みは有る、しかし、好みで無いからと否定しようとは思わない・・・私の個人の勝手な趣向の為に、私の好みが誰しもに当てはまるとは思えない・・・
しかし、この部分が有るから、私は己を差別主義者と自称している。
平等主義者なら当然、己の趣向も無いと思うが・・・本当は口にしてないだけで有るのかも知れない、己にも周りにも嘘を付いていることになる。
私の若いとき、私が感じていたこと、綺麗事ばかりの嘘の世界というのが、この世だと思っていた。本心は、自己中の、お金本位主義の、金の亡者に見えていた。
若かったので、人の表面、唯物的部分だけで判断していたことになる。
人には、命・心が有る。この部分まで、染まっている人も居ると思うが、違う人も居る、まだまだ人には可能性が有る。
燃し、可能性が無いとなれば、己世の存在意義自体が無くなる。世の破滅という事に成る。
人類は何度も経験していると思うが、何故、気付かないのか????不思議で成らない・・・・